ひとつ屋根の下   第4話  断てない想いC

「ナナちゃん? 具合悪いの? 顔色良くないけど……」
朝になってリビングに下りていったら、朝食の用意をしていた法子さんが心配そうに声をかけてきた。
「や、ちょっと寝不足で……」
「だってテストはもう終わったんでしょ?」
「はい。 ……で、溜めてたマンガとか雑誌読んでたら寝るの遅くなっちゃって……」
とテキトーに誤魔化した。
本当は色々考えていたら眠れなくなっちゃっただけなんだけど……
先に朝食をとっていたパパも、
「じゃ、今日は1日ゆっくり寝てるといい。 テスト休みだろ?」
と読んでいた新聞から顔を上げた。
「うん、そうする」
もうすでに伊吹は席についている。 黙ってその向かいに腰を下ろした。
チラリと伊吹の方を窺ったけど、伊吹はあたしの方を見もしない。
いつもだって会話が多いってわけじゃないけど、こうやって家族でそろったときは、
「おはよう」
とか挨拶くらいしてくれるのに。
……なによ。
「伊吹は今日なんか予定入ってるの? 部活とかお友達と約束とか」
法子さんが牛乳を渡しながら伊吹にそう尋ねる。
「や、今日は部活はない。 特に出かける予定も……今んとこ入ってない」
今のところは……ね。
今日は平日で普通だったら学校がある。
だから伊吹が休みでも琴美は学校があるはずで、日中に会うことは出来ない。
会うとしたら夕方からか……
そんなことを考えていたら、また憂鬱になってきた。
法子さんが心配そうにあたしの顔を覗き込んで、
「ナナちゃん、やっぱり顔色良くないわよ。 寝不足だけじゃないのかも……」
とおでこに手を伸ばしてくる。 あたしはそれを笑顔で避けながら、
「いやホントなんでもないんで!」
「伊吹、あなた今日何も用事ないなら、家にいてナナちゃんのこと気にかけてあげて」
「は……? えぇっ!?」
なんでもないって言ってるのに、法子さんはとんでもないことを伊吹にお願いしてしまった!
「いやっ! ホントになんでもないからっ! 全然元気だしっ!」
大慌てで首を振った。「だからついててもらわなくても平気っ! 伊吹はすきなとこに行けばいいよっ!!」
伊吹になんかついててもらわなくてもいい。
ていうか、そもそも寝不足の原因は伊吹だし。
だから逆に、伊吹なんかいない方がいい。
伊吹なんか好きなところに行けばいい。
琴美のところでもどこでも……
怒鳴るようにそう言い俯いたら、テーブルが静かになってしまった。 急に大声を出したあたしに法子さんも驚いた顔をしている。
「そ、そう?」
法子さんはちょっと気まずそうに笑って、「……そうよね、静かに寝ていたいものね。 伊吹がいたら逆に邪魔だわね」
「や……」
……上手く取り繕う言葉が見つからない。
そのまま俯いていたら、
「……すきにすれば」
とトーストを齧りながら伊吹。「オレもすきにするし。 出かけたきゃ出かけるし、家にいたければいる」
やっぱり伊吹はあたしの方を見もしないで、どうでもいいことのようにそう言った。
「そ、そーするよっ!」
その素っ気ない言い方にまたムキになってしまった。
いっそう気まずい空気が流れる。
「……よし!」
その気まずい空気を破るようにパパが新聞を置いた。「今夜は外食でもするか!」
「え……?」
驚いてパパを見上げる。
「テストの打ち上げしよう。 伊吹くんもナナも勉強頑張ったご褒美だ」
とパパは、パン、とひとつ手を叩いて、「この前、会社の若いのに美味いイタリアンの店教えてもらったんだ。 今まで行く機会がなかったんだが…ちょうどいい。 みんなで行こう!」
とみんなを見回した。
「わぁっ! 楽しみ〜♪」
法子さんが嬉しそうに手を叩く。「ナナちゃんも、夕食ぐらいには体調戻るわよね、きっと!」
パパがあたしと伊吹に気を使っていることはすぐに分かった。
夕べ言い争ってたところも聞かれているし、あたしたちが今微妙な関係だということを心配してるんだと思う。
法子さんも何かしらの空気を感じ取ったみたいで、パパの提案に大げさにはしゃいでいる。
食欲なんか全然なかったけど、せっかく気を使ってくれたパパと法子さんに悪いから、
「……うん、行く」
と肯いておいた。
「伊吹くんも行くだろ?」
今度はパパが伊吹に確認をする。
「オレは……」
と言いよどむ伊吹。
……伊吹は行かないかもしれない。
揉めてるあたしと一緒に食事なんかしたって、せっかくのイタリアンも美味しくなくなっちゃうかもしれないし。
そもそも、あたしと顔をあわせること自体したくないだろうし。
……ていうか、その時間は琴美と会うかもしれないし……
「イタリアン嫌いかな?」
パパが伊吹の顔を覗き込む。
「いや、そんなことないですけど……」
と伊吹は笑顔を作って、「……じゃ、行きます」
と肯いた。
……行くんだ?
