真昼の月
  #2  鈍る思考回路


翌朝。
俺がキッチンに立っていたら、詩織がパジャマ姿のままやっとリビングに下りてきた。
「おはよう」
「・・・ん」
詩織は眠そうな目を擦りながらダイニングテーブルに座り、「・・・ハルくん、早いね」
「そう? 慣れてるから全然分かんないけど」
お前が遅いんだよ! あと30分で登校しないと遅刻するぞ?
俺だって、お前がいなければとっくに登校してる時間なんだよ!
・・・・・笑顔の裏でそう毒づく。
俺は毎朝6時には起きる。
頭を使う3時間前には起きる、小さい頃からの習慣だ。 じゃないと、脳が正常に働かない。
県内トップクラスの進学校でそれなりの順位を保つためには、これぐらいのことにも気を使う。
「そっか・・・」
それに比べて詩織は寝起きそのものといった顔をしている。 朝は弱いらしい。
昨日みたいに先に行ってしまっても良かったんだけど、今後のために少しでも心証を良くしておく。
俺がコップに牛乳を注いで、
「なんか食う? トーストとハムエッグくらいなら作れるけど・・・」
と詩織の前に出してやったら、
「・・・・・・あたし、牛乳キライ」
と詩織はそれを押し返してきた!
―――あ〜そーかよっ!!
ったく、こっちが親切にしてやってるっていうのに・・・ と、一瞬ムッとしかけて、
いや、これも復讐のためだ。 我慢しないと・・・
と溜飲を下げる。
それに、敵キャラが強い方がゲームだって面白い。
「そーなんだ? 知らなかった」
ムッとした表情を表に出さないようにしながら、コップを持ってキッチンに戻る。
「でも、目玉焼きだけ食べたい」
そう言いながら詩織もキッチンに入ってきた。
「・・・手際いいね?」
俺がフライパンに卵を割り入れていたら、詩織がそれを背後から覗き込んで来た。
「母親が死んでから自分でやってたから。 つか・・・」
一瞬言い淀む。「・・・そっちこそ料理上手いじゃん」
「詩織」と呼ぶべきか、「詩織さん」と呼ぶべきか迷ってしまった。
・・・「お姉ちゃん」とは、口が裂けても呼ばない。
「そうでもないよ。 簡単なものばっかりだし・・・」
「今度教えてよ」
ちょっと詩織に顔を近づける。「・・・料理上手い子って、好きだな。 俺」
「ハルくん・・・」
俺が見つめたら詩織も見つめ返してきた。
やっぱり、女なんてチョロい・・・
思わず口角が上がりそうになるのを堪えていたら、
「・・・もしかして、みんなにそういうこと言ってるの?」
と詩織が腰に手を当てて軽く俺を睨んできた。
「は?」
「あたしだからいーけど・・・ 他の子だったら絶対カン違いするよ!? そんじゃなくてもハルくんカッコいいんだから・・・」
「いや、あの・・・」
「もういいっ! 自分で焼くから、貸してっ!」
なぜか最後にはちょっと怒ったようにして、詩織は俺からフライパンを奪おうとした。
「ちょっ、危ねーだろっ!? 放せよっ! 俺が焼くからいいって!!」
「自分で焼くっ! ハルくんこそ、放してよっ!!」
「火傷すん―――・・・・」
腕にしがみつく詩織を振り払ってやろうと見下ろして・・・・・・ 一瞬動きが止まった。
「はい、貸してっ!」
その隙に詩織は俺からフライパンを奪ってしまった。
「あん、もう焦げてる〜〜〜・・・」
と言いながらフライ返しで目玉焼きを皿に移す詩織。
その詩織に、もう一度確認しようとして、うっかり視線を走らせてしまった自分に恥ずかしくなる。
――――なんであんなに色薄いんだよ?
詩織の開襟パジャマの襟から、一瞬だけその胸元が見えてしまった。
美和のとは大分色の違う・・・ 桃色の、乳首が・・・・・・
―――つーかっ!
なんでノーブラなんだよ? 年頃の男がいる家で!
もっと警戒心持てよっ! 腹立つっ!!!
うっかり視線を走らせてしまった恥ずかしさを詩織のせいにして、腹の中で毒づいた。
「・・・んじゃ、あと自分でやって」
腹を立てたままそう言ってキッチンを出る。
クソ・・・
手なずけてやろうと思っていたのに、結局思うような展開に持っていけなかったことにさらに腹が立った。

