5月7日

「17番買った? 写ってるよ?」
ゴールデンウィーク明けの廊下にちょっとした人だかりが出来ている。
「お。 この前の遠足の写真じゃん! 見てこーぜ!」
横を歩いていた窪田がオレの制服を引っ張った。
「やだよ。 メンドくせぇ」
オレがそう言ったら窪田は驚いた顔をした。
「え? 矢嶋買わねーの?」
「・・・つか、人いっぱいじゃん、今」
誰も買わないとは言ってない。 ・・・・・つか、絶対買うし!
―――ただ、お前と一緒には・・・ 1人じゃないと、選びづらいんだよ!
廊下には、先月遠足で行った航空博物館のスナップ写真が貼り出されていた。
その一枚一枚に番号がふられていて、欲しい写真はその番号で注文することになっている。
イチイチ誰が何番を買ったかなんてチェックするヤツはいないだろうけど・・・
けど、やっぱ 何番を買ったかとか人に知られたくないからな。
それに、他に誰かいたりしたら、じっくり見れねーし・・・・・ アイツの写真・・・・・
そんなオレの胸中を知らない窪田は、
「んーじゃ、オレちっと見てくわ」
と言いながら人だかりに交ざっていく。
「おー」
くそっ、みんなさっさとどっか行けよ!!
見当違いな怒りを窪田と人だかりに向けて、仕方なく5年4組の教室に戻る。
昼休みの教室には疎らにしか人が残っていない。 みんな校庭に遊びに行っているか、今日は貼り出された写真を見に行っているのかもしれない。
そんな教室に市川が残っていた。
―――トクン、と小さくオレの心臓が跳ねる。
それを掻き消すようにして、オレはわざとらしく足音を立てて自席に向かい、そのままの勢いで席に座った。
「はぁ〜あっ! だっりー!」
市川がちょっとだけこっちを振り返る。
「・・・もうちょっと静かに座れないわけ?」
市川の席とオレの席は通路を挟んで隣同士だった。
「だって連休明けにいきなり6時間授業とか、マジだりーじゃん」
「それはそーだけど」
「つか、市川なにやってんの?」
市川は算数のノートを広げていた。「・・・もしかして、宿題忘れてた・・・とか?」
「う、うるさいなぁ!」
と市川が顔を赤くする。 図星だったみたいだ。
「やベーじゃん。 忘れたら放課後職員室掃除させるってナベセン言ってたし」
しょーがねーからオレの見せてやろーか・・・と言おうとしたら、
「や、大丈夫。 今終わったとこ」
「・・・あ、っそ」
机に突っ込みかけた手を引っ込める。
・・・早ぇーんだよ! もっと手間取れよ! ・・・・・オレのノート見せたかったのに。
宿題を終えた市川が机の上を片付けていたら、
「真由―――! この前の遠足の写真貼り出されてるよ! 見に行こっ!」
とクラスの女子が教室に入ってきた。
「ホント!? 行く行く〜!」
市川が勢い良く席を立つ。 ・・・その拍子に、机の上から何か転がってきた。
消しゴムだ。
市川は消しゴムを落としたことに気付かないまま、教室を出て行ってしまった。
オレはそっとその消しゴムを拾い、誰も見ていないことを確認してから・・・・・・それを自分のポケットへ入れた。
・・・・・これも万引きとかになんのかな?
いや、落ちてたやつだし、使いかけだし・・・大丈夫だろ!? なんねーよな!?
そうだ!
これはきっと、市川がオレにくれたものだ! そうに決まってる!
だからもらっていいんだ!