絶対断るだろうと思ってたのに……
伊吹の返事を聞いてパパは満足そうに微笑むと、
「良かった。 じゃ予約入れておくから。 人気の店らしいからな」
と言い残して仕事に出かけていった。
「楽しみね〜♪ 私イタリアン大好き!」
法子さんも、自分とパパの分の食器を手早く片付けると、「ナナちゃんもゆっくり休んで夕食に備えといてね!」
と仕事に出かけていった。
パパたちが出かけていき、あたしと伊吹だけテーブルに残ってしまった。
「……」
「……」
再び気まずい空気が流れる。
サク、というトーストを齧る音がやけに大きく聞こえて、余計に緊張してしまった。
……こんな気まずいの、やだな。
いや、今までだって2人きりのときはひどい扱いうけてたし、今さら伊吹にどう思われたっていいんだけどっ!
いいんだけど、ほら〜〜〜……
あ、そうそう、夕食とか!?
せっかくのイタリアンだし楽しく食べたいじゃん? どうせなら。 うん!
パパだってあたしたちの和解が目的で言い出したようなもんだろうし。
パパのためにもこの気まずさどうにかしないとだよね!
でも、どうやって……?
やっぱりこっちから謝っちゃう?
昨日は言い過ぎた、ゴメン、て……
いつもみたいに、
「奴隷が生意気な口ききやがって!」
くらいの憎まれ口は叩かれるかもしれないけど、こんな気まずい沈黙よりはずっといい。
よしっ! 思い切って……
「あ、あのさぁっ!」
トーストとハムエッグを食べ終えて、牛乳を飲んでいる伊吹に声をかけた。 伊吹はコップに口をつけたまま、チラリと視線だけあたしに寄越した。
……もちろん無言。
「あの、さぁ」
あたしは伊吹の方に手を差し出して、「そ、それ! 食べ終わったら洗うからかしてっ! 早く片付けたいしっ!」
……って、何言ってんのあたし―――っ!!
今お皿なんかどうだっていいじゃん!
しかも、
「早く片付けたいから」
とか、また感じ悪い言い方しちゃったよ〜……
「……ん」
伊吹がちょっと急いで牛乳を飲み干し、コップとお皿をあたしの方に寄せてくる。
「そんな慌てて飲まなくても……」
いいのに…とあたしがモゴモゴ言うと伊吹は、
「早く片付けたいんだろ?」
と口元を拭って、「ごちそう様」
と言うなり席を立ってしまった。 そしてそのままリビングを出て行く。
……あ〜あ。 やっちゃった……
余計に気まずくしてどうすんのよ、あたし……
落ち込んだまま食器をシンクに運び込む。
なんでこうなっちゃうんだろう……
気まずいのは嫌なのに。
本当は……仲直りしたいのに。
なのに、伊吹の顔を見るとどうしても素直になれない……
―――いや。
こんなんじゃダメだ。 ちゃんと話しないと!
時間が経てば経つほど余計に話しづらくなる!
マッハのスピードで食器を洗い終え、慌ててキッチンを出た。
予定はないって言ってたけど、
「出かけたきゃ出かける」
とも言ってたし、早くしないと出掛けちゃうかもしれない。
慌てて2階に上がろうとしたら、洗面所に伊吹がいるのを発見した。 どうやら歯磨きをしていたらしい。
「ね、ねぇっ!」
とあたしが声をかけると、伊吹は黙って振り返った。
「今……ちょっと、いい?」
「……いいけど」
立ち話もなんだから、そのまま2人でリビングに移動した。
「あの、さぁ〜…」
ダイニングに座って話し始めようとしたら、ケータイが鳴った。 伊吹のケータイだ。
タイミング悪いなぁ〜…と思いつつ、電話が終わってからでいっか、と待とうとしたら、伊吹はパネルを確認しただけでそのままケータイを閉じてしまった。
「え…… 出なくていいの?」
「あとでかけ直すからいい」
でもケータイはなかなか鳴り止まなかった。
着信音なんか無視して話し始めちゃえば良かったのかもしれないけど、やっぱり気になる……
「……いいよ、出てよ。 鳴ったまんまじゃ気になって話が出来ないからさ」
と出るように促した。
伊吹は黙ってケータイを手にすると、ケータイを耳にあてながら席を立ってリビングから出て行ってしまった。
……? なんでここで話さなかったんだろう?
