チェリッシュxxx 夏休みの章

A 花火でドキドキ 編


「あっついね―――」
廊下を一緒に歩いていた結衣が、小さなタオルでパタパタと顔を仰ぐ。
あんま、風いってなさそーだけど。
「なんでウチの学校、クーラー入ってないのかしらね」
そう言うあたしは、もっと風がこなさそーな… マイハンド。
「それがね〜っ! 聞いてよ、麻美! なんと、商業科にはクーラー付いてるんだよっ!? ちょっとズルくないっ?」
結衣が拳を握って、「夏期講習だって、こんなに暑くっちゃ、勉強なんか身に入らないよねっ?」
開け放たれた窓から、狂ったように鳴くセミの声が聞こえる。
この前まで聞こえていた野球部の掛け声は、甲子園の地方予選で敗退するのと同時に聞こえなくなった。
代わりに聞こえるのは、鉛筆がノートの上を走る音。先生が黒板に叩きつけるようにして書く、チョークの音。
あたし、渡辺麻美の18歳の夏は、夏期講習で始まり、夏期講習で終わる…予定。
なんか、自分で言ってて、かなり寂しい夏休みなんですけど?
ま、受験生だし、今勉強しとけばあとで苦労しないんだから…って、アリとキリギリスのアリの気分。
「ま、でも、今日は勉強ないから、いっか。コレ終わったら帰れるし!」
と、結衣はなんだか嬉しそう。
今日は全校登校日。
「あ、だから結衣、今日はウキウキしてるんだ?」
「え? なにが?」
「今日は全校登校日だから、商業科も来てるもんね」
「そ、そんなんじゃないよっ!?」
結衣が慌てて顔の前で手を振る。
……分かりやすい反応。
でも… 結衣のそんなところ、ちょっと羨ましいって思う。
きっと、商業科の前でも、こんな素直な反応しちゃってるんだろうな…
絶対男って、こういうタイプが好きよね。あたしと比べたら。
パッと見、あたしの方が派手な顔してるから、他の女子なんかには、
「モテるでしょ?」
とかって聞かれるけど、そうでもないのよね。告白とか?そんなにされたことないし。
ま、変な男に寄って来られても、鬱陶しいだけだから、別にいいんだけど。
結衣ですら、
「いいな〜、麻美は! スタイルいいし、背 高いし、カッコいいもん! 取り替えて欲しい!!」
とか言ってるけど…
あたしは代われるなら、結衣になりたいけど?
この167の身長だって、本当はイヤでしょうがない。もっと小さく生まれたかった。
性格だって、我ながら、可愛くないわねぇ…、って呆れるくらいアマノジャクなところあるし。
……特に、好きな人の前では。
「村上さん。コレもらった?」
あたしをアマノジャクにする男が廊下の反対側から歩いてきた。
「え? なに?」
「数Uの夏期講習。八木センの都合で、日程変わったんだって。その日程表」
と、結衣にプリントを渡す。
「そーなんだ… あっ!うそっ! 休みが増えてる! うれし―――ッ!」
「…って、よく見てね? 他の日にズレただけだから。3コマで終わる日が4コマになってたりするでしょ?」
「あ、ホントだ…。 ありがとね、五十嵐くん」
「別に、ついでだし」
五十嵐は、それだけ言うと、さっさとA組に入っていった。
相変わらず、愛想のない男。
いいけど。あたしだって、そっぽ向いてたし。
「…なんか、もっと話せばいいのに… 五十嵐くんと」
結衣がプリントで口元を隠しながら、あたしを上目遣いに見上げる。
あ、このしぐさ、男ウケしそう…
五十嵐も、こーいうのにやられてるんだろうか?
「…あのね、結衣? そういうこと言わないでって言ってるでしょ? あいつとは何の進展も望んでないんだから! っていうか、あいつ好きな子いるし」
「でも、その子とあんまり上手く行ってないんでしょ? チャンスあると思うけどな…」
―――無知は残酷って、誰が言った言葉だったっけ?
