ひとつ屋根の下   第4話  断てない想いA

「今日から部活は休みなのよね?」
翌朝。 朝食を並べながら法子さんが伊吹に確認する。
「うん」
伊吹は笑顔でそう返すと味噌汁をすすった。
……ウソつき。
本当は昨日からじゃん。
てゆーか……昨日はどこ行ってたのよ?
「じゃ早く帰れるのよね? 私もなるべく早く帰って晩ご飯の仕度……」
と法子さんが言いかけたら、
「あ、でも今日は友達とテスト勉強する約束なんだ。 だからちょっと遅くなるかも……」
と伊吹が。
「え〜〜〜っ!?」
「晩ご飯までには帰ってくるから。 つか、ごめん、今日はちょっと早く家出たいんだ。 もう行くね?」
そう言うが早いか、傍らのカバンをつかんで伊吹は玄関の方に向かってしまう。 慌てて伊吹のあとを追った。
「……友達とテスト勉強とか言っちゃって、本当はバイトなんじゃないの?」
あ〜〜〜、あたしのこの言い方!
こんなんじゃ話したいことも話せないし、伊吹だってまた機嫌悪くするだけだよ。
玄関で靴を履きかけていた伊吹が少しだけあたしを振り返る。 案の定、眉間にしわが寄っていた。
「お前、家でバイトの話すんなっつったろ!?」
バイトじゃない、って否定しないところをみるとやっぱりバイトなのかな。
……いや、それもウソかも。
あ〜〜〜、昨日あの店員に、伊吹が今日入ってるか聞いとくんだった!
なんか色々ショックで、すっかりそんなことにまで頭が回らなかったよ……
……って、なんで伊吹のことであたしがショック受けないといけないわけ!?
ワケ分かんないからっ!!
内心の動揺を押し隠して、
「テスト休みってホントは昨日からじゃん。 ……もしかして昨日もバイトだったの?」
「そうだよ」
違うとは思いながらも、
「……バイトってカラオケ以外にもやってるの?」
と一応確認してみる。
「は?」
と伊吹は怪訝な顔をして、「カラオケだけだけど…… なんだよ?」
「……なんでもない」
あたしがそう答えたら、伊吹は眉間のしわを深くして、
「分かってると思うけど……」
とあたしを睨んできた。
「言わないよ! 法子さんやパパには」
伊吹が全部言い終わらないうちに先にそう言ってやる。 あたしのセリフを聞いた伊吹は、
「……よし!」
とカバンを肩に担ぎ直した。 そして玄関のドアを開ける。
なにが、よし、よ。 ホント上から目線なんだから!
とあたしがムッとしたけたら、玄関のドアに手を掛けたまま伊吹がちょっとだけ振り返った。
「マッキーと仲直り出来たんだ? 良かったじゃん」
「え?」
「じゃあな」
伊吹はそれだけ言うと、さっさと家を出て行ってしまった。

―――仲直り出来たんだ?

……って、あんたが取り持ってくれたようなもんじゃん。
そんな素振り微塵も見せないけど……
いつもの偉そうな伊吹だったら、ここぞとばかりに、
「オレ様が仕切ってやったから上手くいったんだぞ」
くらい言ってきてもおかしくないのに……
なんで何も言わないのよ。
実際徹平と仲直りできて本当に嬉しかったし、助かった。
だから一応お礼とか言いたいのに、そんな風にされたらこっちも気付いてないフリするしかないじゃん。
本当に伊吹は何を考えてるんだろう……

