Cube!   第5話  シーソーゲーム(SIDE美紀)

「ごめん! 美紀」
健二があたしの前で膝をついた。「傷つけるつもりはなかったんだ!」
中学の卒業式が終わって2日後、あたしは近所の公園にいた。
彼氏である健二に呼び出されたから。
空は今にも雨が降り出しそうな、嫌な雲で覆われていた。
まるでこれからの状況を暗示しているかのように……
健二の隣りにはなぜかみちるが寄り添い、
「許して、美紀。健ちゃんだけが悪いんじゃないの! あたしも悪いの!」
と涙をこぼしている。
なんなの? これ。
よく状況が飲み込めないんだけど……
なんでみちるが健二の隣りにいるの?
なんでみちるがあたしに謝るの?
戸惑うあたしにみちるは衝撃的なことを言った。
「健ちゃんがね、美紀が付き合って半年も経つのにヤラせてくれないからって……」
「バカッ! 余計なこと言うなよ!」
みちるのセリフに健二が慌てる。
……え?
どういう意味?
「ち、違うんだ美紀! 別にそういうのが目的で付き合ってたわけじゃないんだからなっ?」
もしかして健二、みちると……エッチしたの?
「健二……みちるとあたしと、二股かけてた、の?」
「いやっ、二股とかじゃなくてっ」
「じゃなんなのっ!? だってみちると……っ」
その先は言葉が出てこなかった。けれど、健二にはちゃんと伝わっていたみたいで、
「それは……」
と顔をそむけて黙ってしまった。
あたしは健二の横顔を見下ろしながら、ああ、こういう困った顔が好きだったのよね、などと場違いなことを考えていた。

中学3年の夏休みからあたしは健二と付き合い始めた。
クラスの何人かで近所の神社に夏祭りに行ったのがきっかけだった。
張り切って浴衣なんか着ていったあたしは、普段履かない下駄のせいで足の皮がむけてしまい、とても歩ける状態じゃなくなってしまった。
「ちょっと美紀、それじゃ歩けないんじゃない?」
「平気平気」
「だって血が出てるよ」
と何人かの女子で騒いでいたら、
「ほら」
と健二があたしに背を向けてしゃがみ込んだ。
「え……なに?」
あたしが戸惑っていると、
「歩けないんだろ。おぶってやるよ」
と健二は言った。
それを見ていた他のクラスメイトが、
「ひゅーひゅー♪ 健二かっこいい〜!」
なんて冷やかすもんだから、あたしもなんだか恥ずかしくなって、
「え、いいわよ! 重いから!」
って無理矢理立ち上がろうとしたんだけど、その拍子に足に激痛が走って再び地面にしゃがみ込んでしまった。
「〜〜〜ッ」
もうっ! 下駄なんか履いてくるんじゃなかった……
とあたしが後悔していると健二が、
「いいから乗れよっ!」
とあたしの腕を取って、強引に背中に乗せてしまった。
「ちょ、ちょっと!」
足痛いからおぶってくれるのは助かるけど、みんなにからかわれちゃうわよ?
あたしが慌てていると、
「お前ら! 怪我してるんだからしょうがないだろ! からかったらただじゃおかねぇぞっ!!」
と健二はみんなに凄んで見せた。それからあたしを振り返って、
「家までおぶってってやるから、お前もう帰れよ」
と言った。
「……うん」
健二はみんなに、すぐ戻る、と言い残すと、さっさとあたしんちの方に歩き出した。
いつもは一緒にバカ騒ぎをしている健二が、なんだか今日は違って見えて……調子が狂ってしまう。
男らしいというか、たくましいというか……
軽々とあたしを背負ってしまった健二の背中が、いつもより大きく感じる。
特に会話もないまま黙々と歩く健二。
いつもはおしゃべりな健二が黙ったままなのが気になって、
「なんかごめんね? 面倒なことになっちゃって。みんなにはからかわれちゃうし……」
と、間をもたせるためにそんなことを言ったら、健二は、
「……別に。からかわれたっていいし」
となんでもないことのように言った。
「え〜、なんで?」
不思議に思ってそう聞くと、
「お前のこと好きだから」
サラリとそんなことを言われた。
え? ……今、なんて?
もしかして……好きって言った?
あたしのこと!?
あたしが驚いていると、健二は急に立ち止まり、
「だから、付き合って欲しい」
と顔を捻るようにしてあたしを振り返った。「ダメか?」
「え、や……」
ダメとかそういうんじゃなくて…… ちょっと急じゃない!?
今までそんな素振り見せたことなかったし!
健二のことは嫌いじゃないわよ? でもずっと友達だと思ってたから……
あたしは気が動転してしまって何も答えられなかった。
心臓がドキドキして、急にあたしの胸と健二の背中が密着していることにまで意識しだしてしまった。
どうしよう! こんなにくっついてたら、ドキドキしてるのバレちゃうわよ!
あたしが黙ったままなのをどう勘違いしたのか、健二は小さく溜息をついて、
「……やっぱ、ダメだよな」
と再び歩き出した。「わりっ! 気にしないでくれな。忘れてくれていいし……」
健二は笑顔でそう言った。
その、無理に作った笑顔に胸がギュッとなる。
「……ダメじゃない」
「え?」
「つ、付き合ってもいいわよっ!」
気が付くとあたしはそう返事をしていた。
それからの半年は本当に楽しかった。
クリスマスには初めてキスもした。
2人とも初めてでなんだかぎこちなかったけど、健二の唇がとっても温かかったのを覚えている。
受験の時期になるとさすがにデートする回数は減ったけど、それでもお互い、
「志望校に合格したら、たくさんデートしようね」
と励まし合っていた。
あたしたちはキスまでの関係だった。健二の方はその先まで求めていたけれど、あたしが拒んでいたから。
健二のことは好きだったし、いつかはそういう関係になってもいいとは思っていたけど、そのときは勇気が出なかった。
そのことで健二と気まずい雰囲気になることもあったけど、結局は健二も納得してくれているものだと思っていた。
なのに―――…