「え? もう帰るの?」
セックスが終わって早々にベッドから起き出して制服を着たら、美和がちょっと驚いた声を上げた。
「まだ時間あるじゃない。 ・・・ていうか、最近ハル帰るの早くない?」
「そ?」
「そうよ。 あの子が来てから・・・ って、まさかハル・・・?」
美和がベッドから半身を起こす。
「・・・まさかでしょ? 俺たち姉弟だよ?」
「・・・義理の、でしょ。 本当はただのイトコじゃない」
美和が眉を寄せる。
今までは美和とホテルに入ったとき、セックスのあと時間いっぱいまで抱き合ったりして過ごしていた。
だから、まだ1時間以上も時間があるのに帰ろうとしている俺を、美和が不審に思うのも無理はなかった。
と言っても、俺の気持ちが変わったと言うわけじゃない。
元々俺は、美和とはセックスだけ出来ればそれで良かったんだけど、美和がそうして欲しいことを知っているから、今までしていただけだ。
俺は美和のプライドに甘えている。
その後ろめたさから、美和の喜ぶことは出来るだけしてやりたいと思っていた。
なのに、美和が言うとおり、俺は詩織が来てから帰宅するのが早くなっている。
でもそれは、美和が心配するようなものじゃなく、復讐という名のゲームをクリアするためだ。
「作らなくていい」
と言ったのに、詩織は相変わらず夕食を作っている。 しかも、自分の分だけじゃなく、
「1人分も2人分も、手間は変わらないから」
と俺の分まで用意していた。
別に詩織が作った夕食なんか食わなくたって構わないんだけど、食べてやった方が詩織が喜ぶ。
ゲームクリアの近道にもなる。
だから、出来る限り詩織と一緒に夕食を摂るようにしている。 それだけだ。
引き止める美和にテキトーな言い訳をして、俺はそそくさとホテルをあとにした。