あたしがいたら話しづらい相手だったのかな……
―――……って、はっ!
もしかして、電話の相手って元カノの琴美じゃない!?
だからあたしの前じゃ話しづらかったんじゃないっ!?
平日だし、他の学校の子は授業中のはずだから、かかってきた電話も校内の友達からだと思ってたけど……
あれだけ伊吹に執着してた琴美のことだ。 休み時間にかけてきたっておかしくない。
なんでそういうことに気付かないかな、あたしっ!
電話の相手は絶対琴美だ!
間もなく通話を終えた伊吹がリビングに戻ってきた。
「……また琴美ちゃんですか」
ついつい嫌味口調になってしまう。
もう……なんであたし、仲直りしようと思ってるそばから……
なんか琴美が絡んでくると、思わず突っかかりたくなっちゃうんだよね……
あたしの嫌味口調に伊吹は眉間にしわを寄せると、
「……そうだよ」
とケータイとお財布をジーンズのポケットに突っ込んだ。 そしてそのまま玄関に向かう。
どうやら出掛けるらしい。
……またおなかの中がモヤモヤしてきた。
「まーた呼ばれてホイホイ出て行くんだっ? ほんっと優しい元カレだよね!!」
玄関まで追いかけてきて嫌味を言うあたしに、伊吹が振り返った。
「ああ、琴美がかわいそーだからな」
「ッ!! あ、あぁ〜そうですかっ!!」
あ〜〜〜!
なんでこんなにイライラするんだろ!?
と、あたしがワケの分からない感情を持て余していたら、
「……だから会いに行って……ちゃんと終わりにしてくるよ」
「え?」
「今のままじゃ逆に傷付けるんだろ? だから今日で終わりにしてくる」
伊吹はそれだけ言うとさっさと家を出て行ってしまった。
……それって、琴美と別れてくるってこと?
って、もう別れてるんだっけ。
でも、もう別れてる相手との関係を終わりにするって……どうするんだろ?
経験がないからまったく分からないけど。
伊吹がなんて言うのか分からないけど、あの子納得するかな?
結構しつこそうな気がするんだけど……
なんてことを心配しながら、気が付いた。
―――さっきまであんなにイライラしてたのに……
なんだろう、ちょっと落ち着いた気がする……
???
あ! きっと、アレだ!
伊吹があたしの言うことを聞いてくれたからだ!
あたしが昨日の夜、
「それであの子に優しくしてるつもり? 余計に傷付けてるだけじゃん!」
って言ったのをちゃんと聞いて、あたしが言った通りに行動したから!
だからだ!
奴隷の言うことに初めてご主人様が耳を貸してくれたって感じ?
そう思ったら、気分が落ち着いてきたどころかウキウキとさえしてきた。
パパや法子さんには体調を心配されて、
「今日は1日寝ていた方がいい」
って言われてたけど、今はもう全然平気だ。
あとは、伊吹がどう上手く琴美を納得させられるかだよね……
そわそわしながら待っていたら、お昼を過ぎた頃に伊吹が帰ってきた。 音を聞きつけ慌てて玄関に向かう。
「ど、どーだったっ?」
伊吹はスニーカーを脱ぎながら、
「あー、泣かれたけど…… もう無理だって言ったら最後には分かったって」
「そーなんだ…… でも、良かったじゃん!」
あたしがそう言ったら、伊吹はあたしを見上げて、
「……なにお前。 オレが帰ってくんの待ってたの?」
「は…… はあっ!?」
「玄関まで迎えに来るとか」
と伊吹は意地悪そうに笑った。
「ばっ……! そそそんなことあるわけないじゃんっ! 自惚れないでよねっ!!」
あたしがどもりながら否定したら、伊吹は楽しそうに笑った。
ここんとこ気まずい関係だったから、伊吹のこんな笑顔を見るのは久しぶりだ。
伊吹は笑いながらリビングに入ってくると、
「あ〜、なんか肩凝ったな。 おい、奴隷! 肩揉め!」
と、ドカッとソファに座った。
「はあっ!?」
「昨日までの期末テストで勉強しすぎたからな、メチャクチャ肩凝ってんだよこっちは。 文系と違って」
「!!!」
な、なによそれ―――っ!