健二はみちるに腕を取られて公園を出て行った。
あたしはなにがどうなったのかよく理解出来ないままその場に突っ立っていた。
「……何よ。サカってんじゃないわよ」
そう呟くのと同時に視界がぼやけてきた。
……泣かない。
こんなことなんかで絶対泣かない!
あんな男、こっちからお断りよっ!!
いくらそう思っても涙が勝手に溢れ出てきて、あたしの頬を濡らした。
あたしは近くにあったブランコに腰掛けると、声を押し殺して泣いた。
健二に呼び出されたときは、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
ここのところ会えてなかったし、デートかな……とすら思っていた。
でも、実際は別れ話で……
……ホントにバカみたい。
いつまでそうしていたのか気が付くと雨が降っていた。
おろしたてのパーカーがしっとりと濡れている。
健二が、
「美紀はブルーが似合うよ」
って言ってくれたから選んだ、水色のパーカーが……
自分の行動があまりにも能天気過ぎて、逆に笑える。
……帰ろ。
そう思い顔を上げると、誰が忘れていったのかブランコの柵のところにかわいいピンクのカサが立てかけられていた。
まわりを見渡しても持ち主らしい人物の姿はない。
大きさからするとまだ子供用で、広げてみると端の方に『ゆか』と名前が書いてあった。
「ゆかちゃん、か。ちょっと借りるわね」
あたしはそのカサをさして家に帰った。


「えーと。それでは今から配るプリントを読んでください」
学級委員が大声を上げながら各列の先頭にプリントを配った。
悲惨な春休みが終わり、あたしは4月からこの私立青葉学園高等部に入学した。
この学園は中学から大学までエスカレーター式の学校で、クラスの半分以上が同じ中等部からの持ち上がりという子たちだった。
そういう子たちはもうすでに仲良しグループが出来上がっていて、まだ入学式が終わったばかりだというのに教室内はとても賑やかだった。
あたしは同中出身の子がクラスにいなかったから、どの輪にも加わらずに黒板の方を眺めていた。
黒板には『クラス親睦 バーベキュー大会』と書かれている。
高等部の裏に那珂間川という川が流れていて、そこで7人ずつのグループに分かれバーベキューをするということだった。
その詳しい内容が書かれたプリントを前の席の子が回してきた。自分の分を1枚取り、さらに後ろに回す。
「はい」
と後ろにプリントを回したとき、後ろの席の男の子は下を向いていたみたいですぐに気が付かなかった。
「ねぇ、コレ!」
あたしがもう一度声をかけると、やっとその男の子は顔を上げた。
黒いサラサラの前髪の間から切れ長の目が見えた。
……思わずドキリとする。
なんか……目力、っていうのかな、そんなのが感じられて。
男の子はちょっと頭を動かして前髪を横に流すと、黙ってあたしからプリントを受け取った。そして自分の分を取り後ろに回す。
そのあとはまた下を向いてしまった。……プリントを読んでいるみたい。
あたしも前に向き直ってプリントに目を落とした。
なんか、暗そうな子。
「えー、それではグループ分けなんですが、ちょうど今並んでいる机の列が1列7人ですので、それで行きたいと思います」
と学級委員が言った途端、そこここから、
「え―――っ!」
と抗議の声があがった。
「親睦会なんですから、元々の仲良しグループでやってもしょうがないでしょ? だから席順でいいんです!」
学級委員は肯きながら、有無を言わせぬ口調で言い切った。
あたしより前の方の席に座っていた女子が後ろを振り返り、班のメンバーを確認する。そして隣りの席の女子とひそひそ話しはじめた。
中等部からの子たちかしら?
いいわね、もともと仲いい子がいるのって。
あたしも誰か同中の子がいたら……と考えかけて、でも、と思い直す。
逆にいなくて良かったのかもしれない。
あたしと健二が付き合っていたのは学年中が知っていて、別れたことも驚くほどのスピードであっという間にみんなに知れ渡った。
春休み中も何人かの友達から電話がかかってきて、いろいろ詮索や慰めや同情をうけて、もう嫌気がさしているところだったし……
やっぱり1人で良かったわ。
あたしが振られたことを誰も知らないこの高校で、心機一転、楽しい高校生活を送ってやる!
新しい友達もいっぱい作って、健二よりカッコいい彼氏も作ってやるんだからっ!!
それにはやっぱりスタートが肝心よね。
親睦バーベキュー大会なんか絶好のチャンスじゃない?
……よーし! がんばろっ!!