ま、誰でもいいわ。 誰も言ってなかったら、たった今からあたしが使わせてもらうから。
結衣に悪気がないのは分かってる。本当にあたしに協力したくて言ってるってのも分かってる。
だから、余計に残酷だ。
―――だって、五十嵐が好きなのは、結衣なんだから。
だからって、別に結衣のこと、恨んだりとか? これっぽっちもないけど。あたし、結衣のこと好きだし。
だから2年間、この想いが誰にも気付かれないように、こっそり隠してたんだけど…
ウッカリというか、ちょっとしたことで、結衣にあたしの好きなのが五十嵐だってバレてしまった。
コトの発端は、結衣と一緒に行った合コンだった。
結衣のクラスメイトに誘われて行った合コンの相手は、ウチの高校の商業科だった。
あたしは誘われた時点で薄々感づいてはいたけど、結衣は、まさか合コンだとは思いもよらなかったみたいだった。
結衣と結衣のカレシの商業科は、合コンでバッタリっていう状況にかなり驚いていた。
けれど、どういう話があったのか、二人は他人のフリをして合コンにそのまま参加し続けていた。
だけど、やっぱりお互いの事が気になるみたいで、結衣は商業科の方をチラチラ、商業科は結衣の方を気にしてばかりいた。
だったら、さっさと二人で抜け出せばいいのに。
あたしあのとき、結構飲んでたのかも。
カレシにヤキモチ焼いてもらえる結衣に、正直ちょっと嫉妬してた。
気が付いたら、隣に座ってた商業科に、
「好きな男がいる」
的発言をしていた。
商業科は明らかに困惑していた。けれどこの男は、多分あたし以外ではただ一人、五十嵐の好きな人が結衣だって気付いてる男。ま、自分の彼女に好意持ってる男がいたら、気付くの当たり前かも知れないけど。
だから、酔った勢いもあって、なんとなく事情を分かっている人間に話がしたくなったのかも知れない。
結局、商業科は突っ込んで話を聞いてこなかったから、それ以上……つまり、あたしの好きな男が五十嵐だって言うことまでは話さなかったんだけど。
ただ、あたしに好きな人がいるってことだけが伝わって、さらにそれがどこでどーなったのか知らないけれど、結衣にはあたしの好きな人が商業科だというふうに伝わってしまった。
それで結衣は相当悩んでいるみたいだった。
…知らなかったけど。
だって、こっちだってそれどころじゃなかったから。
あたしはあたしで、結衣と五十嵐のキスシーンを目撃してしまったから。
なんでっ? どーなってんのっ? だって、結衣、商業科と付き合ってるんだよね?
もう、軽いパニック状態。
そりゃ、五十嵐とどうこうなるつもりはないけれど、やっぱり、キスシーンなんか見ちゃったら、そりゃ動揺もするわよ。
その後あった体育祭では、必要以上に結衣に対抗心燃やしちゃって……
結局、いっぱいいっぱいになった結衣から、
「麻美、陸が好きなの?」
って聞かれて、その流れであたしも、好きなのは五十嵐だって…… 言っちゃったのよね。
で、結衣と五十嵐のキスも、あたしの勘違いだったって分かったんだけど…
それ以来結衣は、何かあると、あたしと五十嵐をくっつけようとしている。
止めろって言ってるのに。
「そう言えば、麻美。今週末の花火大会、どうするの?」
結衣が、急に話を変えた。
今週末は、江戸川の花火大会だった。
去年は結衣と一緒に行ったんだけど(まだ杉田先輩と付き合う前だったから)、今年は特に約束をしていなかった。
って言うか、商業科と行くんでしょ?
「ん―――… 特に予定はないけど… 去年、あの人混みで懲りたし。もしかしたら行かないかも?」
とあたしが答えると、
「あ、じゃ一緒に行かない?」
と結衣からお誘いが。
「え? なんで? 商業科と行かないの?」
「うん? そー…なんだ、けどぉ。えーっとね、陸、その日バイト入っちゃってて、一緒に行けないんだ。だから…」
と結衣が俯く。
…ふ〜ん。 そうなんだ。
ラブラブな二人が、花火なんて大イベント逃すなんて珍しいわね。
「分かった。いいよ、行く」
「ホント? よかったぁ!!」
途端に結衣が顔を輝かせる。「あ、あたし、浴衣着ていくから、麻美も着てきてね?」
「ええ〜? 面倒くさーい。ジーンズじゃダメなの?」
「ダメじゃないけど… 一緒に浴衣着たいな〜…なんて思って」
別に、いーけどさ。あたし、浴衣持ってないのよね。
ま、いいか。お母さんの借りれば。
「じゃ、土曜日にねっ!」

ケータイの液晶パネルを開く。6時21分。…さっきからまだ1分しか経ってない。
ちょっと、どうなっちゃってんの?