―――だって、今日は・・・・・・


5年になって初めて同じクラスになった市川は、他の女とちょっと違っていた。
5年にもなると男と女の違いが段々ハッキリしてくる。 特に女は男より精神年齢も上だったし、男どもがなんかバカなことをやっても、
「子供だよね。男子は」
なんて、4年の頃は一緒になって騒いでたことにも興味を示さなくなってきていた。
そんな中で男子と一緒になって、対等に張り合ってくる女は・・・市川は珍しかった。
クラス替えしたばっかりで、特に男女間ではなかなか話しづらかったりするのに、
「ね、ね? 算数の宿題やってきた? 問6分かんないから見せて!」
とか、
「さっきの実験のとき、リトマス紙少しもらってきちゃった。 いる?」
とか、男女カンケーなく手当たり次第と言ってもいいくらい、みんなに話しかけていた。
オレも初めは単純に、
「なんだよ、こいつ。 女のクセにおもしれーじゃん」
くらいにしか思っていなかった。
実際他の女より話しやすかったから、忘れ物をしたときなんか、机をくっつけて座っている隣の女じゃなく、通路を挟んで隣にいる市川に、
「オイッ、消しゴム貸せよ!」
なんて威張って言ったりして。 それに市川も、
「倍にして返してよっ!?」
なんて言いながら貸してくれたりして。
このときはまだ、好きとか・・・そんな感情はなかった。
一緒にいると面白い。 ただそれだけ。 男友達と一緒。
その男友達同様の女を意識するようになったのは、5年になって初めて行った遠足だった。
前の日眠れなかったっていうのもあったのかもしれない。
調子にのって、まだ出発したばっかりだっていうのに、
「菓子くれよ!」
なんて、周りの女子から巻き上げたスナックを食べ過ぎたのもいけなかったのかもしれない。
ずっと斜め後ろのヤツとふざけあって、後ろを向きっぱなしだったのがいけなかったのかも・・・・・・
いや、理由なんかどうでもいいか。
・・・・・とにかく、オレはバスの中で吐いてしまった。
今思い出しても恥ずかしいんだから、当時のオレは、
「マジ消えたい!」
くらいの勢いだった。
いつも一緒に騒いでいる窪田や青島たちもこのときばかりは、
「マジかよ〜〜〜! 汚ねーなぁ!!」
「ちょ、オレ後ろに移動してもいい?」
とオレから離れて行った。
吐いたときの胃液で喉が焼けるように痛かった。 ・・・けど、それだけじゃない何かが喉の奥を痛めつける。
その何かのせいで、目が熱くなってきた。
「矢嶋くん、吐いたのっ!?」
担任が一番前の席から背伸びをして、オレが座っている後方座席を窺ってきた。
「ちょっと、待ってて!?」
でも、補助座席がたくさん出してあったから、担任はすぐにオレの所に来ることが出来なかった。
なんだよっ! さっさと来いよっ!!
オレが見当違いな怒りを担任にぶつけながら俯いていたら、
「ちょっと、大丈夫?」
隣の席に誰か座ってきた。
驚いて見上げたら市川だった。
「これ、使いな」
とオレにハンカチを寄越す。
いつも、
「矢嶋はぁっ!!」
ってオレを怒鳴りつけてくる市川が、そんなことをしてくれたのが意外で、かなり戸惑った。
「な、なんだよ・・・ 別にいーよ!」
「いくない! どうせあんたハンカチも持ってこなかったんでしょ!?」
「う・・・うるせぇよ」
・・・図星だった。
文句を言いながら、結局ハンカチを借りるオレ。 情けない・・・
「どうせ吐くなら、帰りに吐けばいいのに。 行きにこんなことになったら、せっかくの遠足がブルーじゃん」
と言いながら市川はオレの制服をティッシュで拭いてくれる。
「バーカ。 ・・・そんなコントロール出来たら、吐いてねぇよ」
オレが悪態をつきながら言い訳がましくそんなことを言ったら、市川が顔を上げてオレを見た。
・・・怒ったのか?
せっかく市川がハンカチ貸してくれたり、色々世話焼いてくれてるのに、オレ さっきから悪態しかついてねぇ・・・
本当は、ありがとうって言ったほうがいいって分かってた。
けど、吐いたってこと自体恥ずかしかったのと、いつもは男同然に付き合ってる市川に、礼の言葉を言うのが恥ずかしかった。
「もういいっ! 勝手にしなっ!」
って拭いてるティッシュを投げ出されると思ったら、市川は一瞬大きく目を見開いたあと、
「・・・そりゃそうだよね」
と言ってニッと笑った。
オレは言葉を失ってしまった。
そのあとも市川はオレの制服を拭きながら、何か言っていた。 けど、うるさくて・・・ オレの心臓の音がうるさくて、市川が何を言っているのか全然聞こえなかった。
「ちょっと、あんたたちっ! 吐きたくて吐いたんじゃないんだから、いつまでもからかうの止めなさいよッ!!」
と市川が立ち上がって回りのやつらを怒鳴りつける。
・・・・・バスに酔ったのは、前の日眠れなかったせいでも、スナックの食い過ぎでも、まして後ろ向いてたからとか、そんなんじゃないかもしれない。
―――オレきっと、スゲー病気なんだ。
だって、心臓はものすごい勢いでドクドクいってるし、何か言いたいのに言葉出てこないし、周りでたくさんの馬鹿が騒いでいるのは確かなのに、市川の声しか聞こえないし・・・
こんなこと、今まで・・・生まれて一度だってなかった! 絶対病気だ!!
結局その日は、遠足どころじゃなかった。
いや、吐いたときに騒いでたやつらも、目的地に付く頃にはそんなことすっかり忘れていつもみたいに一緒に馬鹿騒ぎしてたんだけど。
けど、航空博物館にいるあいだ中、いやそれだけじゃなくて、帰りのバスの中でも、オレは市川のことばかり目で追ってしまっていた。
なんだっ!? なんなんだよっ!?
その病気が、初恋なんだって気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
けれど、その気持ちに気付いたからって何が出来るわけじゃなかった。
いや、逆に、今まで普通にしていられたことが出来なくなってしまった。
わざと市川の前で悪ふざけをしたり、市川を怒らせるようなことを言ってみたり、しつこくからかったり・・・そんなことしか出来なくなってしまった。
当然だけど、
「あんたなんか大ッキライ!」
って言われたことも、一度や二度じゃない。
「別に、市川になんか好かれたくねーもん!」
って言いながら、腹ん中で泣いてるオレ・・・・・・ 本物のバカだ。
本当はもっと別に言いたいことがあんのに・・・
たった二文字の言葉なのに・・・・・
―――なんで言えないかな・・・