「ナナ! 今日は一緒に帰れる?」
放課後、クラスメイトで親友の里香に声を掛けられた。
伊吹のせいで悶々としているうちに、あっという間に放課後になっていた。
「あ〜… うん」
本当は、今日も帰りが遅いっていう伊吹のことが気になるから、さり気に1組を覗いてから帰ろうと思ってたんだけど……
まあ、覗いたからって何がどうなるってもんでもないんだし……
昨日も一緒に帰ろうって誘われたのに断っちゃってたこともあって、今日は里香と一緒におとなしく帰ることにする。
校門を出たところで里香がお財布から紙切れのようなものを取り出した。
「帰りK楽器寄ってっていい? CD取りに行きたいんだ」
どうやらCDの予約票らしい。
「いいけど…… なんでK楽器? 駅ビルのショップの方が近いじゃん」
普通みんながCDを買うときは駅ビルのCDショップを利用する。 近いし大型店だから品揃えもいい。
K楽器は駅の反対側に10分ほど歩いて行ったところで、こじんまりとした店だ。 ちょっと距離があるし、駅ビルの方と比べても品揃えがいいとは言えない。
あたしも学校帰りにCDショップを流すことはしょっちゅうあるけど、K楽器に行ったことは数える程度しかない。
ていうかそもそも駅の向こう側は、こっち側と比べてあたしたちが立ち寄りたいようなお店が少ないから行くこと自体がほとんどない。
「K楽器は予約した人全員にトモヤのポスターとストラップくれるんだ〜♪」
と、里香は最近ハマっているらしいアイドルの名前を挙げた。
「テスト前なのにCDなんか聞いてて大丈夫なの?」
と聞くと、
「あたしBGMないと勉強出来ないタイプなの」
だそうだ。
里香がカウンターでCDやポスターを受け取る間、テキトーにCDを手にとって眺めたりしていた。
ふと窓の外に視線を移したとき、外に伊吹がいるのを発見した。
ウソッ!?
慌てて手にしていたCDを手近な棚に突っ込んだ。
見間違いかも、と思ってもう一度窓の外を確認する。
……K楽器がある側と反対側の歩道を歩いているのはやっぱり伊吹だった。
な、なんで伊吹がこんなとこ歩いてるのっ!?
いや、伊吹がどこを歩こうが伊吹の自由なんだけどさ……
でもこっち側にあたしたちが利用するようなお店ないじゃん!
っていうか……っ

―――その子、誰?