「あれ?」
家に帰り着く頃にはすっかり日が落ちていた。
なのに、玄関外の灯りがまだ点いていない。
いつもだったら、先に帰っている詩織が点けているはずなのに・・・
腕時計を確認しながら玄関の鍵を開けようとしたら、
「ハルくん?」
と詩織が帰ってきた。
制服のまま買い物袋を手にする詩織を見下ろして、
「・・・・・今帰り?」
「うん。ごめんね? ちょっと友達と寄り道してたら遅くなっちゃって・・・」
すぐ夕食の支度するね、と言いながら詩織が鍵を開ける。
「友達って・・・ 学校の?」
「うん」
俺たちの学校は、女の3倍の男がいる。
―――もしかして、男か?
・・・だとしてもおかしくはない。
タクヤやクラスの男どもが噂していたくらい、詩織は外見に恵まれている。
その上、割りと明るい性格だから(俺にはただの能天気にしか映らないが)当然のように男に好かれているみたいだった。
―――これはゲームクリアを急いだ方がいいかもしれない。
「手伝おっか?」
勉強を後回しにしてキッチンに入って行った。
「ありがと」
「・・・今日、何?」
調理スペースいっぱいに出された野菜や卵。 材料だけじゃなんなのか全然見当もつかない。
「ミートローフ」
「え?」
・・・自分じゃ作ったことないものだった。
俺が手伝えないことが分かったのか、
「すぐ出来るから待ってて?」
詩織は首を傾げながらそう言った。
アイテムが足りなくて対戦できない・・・・・・
大人しく肯いて自分の部屋に戻る。
一緒に生活するようになって1ヶ月半。 詩織の色々なことが分かってきた。
料理や掃除洗濯などの家事一般がこなせること。
髪は自分で切っていること(初めて聞いたときは驚いた)。
占いを信じないこと。
朝が苦手なこと。
牛乳が嫌いなこと・・・
特に朝は本当にダメらしく、夕飯は短時間でそれなりのものを作れるくせに、朝はトースト1枚焼くのも大変らしい。
ゲームクリアのためもあって、仕方なく朝は俺が用意してやっている。
それでも、他人が(って、本当は異母姉弟だけど)ウチの中にいるっていうのは、もっと窮屈なものだと思っていたけど・・・・・ 詩織との生活は予想外に快適だった。
と言っても、心を許したワケじゃない。
ただ・・・・・・
帰ったときに自分で明かりを点けなくても済む。
洗濯物がきれいにたたまれてある。
夕食の用意がされている・・・
そういったところが・・・・・・ 便利・・・
・・・そう、便利なだけだ。
「ハルく〜ん! ご飯出来たよ〜!」
予習をやめてリビングに下りていく。
食欲をそそる匂いが漂ってきた。
詩織と向かい合わせに座って、手を合わせる。
「美味そうだね」
キッチンで見た野菜が食卓に上がってないことにちょっとだけ首を捻りながら、ベーコンで包まれた肉にナイフを入れた。
「・・・・・何これ?」
「ミートローフだよ。 野菜いっぱい入れてみました♪」
切った肉の断面を見てみたら、挽肉の間にインゲンや人参やゆで卵が・・・
あ。 じゃが芋まで入ってた・・・
「一応ね、人の顔になってるの。 かわいいでしょ?」
挽肉の間に入っている野菜が、見ようによっては人の顔に見えなくもない。
「ハルくん喜ぶかと思って」
って、子供かよっ!?
そのセリフはスルーして、切った肉片を口に入れる。 味は・・・まあまあだ。
「それに野菜たくさん入れるとお肉少なくてすむし。 経済的でしょ?」
この能天気な女に、経済観念なんかあったのか・・・
「・・・ケッコー考えてんだ? 意外と」
意外と、という俺のささやかなイヤミはささやかすぎたらしい。 詩織はそんな事には全く気付かず、
「うん。 お母さん、入院長かったから・・・ 考えが主婦っぽいって、前の学校でも言われてた」
と言って笑った。
「へぇ・・・」
「なんか・・・色々苦労するね? お互い」
「え?」
詩織の意外なセリフに、思わず顔を上げる。
「ハルくんだって色々出来るじゃない? 料理とか・・・ 別に好きでやってたワケじゃないでしょ」
「あ〜・・・」
再び皿に視線を落とした。
俺たちの間に変な空気が流れる。
―――詩織が家事一般が出来ることは、当たり前のことじゃなかった・・・
女だし、多少は好きってところもあったろう。
けど。
・・・・・やらなきゃならない。
それが最大の理由。 ・・・俺と同じだ。
お互い母親を亡くして、それなりに苦労してきた・・・
そんな、同士にも似た感情を詩織に抱きそうになり、慌てて首を振った。
いや、こいつは同士なんかじゃない! 俺の方が何倍も苦しんできた!
こんな能天気な女が俺と同じように苦しんできたわけがないっ!!
「ごちそうさまっ」
慌てて席を立った。
「え? もう?」
詩織が驚いて顔を上げる。「・・・もしかして美味しくなかった?」
―――美味しくなかった。
腹立ち紛れにそう言って、詩織を傷付けてやろうと思った・・・・・・のに。
「・・・・・・腹が痛いだけ。 残りは明日の朝食べるから・・・」
意外な言葉が口を突いて出てきた。
「大丈夫? 薬とか飲んだ方がいいんじゃない?」
詩織が慌てて席を立とうとする。 俺も慌てて、
「や、そんなんじゃないから! 寝てれば治るし・・・」
と逃げるように自分の部屋に戻った。
俺はイライラしていた。
自分が何をしたいのか分からない。
―――詩織に復讐してやりたい。
その気持ちは初めから、そして今も変わっていない。 そのためにするべきことも分かっている。
なのに、思ってもみない感情に流されそうな自分がいて・・・
一瞬でも、
「詩織も自分と同じように・・・」
なんて考えてしまう自分がいて、それでイライラしている。
しっかりしろ、俺!
苦しんできたこの5年間の復讐をするんだろ?
情に流されて目的を見失うなんて、馬鹿のすることだ。
俺は馬鹿じゃない。
―――今までどんなゲームにだって勝ってきたじゃないか・・・

