チェリッシュxxx 第7章

D ガマン


『陸?』
「あ、結衣。 ……どーかした?」
結衣の母親から電話が来た数日後、夜結衣から電話がかかってきた。
予備校の帰り道に電話をくれたらしい。 ケータイの向こうからザザッと風の音が聞こえる。
『別に用事はないんだけど…… 声が聞きたくなって』
「そっか。 ……オレも聞きたかったとこ!」
と答えながら、この前結衣の母親から言われたことを思い出した。

―――結衣の方から連絡があっても、あなたの方から連絡しないように言ってやって……

それが結衣のためなんだって分かってる。
分かってるけど…… 声が聞きたいと電話をくれた結衣に、どう話していいのか分からなかった。
「結衣のお母さんから電話するなって言われてるから」
なんて言ったら、結衣と結衣の母親の関係が悪くなりそうだし……
そんなことを考えながら結衣の話に相槌を打っていたら、もう結衣がウチに着いたみたいだ。
どうする……? 今言うか?
「受験終わるまで電話やメールも止めよう」
って…… でも絶対、
「なんで? 電話やメールぐらい大丈夫だよ!」
って言われそうな気がする。
なんか上手い言い訳が思いつかねーし、また今度でいいか…… とオレが電話を切ろうとしたら、結衣がまだ話していたいと言う。
「だってまだ外なんじゃないの? 風邪引くし危ないからダメだよ。 早く家入って」
とオレが言ったら、結衣は、
『大丈夫。 もう家だし! 自分の部屋にいるよ』
って言ったけど……まだケータイの向こうから風の音が聞こえてくる。
こういうことなのか、と思った。
結衣はオレと会うために、予備校の合間とか無理をして時間を作ろうとする。いや、こうやって電話ですら無理をする。
寒いのにわざわざ外から電話をしてきたのは、家からじゃかけにくいからだ。
……もしかしたら結衣も、母親から何か言われているのかもしれない。
オレとの付き合いを……反対されているのかもしれない。
だからこんな寒い中、無理をしてでも、ウソをついてでも外から電話をかけてくる。
その気持ちはありがたいけど、結衣のためにはならないとやっと分かった。
けど、やっぱりすぐに、
「連絡取り合うのはやめよう」
とは言えなくて……とりあえず、結衣のウソにちょっとだけ付き合って、早々に通話を切り上げようとした。
「……早く家入りな?」
『え? なんて言ったの?』
オレの声が小さかったせいで、結衣が聞き返してきた。
結衣は、すでに自分の部屋にいることになっている。
「いや… 受験勉強頑張ってって……」
テキトーにそんな風に答えておいた。
言うなら今だ。
オレもちょうど課外があったりするし、それを理由にすればいい。
「結衣も受験で大変だし、オレの課外もちょうどその頃まで続きそうだし…… それが終わるまでちょっと連絡取るの控えよっか」
こんな感じに言えばいい。
オレがそう話し出そうとしたら、
『……頑張ってる』
と結衣が。
「え……」
『陸に言われなくたって頑張ってるもんっ!』
結衣は急に声を高くして、『陸はあたしの気持ちが全然分かってないッ!!』
「結衣っ」
オレが不用意に言った一言が、結衣の気に障ったみたいだ。 結衣はオレが取り成すのも聞かずに、
『陸のバカッ!!』
と言って通話を切ってしまった。
「ゆ………ッ」
無音のケータイに呼びかけようとして、溜息をつきケータイを閉じる。
頑張って、って…… 言っちゃダメな言葉だったのか?
なんで?
今までだって、何かあるたびに、
「結衣! 頑張れよっ!」
って言ってたよな?
結衣だって、
「うんっ!」
って、ケッコー気軽に答えてたし……
と、そこまで考えてやっと気が付いた。
―――気軽なことじゃないから、言っちゃダメだったんだ。
結衣はちゃんと頑張ってる。
なのにその結果が思うように行かなくて……だから焦っている。
いつもは何でも話してくれる結衣が、この受験のことだけ何も言ってこないことが何よりの証拠だ。
きっと、担任や友達、親からだって、
「頑張れ」
と励まされているに違いない。
ちゃんと頑張ってるのに思うような結果が出ていない結衣にしたら、相当なプレッシャーになっていたはずだ。
そこにちゃんと気が付いていれば、あんなことを言わないで済んだのに。
何やってんだよ、オレは―――…
すぐにフォローの電話をしようとして、結衣がもう家に入っているだろう事を思い出した。
オレから電話がかかってきたことを結衣の母親に知られたら、また結衣が何か言われるかもしれない……
メールで上手くフォロー出来るか分からないし…… 出来るなら会って、面と向かって話したい。
それで、ちゃんと応援したいって気持ちを伝えて……
受験が終わるまでオレも我慢するから、結衣は自分のことだけ考えてくれって……
会わないでくれって言われてるけど、明日普通科の方に行って……それ最後にして……
とそんなことを考えていたら、また結衣から着信が。
「え…… 結衣、どうした?」
『あの……』
ケータイの向こうからまた風の音が聞こえる 。 驚いて壁の時計を見上げた。あれから1時間以上も経っている!
まさかとは思いながらも、
「もしかして…… まだ外にいんの?」
と聞いたら、結衣は一瞬黙ったあと、
『……A駅』
とありえない駅名を告げた。
A駅はターミナル駅からさらにローカルな路線に乗り継いで行く駅だ。
利用したことはないけど、拓けた町じゃないことは確かだ。 田舎と言っていい。
『……もう、帰る電車…ない』
慌てて時間を確認する。
もうこっちの方に帰ってくる電車は終わってしまっても、まだ下り…A駅の方に行く電車は動いている時間だった。
だったらバイクで行くより電車の方が早い。
結衣にそのままホームで待つように言い聞かせて、慌てて迎えに行った。
結衣はホームに設置されたベンチに座っていた。 制服姿でコートも着ていない。
詳しくは聞かなかったけど、どうやら家族……多分、母親と揉めたらしいことが分かった。
オレとの事が原因か……と思うと申し訳ない気持ちになる。
と同時に、隣で寒さに震える結衣がどうしようもなく愛しくなった。