ぼんやりとそんなことを考えていたら、昼休みが終わるチャイムが鳴った。 ぞろぞろと教室に人が戻ってくる。
市川も手に封筒を持って戻ってきた。 写真を注文するための封筒だ。 すでに番号が書き込まれている。
市川は席に座りながら、
「写真見に行かなかったの?」
行きてーけど、行けねーんだよ!
「・・・今行っても見えねーじゃん、人多くて。 つか、あんな中から自分の写真探すのメンドーだし、別に買わなくてもいーし」
オレがそう言ったら、
「ふうん・・・」
と市川は興味なさそうにそう言って、さっさと向き直り5時間目の準備を始めた。
それだけかよっ!?
もっと突っ込むとか、話広げるとかねーのかよっ!?
・・・って、普段悪態ばっかついてるオレに、市川が気の利いた話をふってくれるわけねーよな・・・
軽く落ち込みながらオレも5時間目の準備をする。
ああ・・・ オレも早く写真見に行きてーよぉ・・・
自分の写真はいらねーけど、市川の写真はメチャクチャ欲しいし!
市川だけが写ってる写真でもいいけど・・・ 出来ればオレと一緒の写真とかねーかな〜
って、並んで写真撮った記憶ねーし、やっぱそれはないか。
いや!? 最悪、後ろの方にちっちゃく写りこんでるとか・・・そんなんでもいいや!
それにはやっぱ、ガン見しねーと探せねーよな・・・
いつなら人いなくなるかな? やっぱ放課後・・・みんな帰んの待ってるしかねーか・・・
そんなことを考えていたら、
「はい」
とオレの机の上にメモが置かれた。 マイメロディの小さなメモ用紙にいくつかの番号が書かれている。
「え・・・?」
驚いて顔を上げた。 市川はシャーペンの芯をカチカチと鳴らしながら、
「それに矢嶋写ってるから、買えば? 探しに行くのが面倒なんでしょ?」
「いや・・・」
探しに行くのが面倒とかじゃなくて、他のヤツらにお前の写真探してんのを見られたくないっつー・・・
っつーか・・・ え?
この番号・・・って、オレの写真・・・?
思わずマイメロディのメモ用紙を見つめる。
「なんか、ケッコー一緒に写ってる写真多かったよ。 あたしたち」
「・・・え」
市川が自分の封筒を振って見せる。
・・・じゃ、これ・・・ 市川と一緒に写ってる写真・・・?
また、トクン、と心臓が助走を始める。
「・・・・・あ、相変わらずおせっかいババァだな」
つい照れ隠しに悪態をついてしまった。 案の定、市川はムッとした顔をして、
「ほんっとムカつくよね、あんたって! 人がせっかく教えてあげてんのにっ! もう、返してっ!」
とマイメロディのメモに手を伸ばしてきた。 オレはそれをかわして、
「やだね! しょーがねーからもらってやるよ!」
とさらに悪態をつく。 ―――自分で自分を殴りてぇ・・・
市川はぷんぷん怒りながら前に向き直った。 それを笑って見ているオレ。
本物のバカだ。 オレは・・・
ホント情けねぇ・・・・・ 素直に礼ぐらい言えよ。
「はいはい! 席に着いて〜! もうチャイム鳴ってるわよ〜!」
担任の渡辺・・・オレたちはナベセンって呼んでる・・・が大きな三角定規を持って教室に入ってきた。 5時間目は算数だ。
ナベセンが黒板にいくつかの式と三角や平行四辺形を書く。
カツカツとチョークが黒板に叩きつけられるような音と、それを必死にノートに書き写す オレたちの鉛筆を走らせる音が教室に響く。
ふと隣の市川の様子がおかしいことに気が付いた。
教科書やノートを持ち上げたり、ペンケースの中を覗き込んだりしている。
・・・・・? 何やってんだろう?
と首を捻りかけて、ハッとした。
―――消しゴムを探してる・・・
オレはそっと制服のポケットを押さえた。
市川の物が欲しくて思わずもらっちゃったけど・・・ 午後まだ2時間授業が残ってることを忘れていた。
消しゴムがなかったらツライよな? しかも、次は国語・・・・・
どうする? 返すか?
でも、今さらだよな・・・
「なんですぐ返してくんなかったの?」
とか聞かれたら、上手い言い訳が思い浮かばない・・・・・
思い切って自分の消しゴムを二つにちぎった。 それの大きい方を市川の机の上に投げてやる。
「え・・・?」
市川が驚いた顔でオレの方を見る。
「・・・やるよ」
「え・・・ でも」
「消しゴムねーんだろ? やるよ」
市川は消しゴムとオレの顔を交互に眺めてから、
「・・・・・ありがと」
と小さく呟いた。