「ハル。 今日帰りにカラオケ行かね?」
帰ろうとしてカバンを肩にかけたところでタクヤに声をかけられた。
今日は美和も職員会議で遅いから、先に帰ることになっていた。
というか、最近美和と会う時間が減ってきた。
セックスより夢中になれるゲームを手に入れたからだ。
詩織は今まで付き合ってきたどの女ともタイプが違っていた。
単純な色仕掛けには少しもなびかなかったし、逆に、
「カン違いさせるような言動は控えるべきだよ!」
と俺に説教したりする。
かと思えば、こっちがなんの意識もしてないようなところで、
「ハルくんって、優しいよね〜」
とか感激している。
頭はいいはずなのに、どっか抜けていたりもする。 寝起きのノーブラも相変わらずだ。
とにかく、こっちの予想がつかない分、ゲームもなかなか進まなかったりする。
けれど、そんなゲームが面白くてしょうがない。
「カラオケ?」
「うん。 つーか、来て? 来てくんないと困る」
こうやって、突然タクヤに誘われるのは初めてじゃない。
「花高の子とカラコンすることになったんだけどさ、絶対お前入れろって条件付きなんだよな」
花高っていうのは、俺たちの高校と道一本挟んだ向かいにある女子高だ。
中学ならともかく、高校では今時珍しいセーラー服のお嬢様学校。
俺たちの高校に女が少ない分、花高との交流は昔から多かった。
偏差値は58程度だけど、カワイイ子が多い。 遊ぶ女を捜すには手頃な学校だ。
「・・・そんな条件付けられて、腹立たないの? お前」
「ん〜・・・ 立たなくもないけど、別なトコ勃てられるんだったら全然? 我慢できる」
「・・・あっそ」
羨ましいプライドの低さだ。
断ってもよかったんだけど、ここで断ったらタクヤの顔が立たない。
タクヤのないに等しいプライドを守ってやるために、俺は首を縦に振った。
「1次会だけだからな?」
「え〜〜〜っ?」
「それが嫌なら、行かね」
「や! いいです、いいです」
タクヤが慌てる。
とりあえず遅くなることを詩織にメールする。
ゲームクリアのために一緒に夕食を取るようになってから、遅くなるときにはメールを入れるようになっていた。
俺から入れるようになったのか、それとも詩織から言われて入れるようになったのか・・・その辺は覚えていない。
ただ気が付いたらそういうことになっていた。
『遅くなるから、今日はメシいらない』
それだけ送った。
いらないと言っても、いつも詩織は俺の分まで作っているんだけど・・・
まぁ、作った分は明日の朝に食べればいいか・・・
「つーかさ、最近ハル付き合い悪くね?」
「そーか?」
「そーだよ! ゲーセンだってあんま行かなくなったしさ」
もっと面白いゲームが手に入ったからな。
そんな話をタクヤとしていたら、詩織から返信が来た。
『分かった。私も遅くなるから外で食べて来て下さい』
レスの内容に、しばらくケータイから目が離せなかった。
私も遅くなる・・・
別に詩織に家事を強いているわけじゃないから、詩織がどういうふうに時間を使おうと詩織の勝手だ。
「親父も俺も時間不規則だからメシも作んなくていいし。お互い好きなようにやろうよ」
とウチに来た当時にも言ってあった事だ。
だけど、詩織はいつだって俺より先にウチに帰り着いていて、ウチの中のことを色々やっていた。
今まで詩織が俺より遅く帰ってきたことは一度だってない。
「どした?」
タクヤが声を掛けてくる。
「・・・なんでもね。 つか、やっぱ最後まで行くわ」
1次会で帰ったら、詩織より先にウチに帰ることになるかもしれない。
・・・電気の点け方なんか忘れた。
「マジでッ!? ラッキー! ・・・ってお前、女1人占めすんなよ?」
「それは女に言ってくれ」
「ホントムカツクよ、お前!!」
タクヤと数人のクラスメイトと連れ立って、駅に近い 雑居ビルに入ったカラオケボックスへ向かった。
「8人で・・・ん〜と、とりあえず3時間!」
狭いフロント前でタクヤが受け付けするのを待つ。
「工藤くんて〜、普段どういう系歌うの〜?」
「演歌」
「何それ〜〜〜!? チョーウケる〜〜〜!!」
とセーラー服の女が手を叩いて喜ぶ。
笑いの沸点の低さに驚いていたら、目の前のエレベーターの扉が開き、新たな客がやって来た。
黒い学ラン集団・・・ 俺たちと同じ第一高のヤツらだ。 ・・・多分3年。
「オレ、ミスチルいっちゃおうかな〜」
受験生がよくこんなトコで遊んでられるよな・・・と呆れながら視線を戻そうとしたら、