あたしは結衣と待ち合わせをしていたセブンイレブンの前で、さっきから何回もケータイと睨み合っていた。
待ち合わせの時間を20分も過ぎているのに、まだ結衣が現れない。
ケータイに連絡をしようとしても、結衣の方の電源が入っていないみたいで、全然繋がらないし……
そんなことより―――
なんでここに、五十嵐がいるわけっ!?
「…村上さんから、みんなで花火行こうって連絡回ってきたんだけど… 他のみんな、遅いね?」
―――結〜衣〜……っ!!
余計なことするなって言ったのにっ!
だからあんなに、「浴衣で!」なんて言ってたんだ…
―――もうっ!
……そんなコト知らなかったから、あたし、お母さんの浴衣で来ちゃったわよ…
ちょっと、地味じゃない? この浴衣。
改めて自分の姿を確認し、―――五十嵐の反応も確認しちゃったり…
五十嵐はあたしの考えている事なんかツユとも知らない様子で、来るはずのない「他のみんな」を探すために、周りを見回している。
再び、ケータイに目を落とす。6時23分。
…あと7分待って連絡なかったら、帰ろう。
と思いながらケータイを籠バックにしまいかけたら、急にそれが鳴り出した。
表示を見たら、案の上「仲人好きのおばさん」。
「―――もしもし? 結衣?」
『あ、麻美? ゴメーンっ! あたし、集合場所、間違えて言っちゃってたかも? 麻美、今どこにいるの?』
「……セブンの前ですけど?」
あたしが嫌味っぽく丁寧に切り返しても、結衣は、
『あん、やっぱり〜! ゴメンね。ホントはファミマの前だったんだ〜。あたし、セブンって言ってた?』
と、あたしの嫌味には全く気付かず、猿芝居を続けている。
「言ってました! って言うか、ファミマだったら近いじゃない? すぐ行くわよ、そっち」
『あ、やっ、…えーっとぉ。―――あ、そうそう! もうね、みんな河川敷向かっちゃってるの。あたしたち!』
「…なんで?」
『だから、その… いい場所確保するため? そう!そのためにっ!』
自分のセリフに自分で納得しちゃってどうするのよ?
「―――なんか、五十嵐がいるんですけど?」
結衣は一瞬の沈黙のあと、
『あ、あっれ〜? じゃ、五十嵐くんにも間違えて伝えちゃったのか、な?』
猿芝居、訂正。 猿に失礼だった。
結衣の演技、猿以下。
『そういう訳だから、河川敷で会お?』
って、この人混みで、河川敷で会えるわけないじゃないっ!!
この江戸川の花火大会は広い河川敷を利用して、合計10箇所から14000発もの花火が打ち上げられる、かなり大規模な花火大会だった。
お隣の江戸川区と協賛して行われていて、その人出は両河川敷で140万人にもなる。
その、河川敷で待ち合わせするなんて…絶対不可能っ!!
…ま、それを見越して立てた計画なんだろうけど……
『ちょっと、五十嵐くんに代わって? 謝るから』
無言でケータイを五十嵐に渡す。
「あ、村上さん? どうしたの?」
どうしたの? じゃ、ないわよっ!!
騙されたのよ、あたしたち。 騙されたのっ!!
あ〜… まさか、あの結衣に騙されるなんて…
一生の不覚よっ!!
「―――うん。分かった。…じゃ」
五十嵐がケータイをあたしに返してくる。「なんか、河川敷で会おうって…」
「…五十嵐、江戸川の花火大会、来たことある?」
「河川敷までは行ったことない」
「…じゃ、教えてあげる。140万人いるから。人」
五十嵐が目を見開く。 河川敷での待ち合わせが無謀だってことに気が付いたみたい。
「…帰る?」
人の流れとは逆の方向を指差しながら五十嵐にそう言うと、
「…でも、せっかくだから、見ていこうかな。河川敷まで行ったことないし」
と五十嵐は、人の流れて行く方に顔を向けている。そして、急にあたしを振り返り、「渡辺さんは? 行かないの?」
とメガネの奥の瞳をあたしに向ける。
「……行く」
二人並んで河川敷へ向かう。
な、なに? この展開? かなり、予想外…
―――きっと、結衣にしたら、予想通りの展開なんだろうけど。
いいわ。 結衣の猿芝居…いや、猿以下芝居に付き合ってあげる。
…って、こういう風に考えちゃうところが、アマノジャクだって言うのよ、あたしっ!!