ラブホで部屋を決めるときには、ちょっと緊張してしまった。
いや、ラブホ自体は何回も来たことあるけど、結衣と入るのは初めてだったから。
こんなときじゃなければ思いっきり楽しめる部屋にするんだけど、今はそんなときじゃない。
寒さと不安で青白い顔をしている結衣に、襲いかかるわけにはいかない。
寒さをしのぐのが一番の目的だ。 ―――そう自分に言い聞かせる。
出来るだけそのことを意識しないように振舞っているのに、当の結衣が予想外の格好で風呂から上がってきた。
結衣は下着の上に制服のシャツを着ただけで出てきた。 スカートも穿いてない。
結衣だったら絶対、またそのままキチンと制服を着込んでくるだろうと思ってたから……まさかそんな格好で出てくるとは思わなくて焦ってしまった。
短い制服のシャツから出た結衣の生足が、ラブホの薄暗い照明に照らされて…… 信じられないくらい妖艶な空気を発している。
慌てて目をそらした。 けれど、オレの意識を無視して、下半身が勝手に反応する。
待て待て待て!?
結衣は全然そんな気ねーって!
制服着たまま寝たらシワになるから、だからシャツだけなんだって!
そう言い聞かせても、下半身の硬度がどんどん増してしまう。
結衣とはもうしばらくセックスしていなかった。 最後にしたのは、オレが大怪我をして入院する前だ。
部屋の明かりを落してベッドに横になる。
風呂上りの結衣から石ケンの匂いがする。
素足がオレの腿の辺りに触れる。
こんな結衣を目の前にして…… オレ、我慢できっかな……
気が狂いそうな状態をなんとか保とうとしたら、それを結衣の方から壊した。
「今は陸だけを感じていたい」
と結衣の方から口付けられて…… オレの小さな理性は、あっという間にどこかに行ってしまった。
気が付いたら結衣を裸にしていた。
久しぶりの結衣のぬくもり。
結衣の匂い。
結衣の味。
夢中になって結衣を抱いた。
でも、すぐに結衣の様子がおかしいことに気が付いた。
いつもは、可愛いく…でも、確実にオレを煽ってくる官能的な声を聞かせてくれるのに、今日の結衣は殆ど声を発していない。
いつも結衣は恥ずかしがって声を出すのを我慢している。 でも、結局は我慢し切れなくなるし、逆にそれが余計に扇情的で燃えるんだけど……
けど、今日の結衣は違う。 我慢してるとかじゃない。
―――気持ちよくないのか?
いやでも、それなりに身体は反応してるし……
唇は結衣の身体から離さずに様子を窺ったら、結衣と目が合った。
……こんなことも珍しいことだった。 いつも結衣は目を閉じているから、殆ど視線が合うことはない。
オレはそのまま唇を下腹部に移動させた。
いつもの結衣だったら、何をされるのか察してここらで、
「や、やめてっ!? それしたら、絶交だからねっ!!」
って絶対拒否してくる。
なのに今日の結衣は拒否しなかった。
一瞬驚いたような恥ずかしいような顔をしたけど、結局は目を瞑って……受け入れてくれたみたいだ。
オレは気が付いた。 ―――結衣は色んなことを忘れたくて、オレに抱かれている。
でも、なかなか集中できなくて、だからいつもは嫌がることまで受け入れようとしている。
オレは即座に結衣の足を割って、そこに吸い付いた。
「あっ! や……っ ああぁんっ!」
結衣の身体が一瞬で跳ね上がる。 そこを押し広げるようにしてさらに奥まで舌を這わせた。
「ぁあっ! んっ、あんっ! は、はぁ、んっ!」
もうとっくに自己主張している小さな芽を舌先で何度も弾いたら、結衣が嬌声を上げながらオレの頭を鷲掴みにした。
……いいよ、結衣。 忘れさせてやるよ。
セックスの間だけだけど、ほんの一瞬だけかもしれないけど……
今はみんな忘れて、オレのことだけを考えていればいい。
結衣のウィークポイントを中指で擦り上げ、敏感な芽も同時に吸い上げる。
「やっ、やっ…… あ… ダ、ダメっ! そ、そこ……っ」
オレの動きに合わせて、結衣の腰が揺れる。
「あ、あたしっ も……っ んぁっ!」
結衣がシーツを握り締めて仰け反る。
「……イッていいよ」
と敏感な芽に甘く歯を立ててやった。
「ぃ……っ ああぁぁっ!」
結衣の腰が激しく揺れる。 結衣の中に入れていた中指が規則正しく締め付けられる。
―――イッたみたいだ。