「出た! 長坂 落としたい子の前では必ず“しるし”歌うから、気をつけなね? 詩織ちゃん」
その名前を聞いて驚いて振り返る。
4〜5人の学ランに埋もれている、真新しいブレザー。
小さくて気が付かなかった・・・
向こうはまだ俺に気付いていない。
こっちはセーラー服と一緒だ。 明らかに合コンだと分かる。
ゲームクリアにはかなり不利な条件がそろってしまった。
見つかる前にそそくさとトイレにでも行こうとしたら、
「ハル! お前マラカス持ってきて?」
と両手にタンバリンを抱えたタクヤに大声で呼ばれてしまった。
――――思わず舌打ちする。
タクヤはそんなことには微塵も気付かず、クラスメイトやセーラー服を連れて部屋の方に移動しようとする。
「・・・ハルくん?」
詩織が背伸びをするようにして、俺の方を窺ってきた。 仕方なく振り返る。
「・・・あぁ! 全然気付かなかった!」
詩織は俺の背後に見えるセーラー服を気にしながら、
「あたしも。 ・・・ハルくんもカラオケ?」
・・・・・・カラオケボックスで会ってんだから、カラオケしに来たに決まってるだろう。
「うん」
つーか・・・ 詩織が遅くなる理由ってこれだったのか・・・
「なになに? 詩織ちゃんの知り合い?」
詩織と一緒にいた3年の1人が俺たちの間に割って入ってきた。「つか、君ウチの2年生だよね? 見たことある」
人懐っこい笑顔を向けるこいつは、俺たちの高校の生徒会長だ。
名前は長坂・・・・・・ 下の名前までは知らない。
頭がいいくせに愛想も良く、人望も厚い生徒会長。
去年のマラソン大会では、全校で4位に入った・・・
・・・俺はこの手のタイプが苦手だ。
そんな完璧な人間なんて、この世にいるわけがない。
だからこの手の人間に会うと、何か裏があるんだろう、何か腹に隠し持ってるんだろう・・・と疑ってかかってしまう。
そう構える分、疲れる。
探るような、好奇心丸出しの色を隠しもしないで、長坂が俺を見る。
その視線で すぐに、長坂が詩織に気があることが分かった。
まぁ、長坂だけじゃなく、詩織と一緒にいる男全員が、多少なりとも詩織に好意を寄せていることは手に取るように分かるけれど。
「あたしの弟なの」
詩織が長坂を見上げる。
「弟?」
長坂が眉間にしわを寄せて詩織を振り返る。
長坂が不審に思うのも無理はない。
詩織は転校生でこの4月にやってきたのに、俺のことはそのずっと前から校内で見かけていたのだから。
詩織が簡単に説明したら、長坂も納得した顔をして、
「・・・なんだ。じゃ、義理の姉弟って事? ホントはイトコなんだ?」
「うん。 あたしの方が3ヶ月年上だし、お姉さんなの」
「へぇ・・・」
また長坂が俺を見る。「いいね? 急にこんなカワイイお姉さんが出来て」
さっきと同じ好奇心をたたえた瞳に―――微かな警戒心をプラスして。
「あたしも可愛い弟が出来て嬉しいの」
「やっぱ似てるよな? 目元とか・・・」
「そっかな? あんまり似てないと思うけど・・・」
詩織とイトコだということを話したとき、タクヤにも同じことを言われた。
似てねーだろっ!? 俺とこの能天気な女のどこが似てるんだよっ!!
「詩織!」
気が付いたら俺は、そう怒鳴っていた。 詩織と長坂がちょっと驚いた顔をして俺を見る。
「・・・帰ろう」
「え・・・?」
詩織が戸惑う。「どーしたの?」
どーしたの・・・・・・って。
俺が聞きたいっ!!
なんで俺は急にそんな事を言い出したんだっ!?
思いもしない自分の奇行に自分で驚く。
「や・・・・・・」
視線が泳ぐのが自分でも分かる。「・・・腹痛い」
・・・って、またかよっ!?
言った後、前にも詩織の前から逃げ出す際に、腹が痛いと言ったことを思い出す。
「えっ!?」
詩織が驚いて俺の顔を覗き込む。「だ、大丈夫っ!?」
2度も同じ手を使った気まずさに、俯いたまま小さく肯いた。
「ごめん、あたし帰るっ!」
詩織が俺の腕に手を掛けたまま、長坂を振り返った。
「おいおい・・・ マジで? 1人で帰れんだろ? つか弟くん、トイレそっち」
長坂が呆れながら廊下の奥を指差す。
「ハルくんはお腹壊しやすいの。 デリケートなんだよ」
や・・・ そんなこと言ってくんなくていいんだけど・・・
つか、ホントに俺、何言っちゃったんだよ・・・
「だからって、なんで詩織ちゃんがついてくの」
「だって弟なんだよ? 心配じゃないっ! ・・・行こ、ハルくん」
また小さく肯く。
「詩織ちゃん!」