「きゃっ!」
慣れない下駄で、しかも考え事をしながら歩いていたら、つまづいてしまって――― …思わず、五十嵐の腕につかまってしまった。
「ゴ、ゴメン」
慌てて手を放したら、
「―――ちょっと、ここで待ってて?」
と言って、五十嵐が今きた道を小走りに戻って行った。
? どこ行ったんだろ?
言われた場所で10分待っても、五十嵐は戻ってこなかった。
なに? どこ行っちゃったの?
……はっ! まさか…
さっき、あたしが腕つかんだのが原因で…
「キモッ」
とか思って……、帰った―――?
慌てて五十嵐のケータイに連絡しようとケータイを取り出して、
あ… あたし、五十嵐のケータイの番号、知らない……
と落ち込む。
前にかかってきた時は、家電だったし… どうしよう…
と思っていたら、やっと五十嵐が戻ってきた。
「花火客のせいで、レジが混んでて… ゴメン、待たせちゃって」
「あ、別に、いいわよ。そんなに待ってないし」
あ―――っ! だから、この言い草っ! なにっ!?
でも、五十嵐は全然気にしていないみたいで、
「打ち上げって、何時からだっけ?」
と腕時計に目を落とした。 ―――チェック。 …セイコーのルキア。フェイスの色、ブラック。
って、あたし、プチストーカー?
「7時15分」
「じゃ、あと15分もないよ?」
江戸川の花火の目玉は、オープニングの5秒間に打ち上げられる1000発の花火。
それ見逃したら、江戸川の花火大会 来た意味ないわよっ!
「じゃ、走らなきゃ!」
「大丈夫?」
ん? なにが?
「大丈夫だけど?」
と言いながら、五十嵐の前に出て走り出す。
五十嵐、河川敷まで行ったことないんだもんね。 あたしが誘導しなきゃ…
人混みを縫うように走り、なんとか5分前に河川敷に到着。
「は、早いね?」
振り返ったら、五十嵐が驚いた顔をしていた。「浴衣のわりに…」
―――…浴衣だったの、忘れてた!
「…悪い?」
「いや、悪くはないけど…」
と言って、五十嵐が浴衣の足元の方を気にする。「合わせ、ズレてるよ?」
慌てて浴衣の合わせを直す。 直す間、五十嵐は別な方向を見ていた。
―――こういうところ、ツボ。
合わせを直し終えたとき、
「すいぶん足速いみたいだけど、何かやってたの?」
「…中学の時、テニス」
また、ぶっきらぼうに返してしまった。
そうじゃないでしょ? 教えてくれて、ありがと、でしょ!?
……言おう!
「あ、あのっ」
急に目の前が明るくなった。
まるで、昼間みたい―――、いや、それ以上に眩しい閃光が辺りを照らし出す。
隠れる影なんかどこにもないってくらい、全てのものを明るみに引っ張り出す1000発の花火。
あたしの気持ちまで明るみに出されそうで… 意味もなく震えた。
そんな閃光に照らされている、五十嵐の横顔。
あたしは、呼吸を忘れていた。
その一瞬後にやってきた、身体の芯まで震えるような爆発音と河川敷にいる140万人の歓声で我に返り、慌てて呼吸を再開する。
オープニング花火の後、再び訪れる闇。
「す……ねーっ!?」
五十嵐がなんか言っている。 けれど、周りの歓声がすごくて、何を言っているのかよく聞こえなかった。
「え―――ッ?」
耳に手をあてて、聞こえない、というジェスチャーをしたら、五十嵐は、
「す・ご・い・ねーって、言ったの!」
とちょっとだけあたしの耳元に顔を寄せて、大声で叫んだ。
はじめ、あたしたちは1メートルくらい離れて立っていたんだけど、会話が聞こえないからか、何回かやり取りをしているうちに、いつの間にかすぐ横に二人で並んでいた。
やり取りって言っても、10号玉が上がって、
「すごいね」
なんか、キャラクターっぽい花火が上がって、
「今の、ドラえもん?」
巨大なシダレ柳が上がって、
「なんか、火の粉がここまで落ちてきそう…」
って、そんな程度だけど。 およそ、色気のある会話じゃないけど。
でも、いいの。 沈黙よりは。
と思っていたら、困ったコトが起きてしまった。
「―――見えないね」
あたしたちが河川敷についたのは打ち上げ5分前だったから、土手の上の方には上がれず、土手の手前にある遊歩道のようなところから花火を見ていた。
ところが、仕掛け花火が、そこからでは全く見えなかったのだ!