結衣の中に入れていた指を抜いたら、大量の愛液が溢れ出てシーツに大きなシミを作った。
「あ…… はぁ、はぁ、はぁっ」
結衣が目を閉じたまま肩で呼吸を繰り返す。
まだ余韻が抜け切っていない結衣の足を持ち上げ、またそこに吸い付いた。
「ッ!? いやっ! 今……それっ、やめ…っ やあぁあっ!」
イッた直後にここを刺激されると、女は狂ったように喘ぐ。 さっき以上に敏感になっているからだ。
今まで付き合ってきた女にも何回かやった事があるけど、中には、
「ホントに止めてって言ってるでしょっ!」
と蹴られたこともあった。
それだけ刺激が強いってことだ。
結衣も抵抗したけど、結衣の抵抗なんか抵抗になっていない。 無視して舌を這わせる。
結衣は悲鳴に近い嬌声を上げて、すぐにまたイッた。
3度目は、
「あぁっ! も……あんっ! ほん、と、に…っ んっ! あぁぁんっ!」
と腰を激しく動かしたあと、「〜〜〜あぁっ! い、く…… あぁんっ!」
と言って果てた。
まさか結衣から、
「いく」
なんて言葉が聞けるとは思わなくて、驚いた。
―――つか…… オレももう…… さすがに狂いそう……っ!
結衣を十分満足させてから、と思って我慢してたけど…… そろそろ限界だ。
オレは慌ててヘッドボードを探った。
いつもは自分で持ってきたゴムを使うんだけど、今日はコートの中の財布からそれを取り出す余裕がなかった。
早く結衣の中に入りたい……っ
小さな袋を破ろうとしたら、結衣の腕が伸びてきてそれを取り上げられた。
「え… ゆ、結衣……?」
ま、まさかだけど……
ここまできて『お預け』なんてことじゃねーよな?
と焦っていたら、
「……避妊しなくていい」
とありえないセリフが返ってきた。
え………?
避妊しなくていい……って… どーゆー意味?
ゴムつけなくていいってこと?
ナマでしていいって…… そーゆー事なのかっ!?
「陸だってその方が気持ちいいんでしょっ!?」
って…… いや、それはそーなんだけどさ。
もしかして、今日確実に安全な日なのか? それで……?
いやでも、結衣がそんなこと計算しているとは思えなかった。 つか、いつが安全な日でいつがヤバイのか結衣が分かっているとは思えなかった。
仮に分かっていたとしても、万が一……ということになったら大変だ。 やっぱりナマじゃ出来ない。
オレがそう言っても、
「子供が出来たら出来たでいい! なによっ、陸はあたしのこと好きじゃないんだっ!?」
なんてことを言う。
大学に行けなくなっても、将来がメチャクチャになっても構わないと言う。
「陸と一緒にいられれば、どーなっても構わないっ!」
最後には顔を真っ赤にして、そう怒鳴った。
結衣は色んなことから逃げている。
受験のこととか、将来のこととか、オレとのことを親に反対されていることとか……
全ての不安から逃げ出したくてそんなことを言っている。
昂ぶっていたオレの下半身が徐々に冷めていく……
結衣はすごく興奮していて冷静に話が出来る状態じゃない。 全然目の前のことが見えていない。
ここでオレが否定的なことを言っても逆に興奮するだけだ。
「………分かった。 じゃ、このまま一緒に逃げよう」
今まで結衣を取りなすようなことしか言わなかったオレが急に肯いたら、結衣が驚いた顔をした。
「結衣がそこまで考えてるなら、オレもいいよ。 明日朝イチの電車で2人で逃げよう」
畳み掛けるようにそう言ったら、結衣が途端に不安そうな顔になる。
そのまま結衣を押し倒した。
驚いて嫌がる結衣の自由を奪って乱暴に愛撫を繰り返す。
本当にナマでするつもりはなかった。
結衣に自分で気付いて欲しかっただけだ。
けれど、嫌がりながらも敏感に反応を返してくれる結衣を抱いていたら…… 萎えかけた下半身にまた昂ぶりが戻ってきてしまった。
―――ヤバイ。
結衣に気付いて欲しくて押し倒しただけで、本当にする気は……ナマでする気はなかったのに……
結衣の膝を持ち上げて、
「……挿れるよ?」
って自身をそこにあてがったときは、半分以上本気だった。
このまま結衣の中に入れたらどんなに気持ちいいだろう。
オレと結衣の境界線がなくなるぐらい深く繋がって愛し合えたら……
それがゴムなしで、直接お互いを感じ合えたら………
そう考えただけで頭がイカレそうだった。