伊吹は1人じゃなかった。
栗色の髪が歩くたびに肩の辺りでフワフワと踊っている。
笑ったときに見える前歯が小動物みたいでかわいい。
全体的に小柄で、制服から出ている手や足が羨ましいくらい細い。
エンジのセーラー…… あれは、花高の制服だ。
花高っていうのは隣り駅にある女子校。 偏差値的には普通だけど、昔からお嬢様学校って言われてる……
なんで伊吹が花高の子と2人で歩いてるのっ!?
「ごめん、里香っ! あたし先に帰るっ!!」
「え? ちょっと、ナナ!?」
驚く里香を残して慌ててK楽器を出た。
伊吹たちは反対側の歩道をゆっくりとした歩調で歩いていた。 見つからないようにこっち側の歩道を同じペースで移動する。
ホントに、誰?あの子。
伊吹とどんな関係があるの!?
もしかして、まさかだけど…… 彼女っ!? ウソでしょっ!?
……いやいやいや、友達かもしれないじゃん! それか親戚とかさぁ! ねえ!?
でも…… すごく親しそう。
伊吹は笑顔だった。
この距離だから会話の内容までは全く分からないけど、女の子の方が楽しそうに伊吹に話しかけているのが分かる。 それに穏やかな笑顔で応えている伊吹。
あんな伊吹、初めて見た……
あたしの前での暴君っぷりとは当然違うけど、学校で見せるような笑顔ともまた違う……
夢中になって伊吹に話しかける女の子が何かに躓いた。 よろけそうになるその子を伊吹が慌てて支える。
すごく大事にしてるって感じ……
やっぱ彼女なんだ―――…
今日は友達と試験勉強とか言ってたけど……なんだ、ホントは彼女と会うんだったんだ?
もしかして昨日も? 今までも?
部活だとかバイトだとか、パパや法子さん、あたしにまでウソついて……本当は彼女と会ってたんだ。
そんなことを考えていたらなんだかたまらなくなってきて、気が付いたらあたしは道路に飛び出していた。
途中クラクションを鳴らされたけど、引き返すことも立ち止まることもしないで反対側の歩道に走り込んだ。
その鳴らされたクラクションを聞いて伊吹がこっちを振り返る。 と同時に、
「ぐ、ぐーぜんだねっ!」
伊吹に声をかけた。
伊吹はあたしを見て一瞬だけ驚いたような顔をしたあと、微かに眉間にしわを寄せた。
怒ってるんじゃない。 ……戸惑ったような焦ったようなそんな顔。
伊吹のそんな顔を見てあたしも焦ってしまった。
「あ、あたしねっ、そこのK楽器に来てたの! 友達とっ! そしたらあんたが歩いてるのが見えて……っ 偶然っ! それで、えーと、あの〜…っ」
勢いで伊吹の前に飛び出してきたけど、その後のことなんか何にも考えてなかった!
ってゆーか、あたしなんでこんな……伊吹が彼女と一緒にいるところにわざわざ邪魔しに来てんの?
なんでそのままスルーしなかったのよ〜〜〜っ!?
「で…… デート?」
呟くようにそう聞いたのと、
「伊吹くんのお友達?」
と女の子が伊吹を見上げたのが重なった。
「あ〜… うん」
伊吹は女の子に向かって肯いた。 あたしはそのまま口をつぐんだ。
伊吹の返事に女の子は微笑むと、
「こんにちは」
と今度はあたしに向かって軽く頭を下げてきた。
「あ、どうも……」
多分……いや、きっと、あたし間抜けな顔してる。
そのままスルーすればよかったのに、わざわざ転がるように2人の前に飛び出して行って。
で、話すことはしどろもどろで……
きっと伊吹も彼女も呆れてる……
なんだこいつって思われてる……
――――早くこの場から逃げ出したい!!
「じゃ、じゃあねっ! あたしも友達と待ち合わせしてるんだっ! 行かなきゃっ!」
怒鳴るようにそう言って、挨拶もそこそこに2人の前から逃げ出した。
……気が付いたら、制服のままベッドに寝転がっていた。
一体いつ、どうやって帰って来たのかも覚えてない。
それぐらい動揺していた。
……すごく可愛らしい子だった。
髪なんかふわふわカールしていて人形みたいだった。
声も見た目と同じく可愛くて……
華奢な伊吹よりもっと華奢な、本当に守ってあげたくなるような女の子だった。
伊吹ってあーゆー子がタイプなんだ……
あたしとは真反対の……

―――なんか…… 落ち込む……
―――って、なんで落ち込むのよッ!
伊吹の好みのタイプなんか、あたしには全然関係ないしッ!
ついでに言うなら、伊吹に彼女がいようがいまいが、そんなこともあたしには全っ然カンケーないしッ!?
伊吹のことなんかどうだっていいんだからッ!!