花火が見えないと、その感想…会話もなくなっちゃうんですけどっ!?
「……どんな仕掛け花火なんだろうね?」
「……ね?」
会話終了。
心の中でドラえもんを呼んだけど、ドラえもんは顔を出さなかった。
この距離……ちょっと動いたら、腕が触れそうな距離での沈黙は――― 拷問だ。
「―――なんか、さ」
「なにっ!?」
ちょっとの会話に食いつく。「なんか言ったっ?」
「イヤ…」
五十嵐はこっちを見ずに、「なんか、学校以外で会うの、初めてだね?」
「―――う、うん」
「制服じゃないと、変な感じするよね?」
「―――そうね」
「……」
―――……再び訪れる、沈黙。
ちょっと、仕掛けっ!!
いい加減に普通の打ち上げ花火に戻りなさいよっ!!
「…あのさ」
―――いや、仕掛け、ちょっと待って?
「なに?」
「それ、自分で着るの?」
五十嵐があたしの浴衣に視線を寄越す。「なんか、帯とか? 難しそう…」
やっと見つけた会話が、コレ…?
答えたくないんですけど…… かといって、ウソ言ってもすぐバレそうだし……
「……や、お母さんが…」
これって、女子としたら、かなりポイント低いわよね… きっと。
って言うか、あたし自分の浴衣じゃないってところで、すでにアウトじゃない?
なんか、微妙に地味だし? この模様…
「ち、違うのよっ! 結衣が、絶対浴衣で来いなんて言うから? あたしはジーンズで来ようと思ってたのに… 急にそんなコト言うから、お母さんの昔の浴衣借りて来る羽目になっちゃって…」
恥ずかしさから、そんなことを言い訳がましく言っていたら、
「滅多に着ないものなんだから、着方知らなくても仕方ないよね」
…フォローありがとうございます。
「お母さんの浴衣なの?」
「……うん。地味よね?」
五十嵐が一歩引いてあたしの浴衣を眺める。
「イヤ? そんなことないんじゃないかな? 渡辺さん大人っぽいから、そんな感じの方がいいと思うよ?」
―――マジですか?
って、五十嵐ってこういうこと、結構サラッて言えちゃうタイプよね… しかも天然で。
……あんまり、真に受けちゃいかん。
「上手いわね」
「え? なにが?」
「いえ… ただの牽制球ですから」
五十嵐が眉をひそめる。―――もしかして…牽制して差すつもりが、暴投?
やっぱり、早く戻ってきて! ドラえもん!!
あたしの願いが聞こえたみたいで、やっと普通の打ち上げ花火が再開された。
でも、さすがに、
「すごいね」
と、
「アレ、ドラえもん?」
と、
「火の粉落ちてきそう」
じゃ、会話が持たなくなってきた。
何話そう…
会話の方ばかり気になって、花火に集中できないんですけど……
そんなことを考えていたら、
「浴衣の…」
と、また五十嵐が話を振ってきてくれた。
そう言えば、さっきから五十嵐ばっかよね? 会話スタートさせるの……
「なに?」
「浴衣の渡辺さんと一緒にいたなんて知られたら、羨ましがられるかも」
「え?」
「結構人気あるよ、渡辺さん。美人だから。1年の時同じクラスだった前田…覚えてる?」
ああ、あのギャル男ね。
「渡辺さんのこと、好きだったんだよ?」
そ、そーなんだ… 知らなかった……
―――っていうか、五十嵐からそんな話聞いても、嬉しくない…
あたしが黙ったら、五十嵐もそれ以上話し掛けてこなかった。
1時間ちょっと続いた花火は、オープニングに負けないくらいの派手な打ち上げとともに終了した。
ゆっくりと河川敷の花火客が移動をはじめる。
「終わっちゃったね」
と言って、五十嵐も駅の方向に向かって歩き出そうとする。
けれど、あたしはそれについて行くことが出来なかった。
実は、花火の途中からずっと我慢してたんだけど… 足が痛いのよね。
五十嵐がいるからよく見れないんだけど、多分、右足の親指のところ、皮剥けてる…
もう、履きなれないものなんか履くから、こんな事に…っ
しかも、来るとき、アホみたいに全力で走ってきちゃったし…… 浴衣で。
激しく後悔していたら、
「コレ…」
と言って、五十嵐が何か差し出してきた。「貼れば?」
バンドエイドの箱だった。セブンイレブンのテープが貼ってある。
「え? なんで…」
……もしかして、花火が始まる前に戻って行ったのって、コレ買うため?