本当にこのまま挿れてしまおうか……と考えていたら、
「ま、待って―――っ!!」
と結衣が足をばたつかせた。 ハッとなり結衣を解放してやる。
―――や、やばかった……
もうちょっと遅かったら、絶対ナマで挿れてたぞ、オレ……
はじめ結衣は、オレが本気じゃなかったと知って怒った。
「ひどいっ! あたしのこと試したんだっ!?」
と言って怒った。
でも、オレの気持ちをそのまま話したら、最後には納得してくれた。
「ゴメンね…… 色々不安になっちゃって…それで逃げ出したくなっちゃったの……」
そう言って何度も謝る結衣を抱きしめた。
その日は結局、結衣の中に入る前に結衣が眠りについてしまった。
オレの下半身的には欲求不満で爆発しそうだったけど、でも、オレの隣で眠る結衣の寝顔が安心しきった顔だったから……いいや。
時間を確認したら、3時だった。
普通はとっくに寝てる時間だ。
―――でも……
と考えて、ケータイを持ってそっと部屋を出る。 ここは圏外だから、通話をするなら外に出るしかなかった。
それに、話し声を聞いて結衣が目を覚ますかもしれないし……
廊下に出てケータイを開いたら……まだ圏外だった。 仕方なくホテルの外にまで出る。 やっと繋がった。
怒鳴られること確実だろうけど…思い切って電話をかけたら、相手はワンコールで出た。
『結衣ッ!?』
男の声だった。 多分、父親だろう。
『今どこにいるんだッ!?』
「いや、あの……」
オレがそう切り出したら、電話の向こうが一瞬静かになり、
『……誰だ。 お前は』
と腹から響いてくるような恐ろしい声で問い返された。
オレは結衣の家に電話を入れていた。
結衣の様子から、結衣が行き先も言わずに(というか、結衣自身行き先なんか分からなかっただろうけど)家を飛び出してきたんだっていうのが分かった。
しょっちゅう遊び歩いているような女の親なら一晩くらい心配しないだろうけど、結衣んちは違う。
きっと心配で眠れないはずだ。 ヘタしたら警察に捜索願とか……?そんなものを出されていてもおかしくない。
途中何度も怒鳴られながら、それでも結衣は無事だということを伝えたら、
『どこにいるんだッ!?』
と聞かれた。
まさかラブホにいるとは言えない。 とりあえず駅名だけを告げる。
「あのっ、ちゃんと責任持って送っていきますので……」
と言おうとしたら、話の途中で通話を切られた。
―――まさか、今からこっちに来るとか?
やっぱ殴られんのかな、オレ……
そう言えば、結衣の父親に会ったことないけど……どんな人なんだろう?
電話の感じだと、オレの父親と違ってスゲー真面目そうだったけど……
って、娘がこんなことになってるのに、ふざけてる親なんかいねーか。
翌朝、やっぱり結衣の父親がオレたちを待っていた。 結衣の母親と……あと、どうやって連絡を取ったのかオレの母親までいた。
会うなり結衣の父親に殴られた。
途中、結衣が父親に、
「やましいことしたのかっ!?」
と問われて答えに窮しているときに、オレが、
「しました」
と言ったら、もう一発殴られた。
そんなことを言ったら余計に殴られるだけだって分かっていたけど、すぐにバレることで結衣にウソをつかせるわけにはいかなかったから。
「……あんた何やってんのよ」
結衣が父親の車で連れて行かれたあと、母親に呆れた顔をされた。
「………」
「あんなこと言ったら余計に殴られるに決まってんじゃない」
「……しょーがねーだろ。 ……ってぇ〜」
結衣の父親に殴られた頬を押さえる。 無抵抗でこんなに思い切り殴られたのは初めてだ。
痛みに顔を歪めていたら、母親がオレの顔を覗き込んできた。
「なんだよ」
「あーゆーときは謝っておいた方が得なのよ。 バカね」
それであんなに頭下げてたのかよ……
オレが呆れて見返したら、母親はふっと笑って、
「でも、まぁ…… 頑張ったじゃない」
「あ?」
「結衣ちゃんとは絶対別れないって宣言して…… 多分喜んでるわよ、結衣ちゃんも」
……父親はかなり忌々しそうな顔をしてたけどな。
母親は時刻表を見上げながら、
「5時53分の電車に乗っていけば間に合うかな……」
と呟いた。
今日は平日だ。 学校もあれば会社もある。
「……悪かったな」
「ん?」