また人のこと馬鹿にしてっ!!
「なんだよ、ヤなのかよ。 ……あれ? お前なんで奴隷になったんだっけ?」
と伊吹はわざとらしく考え込む素振りをする。
「〜〜〜分かりましたっ! 揉めばいいんでしょ、揉めばっ!!」
伊吹が座っているソファの後ろに回りこむ。 その決してがっしりしてるとはいえない肩を力任せに揉んでやった。
「いっ!?」
肩を捻るようにして伊吹があたしの手から逃げる。 そしてあたしを睨み上げた。
「なんだよ!? そのバカ力はっ!?」
「だって、メチャクチャ肩凝ってるって言うから、こっちも気合入れて揉まないと…と思って」
すまして言ってやる。
「何が気合だよ! それ絶対わざとだろ!?」
「えー、そんなことないよぅ」
「……お前、覚えてろよ?」
なんて文句を言われながらも、なんだか楽しい気分の自分が不思議だ。
そんな感じで夕方まで伊吹と2人で過ごした。
6時頃法子さんが帰ってきた。
「良かった! ナナちゃん体調良くなったのね!」
「あ……はい。 心配かけてすみませんでした」
……そうだった。 朝は体調悪かったんだっけ、あたし。
なんかすっかり忘れてた。
「お父さんもあと30分くらいで駅に着くみたいだから、もうちょっとしたら出掛けましょうか」
パパとは駅で落ち合って目的のイタリアンに行くみたいだ。
「私ちょっと着替えてくるわね」
と法子さんは寝室の方に向かう。 あたしも自分の格好を見下ろして、
「どうしよう、あたしも着替えた方がいいかな……」
「そのままで平気よ。 気軽なお店らしいし。 私も楽な格好に着替えるだけ」
「そーですか?」
法子さんのセリフに安心していたら、
「それに何着たって中身が中身だしな」
と伊吹。
「なんか言ったっ!?」
余計なことを言う伊吹を睨みつける。 そのとき、
―――ケータイが鳴った。
伊吹のケータイだ。
ドキリとして伊吹を見上げる。
伊吹はチラリとあたしを見たあとケータイを取り上げた。
……もしかして、琴美?
あたしの考えが表情で分かったのか、伊吹は、
「……あいつじゃない」
と言ってからケータイに出た。
琴美じゃないと分かりホッとする。
今度こそ校内の友達かな?
もしかして今から遊ぼうとか……
でもこれからみんなでイタリアンだし、断らないとだよね。
そんなことを考えながら通話している伊吹を眺めていたら、その横顔が段々曇ってきた。
最初から言葉少なで、殆ど相手の話に肯いているだけだった伊吹が、
「……マジかよ」
最後には呻くようにそう言って、「どこの病院っ!?」
と早口でケータイの相手に問いただした。
病院? ……って、なに?
その単語を聞いて一気に不安になった。
考えたくないのに、どうしても琴美の顔が脳裏をよぎってしまう。
前に伊吹と別れたとき、ショックで入院までしてしまった琴美。
もしかして今回もショックで倒れたりとかしたんだろうか……?
伊吹は慌ててケータイを閉じると玄関に向かった。
「ど、どこ行くのっ!?」
あたしも慌てて伊吹のあとを追った。
「三橋病院」
伊吹はスニーカーを履くのももどかしそうに、「琴美が手首切ったって」
と言うと玄関を飛び出して行ってしまった。
「手首って…… えぇっ!?」
う、うそでしょ……
なんで?
今日伊吹が終わりにしようって言ったから?
「もう無理」
って言われたから?
だから…… 手首切っちゃったの?
それって、自さ……
「法子さんっ! ゴメンっ、あたしたち出掛けてくるっ!!」
ノックもせず寝室に飛び込み、着替えていた法子さんに声をかけた。
「出掛けるって……え? 一緒でいいじゃない」
法子さんは、あたしたちが出掛ける先がイタリアンだと思っている。
「ごめんなさいっ、急いでるのっ! あとで行くからパパに謝っといてっ!」
事情が事情なだけに詳しく話すことも出来ないし、またそんな時間もなかった。
あたしも慌てて救急指定の三橋病院に向かった。
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