詩織と一緒にエレベーターに乗ろうとしたら、長坂に声を掛けられた。
「・・・帰ったらメールして?」
一瞬黙った後、分かった、と詩織は肯いた。
「大丈夫? ハルくん」
帰る間中、詩織は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
全然痛くなかったけど、一応腹を押さえて肯く。
「・・・つか、そっちこそ大丈夫なの?」
「え?」
「あの人・・・長坂さん? あんたのこと好きなんじゃないの?」
「え・・・」
詩織の表情が固まる。 ―――図星か・・・
多分、告白された。
じゃなかったら、俺の色仕掛けにも引っかからなかった詩織が、長坂の気持ちに気付くわけがない。
「・・・・・・付き合うの?」
「・・・・・・分かんない」
そう言って詩織は顔をそらした。 迷ってるって顔だ。
「あの人いい人じゃん。 頭いいし人望あるし」
俺が試しにそう言ったら、
「・・・だよね」
と詩織も肯いた。
「・・・じゃ、悩むことないんじゃないの?」
・・・・・・って。
何言ってんだ。俺は・・・  そんなこと微塵も思ってないのに、勝手に口が・・・
ホントに今日の俺、どうかしてる・・・
そんな話をしていたら、いつの間にかウチまで帰り着いていた。
ポケットからカギを出す。 ―――自分でカギを開けるのは久しぶりだ。
夕暮れのせいで薄暗い玄関。
「そう思う?」
玄関で靴を脱ごうとしたら詩織が小さくそう呟いた。
「え? 何?」
詩織を振り返る。
「あたしが長坂くんと付き合った方がいいって・・・ ハルくんもそう思う?」
詩織は俺を見上げていた。
・・・・・・なんだ? この流れ・・・
つーか、待て? 俺、やんなきゃいけないことが・・・
そーだ! ゲームクリア!!
長坂の登場でうっかり忘れそうだったけど、それを一番に考えて・・・
でも焦って変な事言ったら・・・ いや、変なことなら、腹痛を訴えた時点ですでに・・・
とにかく、一発で落とせるようなセリフを吐かないと、あとからエントリーしてきた長坂に・・・
いや、あとからも何も関係ない。
長坂はすでに詩織に告白してしまっている。俺の方が一歩遅れているくらいだ。
ちょっと、待て・・・ 落ち着け・・・・・・
いつもは冷静なはずの思考回路がメチャクチャだ。 ・・・焦りすぎて、何を言っていいのか分からない。
「・・・そう思う?」
詩織の瞳が俺を捉える。 その瞳が微かに揺れている。
―――目をそらせなかった。
心臓が早鐘を打ち始める。
腋がしっとりと汗ばんできて・・・・・・
瞬きも出来ず・・・ もしかしたら呼吸すら止まっていたかもしれない。
「・・・俺にはカンケーないことだよ」
ほんの一瞬・・・でも、永遠にも思えた時間をそんなセリフで終わりにする。必死に視線をそらす。
「・・・そうだよね」
と詩織も視線を足元に落とした。
「そうだよ」
そう言って、今度こそ靴を脱いだ。
なんなんだ・・・ 今の間は・・・
今日の俺、マジでおかしい。 いつもみたいに頭が回転しない。
腹が痛いって言うのはウソだけど、もしかしたらマジでどっか調子悪いのかも・・・
「・・・・・・あ」
俺に続いて靴を脱ぎかけた詩織が呟く。
「何?」
振り返ったら、詩織はちょっと俯いたまま、
「ごめん。買い物行って来る」
「え?」
「冷蔵庫に何もないの」
「そんなん・・・ ピザでも取ればいいよ」
「や、でも・・・ やっぱり、ちょっと行って来る」
そう言って靴を履き直すために前屈みになる。
真新しいブレザーの肩から、栗色の髪がさらりと落ちてきた。
そのまま俺の方を振り返りもしないで、詩織は玄関を出て行こうとする。

―――やっぱり今日の俺おかしい。

自分の行動が自分でもよく分からない。
何してんだって。
こんなの俺らしくないだろうよって。
・・・・・・あとからそんなことを考えた。

「・・・・・・ンッ」

気が付いたら、俺は靴下のまま玄関に下りていて、詩織はドアノブに手をかけたまま、ただ固まっていた。
触れ合った部分が熱を帯びたように熱かった。

詩織の肩と俺の胸が。

掴んだ俺の指先と掴まれた詩織の細い顎が。

俺の唇と詩織の唇が・・・・・・

―――火傷しそうなほど、熱い・・・


ホントに俺、どうかしてる・・・・・・


薄暗い玄関で、俺は何度も詩織の唇を食んだ。

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