「いや、会ったときさ、…なんか慣れてなさそうだな、と思ったから。下駄に」
黙って箱を受け取る。―――210円って、値札がついたまま。
……払うべき?
いや、そうじゃないでしょ? もっと先に、言うべきことが…
「あ…」
「貼れた? 少しはマシでしょ?」
「…うん」
また言い損ねた。
二人で来た道を戻る。今度は人の流れに合わせて。
さっきのセブンイレブンの隣のモスバーガーまで来たとき、
「足、大丈夫? お茶してく?」
と五十嵐が。
まだ痛みはあるけど、我慢できないほどじゃなかった。 けれどあたしは、
「…してく」
と首を縦に振った。
五十嵐がドアを開けてくれる。お礼も言わず、ひょこひょこ続いて入っていくあたし。
―――なんかこいつって、かなりストイックな感じだけど、同時にかなりフェミニストよね。
…当然だけど、ツボ…
小さなモスバーガーは、花火帰りの客でかなり賑わっていた。合い席じゃないと座れない…
どこに座ろうかと、五十嵐がトレイを持ったまま空席を探していたら、
「お〜、五十嵐! ――――と、え? 渡辺っ?」
ギャル男こと、前田が1人でテーブルについていた。
他にテキトーな空席がなくて、そのまま前田と合い席をする事に。
「なんで、おまえら、一緒にいんの? …まさか、付き合ってんのっ!?」
「何言ってんの? そんなわけないでしょ?」
でも、嬉しい勘違いに、ギャル男の株
「だよな」
ギャル男株
「友達とはぐれたの」
ちょっと、…いや、かなり違うけど、ギャル男にはこの説明で十分。
「そんなコトだろうと思ったよ」
ギャル男株↓↓↓っ!!
「あんたこそ、こんな所で何やってるわけ? 1人で」
「……渡辺が来るの、待ってた」
はい、ストップ安っ!!
って、いちいちこいつの言動に反応するの、やめよ…
さっきから、あたしと前田ばっか喋ってて、五十嵐が喋るすき、ないよね。
「えーと、あのねぇ…」
と五十嵐のほう向いたはいいものの、…何話せばいい?
結局いいのが思い浮かばなくて、「あ、あたし、洗面所」
と席を立った。
ついでにバンドエイドも貼り直そ。下駄の鼻緒に当たって、だんだんヨレてきちゃってるのよね…
それにしても、…すごい順番待ちの列。
5分待っても全然列が進まない! 何やってんの?先頭っ!!
イライラしたあたしは、結局 洗面所を利用せずにそのまま席に戻った。
「―――あれ? 五十嵐は?」
席に戻ったら、五十嵐の姿がない。 すると、前田が、
「五十嵐なら、帰ったよ? なんか、用事でもあったんじゃね?」
―――なんで?
五十嵐、前田があたしに気があるって言ってなかったっけ?
その前田と二人きりになるようなコト、なんでするの?
そりゃ、五十嵐はあたしの気持ちなんか知らないから、仕方のないことかもしれないけど…
―――なんか、急激に腹が立ってきた。
あたしは、
「まだいいじゃん」
と引き止める前田に、テキトーな理由を突きつけてモスを飛び出し、駅への道を急いだ。
足が痛かったけど、そんなの構っていられなかった。
あの男に何か言ってやらないと、気がすまないっ!