「や…… オレのせいでこんな場所に呼び出し食らって……仕事あんのに」
母親はちょっと驚いた顔をしたあと、
「……いーわよ、別に」
とそっぽを向いた。「それに、陸のためじゃなくて自分のためだから」
「は?」
「これから先、陸だけじゃ不安だから、自分の老後が。 だから結衣ちゃんにはちゃんとウチに嫁いでもらわないと!」
「なんだそりゃっ!?」
お互い突っ込んだり突っ込まれたりしながらホームで言い合っていたら、上り電車がやってきた。 2人でそれに乗り込む。
「……オレ、高校辞めようかな」
「はあっ!? ……なんの冗談よ」
母親が眉間にシワを寄せる。
「いや、オレ勉強嫌いだしやっても出来ねーし、授業料の無駄じゃん。 今だって留年しかかってるしさ…… だったらさっさと辞めて働いた方が良くね?」
「……急に何言ってんのよ」
「別にテキトーに言ってるわけじゃねーよ」
実は夕べ……と言うかもう今日だったけど……結衣が寝てから、オレは色々考えていた。
結衣は、
「陸とずっと一緒に笑っていたいから、だから受験頑張るね」
と言ってくれた。
まだ見えないところも多いだろうけど、結衣は確実に前に一歩踏み出している。
それに比べて…… オレはどうなんだろう。
毎日ただなんとなく学校に行って、したくもない勉強をして、バカばっかやって留年しかかってて、それでまた嫌々課外を受けて……
時間を無駄に過ごしているようにしか思えない。
隣りで眠る結衣を見て思った。 ―――早く大人になりたい。
早く、結衣を包んでやれる大人の男になりたい。
それには今のままじゃダメだ。 今はただダラダラ過ごしているだけで、大人の男には程遠い。
働いて金稼いで、ちゃんと自分の力で生活出来るようになるのが大人の男じゃねーか?
だったら行きたくもねー高校なんかさっさと辞めて、人より先に働いた方が早く大人になれるに決まってる。
母親だってその方が負担が減るはずだ。
義務教育じゃないから授業料がかかるし、今留年しないために受けている課外はまた別に金がかかっている。
それに、この前した入院の費用もバカにならない。
「将来、出世払いしてもらうわよっ!」
なんてわざとらしく怒って見せていたけど……
母親の性格からして、
「いいわよ、気にしないで」
なんて言う方がオレが気にするからって、わざと怒って見せているに違いない。
それに、オレが言うのもなんだけど、母親は歳の割りに気も見た目も若い方だから、まだいくらでも人生のやり直しが……再婚が出来るはずだ。
でもオレがいたんじゃ、それも思うように行かないに決まってる。
そういったことを色々考えても、やっぱりオレが早く自立した方がいい。
だから高校は辞める。
オレがそんなことをかいつまんで話したら、
「……笑わせないでよ。 陸に心配してもらうほど落ちぶれちゃいないわよ」
と母親は鼻で笑った。
「マジで話してんだけど」
「あのねぇ〜」
と母親は大きな溜息をついて、「大人の男っていうのはね、自分がやるべきことをちゃんと分かってて、それを確実にこなしていく男のことなのよ」
「やるべきことって…… だから、働いて金を稼ぐことだろ?」
オレがそう言ったら、母親は、
「……それが分からないうちは、陸もまだまだ子供ね」
「は? なんだよ?」
「見栄や理想で先走る男ほど、今の足元が見えてないのよ。 泥舟に乗って大海に出るようなものね。 そんな船に乗りたい女なんかいないわよ」
「……なんだよ。 どーゆー意味だよ」
オレが足元見てないって言うのかよ?
オレの問いかけに母親は答えずに、
「帰って着替えたら、さっさと学校行きなさいよ? 留年なんかしたら許さな……ふぁ〜…」
と大あくびをして、「……着いたら起こして」
とオレの肩に寄りかかり、さっさと寝てしまった。
母親の話は抽象的過ぎて分かりづらい。
というか、母親は結局女だから、男のオレの気持ちが全然分かっていない。
好きな女より年下ってだけでも焦るのに、その相手は将来に向かって階段を上り始めている。
一方オレは、その階段の下の方で、好きな女が上がっていくのをただ見ていることしか出来ないでいる。
守りたいものがあるのに、守れない。
そんな焦りとも不安ともつかない気持ちなんか、女の母親に分かるわけがない。
母親は反対してるけど…… 高校は辞める。