「ん? 祐介、何その消しゴム。 チョー可愛いじゃん!」
ベッドに寝転がって市川の消しゴムを眺めていたら、姉ちゃんが入ってきた。
「勝手に入ってくんなよ!」
慌てて飛び起きる。 けど、オレの抗議を無視して、姉ちゃんはオレのベッドの縁に座った。
「それ、女の子のでしょ? しかも使いかけ!」
「・・・だ、だったら、なんだよ・・・」
「べっつに〜?」
意味ありげな流し目を寄越す姉ちゃん。
くそ・・・ 5歳上だからってなんでも分かってるみたいな顔しやがって・・・ッ!
「用がねーなら出てけよ!」
ムカついたからそう言って姉ちゃんを追い出そうとしたら、
「はい、これ。 プレゼント」
と目の前に封筒が差し出された。
「・・・・・え?」
「なんとかのスーパーレアカード」
封筒を逆さにする。 トレーディングカードが一枚出てきた。
「うわ〜・・・デュエマのカードじゃん。 これ欲しかったんだ! サンキューな、姉ちゃん!」
「どーいたしまして。 って、祐介にはその消しゴムの方が何倍も嬉しいんだろうけど」
「・・・・・まあね」
「ムカつく〜〜〜っ! 小5のくせに生意気よ、あんたっ!!」
「いてっ」
姉ちゃんはオレの頭を小突いて部屋を出て行った。
小突かれた頭をさすりながら、姉ちゃんからもらったカードをカードケースにしまう。
それから、机の上に消しゴムとマイメロディのメモを並べた。


ごめん、市川。
勝手に消しゴム取っちゃって。
それから写真のことも・・・ 素直にありがとうって言えなくてごめん。
明日からはもうちょっと素直になるように努力するから。
市川を怒らせないように努力するから。
だから今日だけ見逃して?


―――今日オレ、誕生日なんだ・・・

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