200メートルほど走ったところで、信号待ちをしている五十嵐を発見。その背中に、持っていた籠バックを投げつける。
「った!?」
五十嵐が頭を押さえて振り返る。背中を狙ったつもりが、後頭部に直撃してしまった。
「あれ? 渡辺さん… どうしたの?」
なんでぶつけた? とか聞かない辺り、五十嵐っぽいというか…
「……なんで、先に帰るの?」
「え?」
「なんで勝手に、先帰ろうとすんのっ!?」
五十嵐が、籠バックを拾い上げながら、
「……だって、前田は渡辺さんのことが好きだし、渡辺さんだって僕と二人でいるときより楽しそうに喋ってたから…」
やっぱり、用事があって先に帰ろうとしたんじゃないんだ。
―――やっぱり、無知は残酷だ!
「……そんなの、勝手に決め付けないでよっ!」
「…? なんで怒ってるの?」
「怒ってなんか、ないわよっ!!」
もうっ! ムカツクっ!! 悔しいっ!!!
―――なんで、こんな男が好きなんだろ… あたし……
「…じゃ、なんで泣いてるの?」
「泣いてなんか、ないっ!」
「は? ……だって、泣いてるじゃない? なんで泣いてるのか教えてよ。まるで僕が泣かしたみたいに思われる」
横断歩道の目の前でそんなことをやっていたから、通行人がジロジロとあたしたちを眺めていく。
「いいわよ、別に。本当の事だから!」
「え?」
「五十嵐に泣かされてるからっ!!」
「は?」
五十嵐が困惑の色を濃くする。「……えーと? 僕、なんかした?」
「したっ! ―――なんで、先帰るのっ!? なんで、あたしと前田を二人になんかするのっ? 前田はあたしの事スキなんでしょ? その前田と、なんで二人きりになんかするのよっ!! ……なんで五十嵐がそんなことするのよっ!! なんで、分かんないのっ!」
五十嵐にだけは、そんな事して欲しくないのにッ!!
なんで、分かんないのよっ!!
もう、やだっ! 好きな男に、別な男紹介されても嬉しくないって、なんで……分からない……のか、な……
―――って、五十嵐は、あたしの気持ち知らないんだから、……当然? よ、ね…?
「―――渡辺さん…」
五十嵐が、困ったような顔を向ける。
なんか、勢いに乗って言いたいこと言っちゃったけど…
今ので、完全にバレちゃったわよね…… あたしの気持ち。
に、2年間の我慢は、どうなっちゃったわけ―――っ!?
「なんて言うか―――その… 気付かなくて、ゴメン」
五十嵐がちょっと目を伏せる。
あ、謝んないでよ… 余計に恥ずかしいじゃない……
「い、いいわよ。別に…… あたしが、勝手に想ってるだけなんだから…」
あんたが結衣のこと好きなの、知ってるし。
―――犬に噛まれたとでも思って、忘れて下さい。
「…そんなに、泣くほど前田が嫌いだったなんて知らなくて…」
「……は?」
今度は、あたしが困惑する番だった。
「余計な気ぃ回して…… ゴメンね?」
―――え…? 何言ってんの?
さっきのあたしの、それこそ狂犬病のような勢いでまくし立てたあの内容で、分かんなかった?
な、なんてニブいの? この男……っ!!
犬くらいじゃ全然ダメなんだ。熊ぐらいに噛みつかれないと…
って言うか、五十嵐の気持ちがちょっと分かったかも…
きっと結衣も鈍感だから、こんな調子で五十嵐に接してるんだろーな。
なんか五十嵐もあたしと同じなのかな… かわいそーに……
「…片思いって、ツライね?」
「前田の事?」
ホラ… やっぱり気付いてない……
あたしは五十嵐に気付かれないように溜息をついて、
「―――そっ! あの程度の男じゃ、ダメよ! あたしとは釣り合わない」
「ははっ。渡辺さんの理想って、なんか高そう」
…そうでもないよ? あんただし。
「―――あいたッ!」
気が抜けたら、急に足の痛みが襲ってきた。
五十嵐を追いかけるために、またアホみたいに全力疾走しちゃったから… しかも浴衣で。
バンドエイドが完全に剥がれてる。
「もう、下駄履くの、無理じゃない?」
そうだけど、裸足じゃ帰れないよ…
―――あっ!まさか、この展開… またしても、予想外の展開?