「う〜ん…… オレも律子の意見に賛成だなぁ」
後日父親に会って同じ話をしたら、渋い顔をされた。
「なんで? どうせオレ勉強出来ねーし、つか留年しそうだし…… 留年するくらいだったら、今学校辞めて働いた方が良くね? 早く社会人になった方がさぁ……」
「勉強なら出来ただろ? 中学の頃は成績良かったじゃないか」
「それオヤジ達が離婚する前の話だから。 離婚後オレの成績は急降下! オヤジのせいだよ」
「人のせいにするなっ!」
と親父は怒って、「それに、今時高校くらい出ておかないと、雇ってくれる会社なんかないぞ?」
それについては反論が見つからないんだよな……
「……じゃあさ〜、オヤジの会社で雇ってくれよ! オレの成績が落ちた責任取って」
「バカッ! オレのとこだって最低高卒だ!」
……だよな。
ふて腐れながらコーヒーに口をつける。
父親なら同じ男だし、分かってくれると思ってたのに…… 予想外の展開だ。
「……焦ることないんじゃないか?」
「あ?」
「彼女の方が年上だとか、将来が見えてないとか……陸の歳だったら普通だろ? そんなに焦ることはない」
「別に…… 焦ってなんかねーけど……」
「いや、お前は焦ってる! 焦って決めてもろくなことにならないぞ? ……それよりも、今自分が何をしなきゃいけないのかちゃんと考えろ」
元夫婦で同じこと言ってるよ……
「とにかく、高校は卒業しておけ。 それが陸のためだし、結果彼女のためにもなるんだからな」
もう高校は辞めるつもりでいたけど……
そうなのか? ……やっぱオレ、焦ってんのか?
早く大人の男になりたいって思ってたけど……