晩ご飯までには帰ると言っていた伊吹だったけど、結局その日帰ってきたのはあたしと法子さんとで食器を片付けているときだった。
……こんな時間まで彼女とデートですか。
テスト前だっていうのに、さすが特進クラスは余裕だよね!
まあ、どうだっていいけどッ!!
「―――…彼女、いたんだ?」
どうでもいいと思いつつ、また声をかけてしまうあたし。
ホント何やってんだろ……
2階の廊下で伊吹が上がってくるのを待ちぶせて声をかけた。
お風呂上りで濡れた前髪の隙間から伊吹があたしを見下ろす。
「チョー可愛い子だったねっ! すごい細くて…… クラスの男子も言ってたけど、やっぱ花高って可愛い子多いんだね!」
なんでこんなこと言ってんの、あたし……
あのとき伊吹、気まずそうな顔してたじゃん。
会いたくなかったって顔してたじゃん。
家族にもウソついて会ってた彼女のこと、触れて欲しくないに決まってるのに……
それ分かってて、なんであたしこんなこと言っちゃうんだろう。
「あ、あんたに彼女がいるなんて女子が知ったら、みんなショック受けるかもねっ!?」
伊吹は無表情のままあたしを見下ろしている。
いつもみたいに憎まれ口で反論してくることも嫌味で切り返してくることもしない。
そんな伊吹に不安になる。
「ま、まあ、あたしにはカンケーないことだし言いふらすつもりもないけどっ」
あたしが一方的にまくし立てている間、伊吹は何も言わなかった。
……なによ。
なんか言えばいいじゃん。
いつもみたいに、
「うるせぇなあ。 お前にはカンケーねーだろーが!」
とか言えばいいじゃん!
―――なんで何も言わないのよ……
伊吹が何も言わないから、そのあとはあたしも黙っているしかなかった
どうしたらいいのか分からなくてそのまま俯いていたら、
「あいつは…… 彼女じゃない」
と伊吹が小さく呟いた。
「え?」
「つか、元カノ」
―――元カノ?
じゃあ、今は友達ってこと?
そんな雰囲気じゃなかったけど。 伊吹もすごく大事そうに扱ってたし……
―――あ!
もしかして伊吹がフラれた方とか?
でも諦めきれなくて、友達でもいいからって傍にいるとか?
もしかして……
「……前に言ってた失恋した相手って……あの子?」
恐る恐る聞いてみると、
「違う」
と即答された。
即答されたことに、なんとなくホッとする。 ホッとしたあと、
……なんで?
と内心首を捻る。
なんで伊吹の失恋した相手があの子じゃなくてホッとするのか。
最近自分のことがよく分からない。
「そ、そーなんだー。 なんかいい雰囲気だったから勘違いしちゃったよ」
「……それだけ? もう部屋入りたいんだけど」
伊吹の部屋のドアを塞ぐ格好で立っていたあたしは、
「ごめんっ」
慌てて身体を横にずらした。
本当は、なんで別れた彼女と今でも会ってるのかとか、あの子じゃないなら誰に失恋したのかとか聞きたかったんだけど。
伊吹があんまり話したくなさそうだったから、あたしもそれ以上詮索することが出来なかった。

伊吹と元カノ……ついでに言うなら伊吹が失恋した相手のことまで気になって、全然勉強に集中出来ないまま期末テストが始まった。
さすがの伊吹もテスト前日とテスト期間中はまっすぐ家に帰ってきて勉強していたみたいだ。
家の中で顔を合わせることも普段より多かったけど、だからといって普段より会話が増えるってわけでもない。
もちろん、元カノの話や失恋した相手の話なんか出来るはずもなく……
あ〜〜〜、モヤモヤする!
テストの出来が悪かったら伊吹のせいだからねっ!!
「ナナ! やっと終わったね! 帰りに打ち上げしてかない? カラオケとか」
テスト最終日、里香にそう声をかけられた。
「カラオケ? ……里香、まさかまた……」
つい、3ヶ月前の食い逃げ事件のことを思い出してしまう。
「違うって! 今度は純粋にあたしたちだけっ!」
里香が慌てて首を振る。「2時間無料券があるから、ドリンク代しかかかんないし!」
「……ならいいけど」
カラオケってどこ行くのかな?
できれば伊吹がバイトしてるとこがいいかな……
って、また伊吹のこと考えてる!
「隣り駅に新しくオープンしたとこなんだ! 同中だった子がそこでバイト始めてタダ券もらったの!」
里香の案内でカラオケ店に向かう。
新しくオープンしたばかりのカラオケ店は、平日の昼間ということもあってかあたしたちみたいな学生でいっぱいだった。
受付で順番を待っていたら、
「ねえ」
と急に腕を引っ張られた。
「え? ………あ」
驚いて振り返ったら、この前伊吹と一緒に歩いていた花高の子が立っていた。
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