五十嵐が、あたしに背を向けてしゃがみ込んで、
「おぶさりな」
とか?
ないないない! 絶対ない!
「駅前のダイエーが、11時までやってるって。そこでサンダルとか?見れば?」
……ホラ、なかった…
ダイエーまで浴衣でモンローウォーク。
今までで、すでにすごい格好見せてるから、モンローウォークくらい平気。
なんていうか… やっぱり、ダイエーよね…
手頃なのが…ない。
デザインはイマイチだけど安い、か、まあまあカワイイかな?って感じだけど高い、か。
どっちにしても、「すごく欲しいっ!!」ってものではないんだけど…
とりあえずこの場をしのぐための物だから、安い方でいっか。
そう思い、1000円のサンダルの中でも、ちょっとはマシ?っていう感じのものを手に取る。
「それにしたの?」
「コレしかないの!」
そのサンダルを持ってレジへ。お財布を開けようとしたら、横から千円札が流れてきた。
「え?」
「僕払うよ」
なんで?
「……いいわよ… っていうか、買ってもらう筋合いないし」
ああ…… また、可愛くない言い方を…
「イヤ、だって、ほとんど僕のせいでしょ? 足の皮剥けたの」
え?
「花火始まる前は先陣切って走っていってくれたし、さっきだって、僕が先に帰っちゃったせいでしょ? 追いかけてきたの」
だから、と言って財布をポケットにしまう。コーチの財布。…またチェックしちゃった。
「あ、すぐ履くんで、値札切って下さい」
レジのおばさんにそう言って、五十嵐があたしの足元にサンダルを並べてくれる。「どうぞ?」
黙って足を入れるあたし。
なんか、さっきワゴンの中から選んだときは、「コレしかないの…」だったけど、今は、「コレがいい!」って思っちゃってる、あたし… かなり単純。
「今度は歩けそう?」
「うん」
じゃ、行こ、と言ってエスカレーターに向かう五十嵐。
「遅くなっちゃったね」
と五十嵐が腕時計に目を落とす。ホームには、まだまだ花火客があふれていた。
当然電車もすし詰め状態。
「大丈夫?」
五十嵐は、あたしが押しつぶされないように、ドアと自分の間にあたしを入れてくれる。
今日最高のツボ―――ッ!!
「う、うん。大丈夫・・・」
って、ホントは大丈夫じゃない… 顔近すぎ。
普通、少女漫画なんかだと、女の子の顔って、男の胸のあたりじゃない?
あたしの目の前、五十嵐の顔ですけど―――っ!?
……なんであたし、167もあるんだろ… スモールライト、欲しい…
なんか、今日はやたらドラえもんに頼ってるわね……
息苦しいまま電車に揺られる。
車内アナウンスがあり、次はあたしんちの最寄駅。五十嵐んちはさらにその2つ先。
扉が開き、あたしは他の乗客とともに車外に吐き出された。
振り返ると、出入り口の側のポールに掴まって、五十嵐がこっちを見ていた。まだドアは閉まっていない。
「気をつけてね?」
あたしは頷いた。
・・・お礼、言わなきゃ・・・
―――今言わなきゃ!
合わせの乱れを教えてくれたお礼と、バンドエイドのお礼と、モスのドア開けてくれたお礼と、サンダル買ってもらったお礼と、電車内で庇ってくれたお礼。
「いが…」
「渡辺さん。今日はありがとうね?」
あたしが言うより先に、五十嵐にお礼を言われた。直後、ドアが閉まる。
ゆっくりと走り出す黄色い電車。それに小さく手を振るあたし。
五十嵐は手を振り返してはくれなかったけれど、眼鏡の奥の目をちょっとだけ細めて、笑っているみたいだった。
電車がどんどん加速していくのに合わせるように、あたしも大きく手を振った。

明日、夏期講習で会ったら、ちゃんとお礼言おう。
昨日はありがとう、って言おう。

クーラーのない教室で、うだるような暑さの中で、狂ったように鳴くセミの声を聞きながら受ける夏期講習だけれど。

明日は、そんな夏期講習がちょっとだけ楽しみ。
おわり


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