―――大人の男ってのはね、今自分が何をやるべきかちゃんと分かってて、それを確実にこなしていく男のことなのよ。
―――お前は焦ってる! 今自分が何をしなきゃいけないのかちゃんと考えろ。

もう一度ちゃんと考えて……みるか。
結衣とオレのこれからのために、今オレが何をしなきゃいけないのかをちゃんと……

『あ、陸っ!? この前は大丈夫だった? ごめんね、ずっと連絡できなくて! 今家電からなの。 だからあんまり長く話せないんだけど……』
その日の夜、結衣から電話がかかってきた。
ケータイを取り上げられた結衣は家電から連絡してきたみたいだ。
慌てる様子から、結衣が親の目を盗んでかけているんだっていうのが分かった。
『お父さんが酷いこと言ってごめんねっ!? もう絶対許さないって、お父さんとは口利いてないのっ!』
もしかして……と思っていたけど、やっぱり結衣は父親と揉めていた。
そうやって父親と揉めていたり、こうやってコソコソ電話をかけさせているのがオレのせいかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「結衣…… 受験が終わるまで会うの止めね? それから、電話やメールも」 
『え……?』
受話器の向こうで結衣が固まったのが分かった。
「オレもやるべきことやるから…… だから、結衣も今は自分のことだけ考えて……頑張って?」
『な、なんでそんなこと言うの……?』
と結衣は戸惑った声を上げたあと、『あっ!お父さんのことなら全然気にしなくていいんだよっ!? お父さんなんかあたしの気持ち全然分かってくれようとしないし…… もう、無視することに決めたんだ!』
と早口でそう言った。
「……結衣、お父さんは結衣のことが心配であー言っただけだよ。 オレ全然気にしてないし……それでお父さんと気まずくなってるなら、仲直りしてよ」
オレがそう言ったら、結衣は一瞬黙ったあと、
『……それって、お父さんに言われた通り、あたしと別れるってこと?』
「違うよ、そうじゃない。 オレは結衣と別れるつもりは全然ないし、どんだけかかっても結衣のお父さん説得するつもりだよ。 ……でもそれには、お互いちゃんとやることやって、それからじゃないと堂々と話しつけられないと思うんだ。 だから」
『……だから、受験が終わるまで連絡取らないっていうの?』
「……うん」
オレがそう言ったら、大分間を空けたあと、
『…………わか…った』
と結衣は呟いて、さよならも言わずに通話を切ってしまった。

結衣……

結衣にはいつでも笑っていて欲しい。
コソコソ付き合わせるんじゃなくて、周りにも認められた状態で堂々とさせてやりたい。
正直、オレも結衣と連絡を取れないのはものすごくツライ。

……けれど、オレなりに考えて…… 今オレがやるべきことを考えて出した結果だ。


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