「じゃ、改めて自己紹介といきますか!」
よく晴れた土曜日の昼過ぎ。1年A組のメンバーが那珂間川の川原に集まっていた。
あたしのグループは男子4人、女子はあたしを入れて3人のグループだった。
適当にお肉や野菜が焼けてきたところでグループの1人が手を上げ自己紹介が始まった。
「オレは佐伯ユウイチ! ユウちゃんって呼んでね♪」
「なにがユウちゃんよ! あんた中等部でゴブリンって呼ばれてたじゃん!」
佐伯くんの自己紹介に他の女子2人が笑いながらツッコんだ。
「それは野球部時代の話だろ! 今は五分刈りじゃないんだから、もう止めてくれよな〜」
と佐伯くんは頭に手を当てた。
あたしも声をあげて笑った。
どうやら佐伯くんやあたし以外の女子は中等部出身らしかった。
「あたしは水野サエ。サエって呼んでね」
そのままじゃねーか、と佐伯くんから逆襲のツッコミが入る。そして笑い声。
いいなぁ、同中出身は。
あ、うんの呼吸というか、息が合ってるというか。
いやいや、羨ましがってないであたしも頑張らないと!
「オレは真田ヒロキ。ヨロシク」
「あたしも中等部から上がってきたの。寺島ハルカよ」
「オレは鈴木リョウ。里見中出身だよ」
順番に自己紹介が進み、次はいよいよあたしの番!
「あ、あたしは桜井美紀。一中出身よ。同中の子が誰もいなくて……」
と言ってから一呼吸置いて、「友達と彼氏募集中で〜す!」
と笑顔を作る。
「おお――――っ!」
と男の子たちから声があがる。女の子は、
「桜井さん、間違ってもこいつだけはやめなねぇ〜」
と笑いながらゴブリンこと佐伯くんを指差した。
「お前ら余計なコト言うなよ―――っ!」
「ちなみにどんな男がタイプ?」
「ちょっと待て! フライングするなよ?」
と鈴木くんと真田くんが言った。
「あのね〜、男子! 女の子は桜井さん以外にもいるってコト忘れないでよね〜」
「お前らのことはもう知ってますぅ〜」
「ムカツク〜! ゴブリンのくせにっ!!」
「だからその呼び方はよせって!」
鈴木くんと真田くんはあたし同様外部からの入学だけど、みんなと一緒にわいわい騒いでいる。
あたしの自己紹介でちょっと盛り上がったみたい。
いい感じよね? よし!
そのままいい感じにトークが流れていきそうになったとき、
「待って待って! まだ加納くんの自己紹介が残ってるよ!」
と寺島さんが言った。
加納くん、と呼ばれた子はあたしの後ろの席の男の子だった。
「あー… 加納です」
加納くんは肯くように頭を下げた。
「それで終わり?」
「ああん。もっと何か言ってよ〜。中等部で生徒会副会長やってたとか〜、陸上部に助っ人で入ってたとか〜」
と寺島さんと水野さんがじれったそうに体を揺らす。
「知ってんじゃん」
「加納くんの口から聞きたいのに〜」
という水野さんのセリフに加納くんは軽く笑っただけだった。
へぇ……加納くんも中等部出身だったんだ?
なんか、同じ中等部出身の佐伯くんと比べると、女子の対応が随分違うような気が……
それは佐伯くんも思ったみたいで、
「おいおい。お前らだってヒトのこと言えないだろ〜。加納とオレと扱い違うじゃねぇか」
って抗議したけど、水野さんたちは聞いていなかった。
どうやら加納くんは中等部出身の女子から人気があるみたいだった。
暗そうなのに、意外。
ひととおり自己紹介が終わってからは、食べたり飲んだりしながら談笑していた。
一応決まった班分けはされていたけど、他の班もみんな近くでバーベキューしている。だからある程度経つと、他のグループに行くメンバーもいたり、逆に混ざってきたりして、気が付くとあたしたちのグループにいる女子はあたし1人だけだった。
「で、桜井さんはどんな男がタイプなの?」
「ちょっと待て。"桜井さん"は他人行儀だろう。美紀ちゃんって呼ぶことにしよう」
「お前が仕切るなよ」
と佐伯くんと鈴木くん、真田くんは他の班に行かずに残っていた。
加納くんも残っていたけど、話には全然入ってこなかった。
「ところで、今まで付き合った人数は?」
急にそんなことを聞かれた。
え? 人数?
健二1人だけだけど……それって高1にしたら少ないのかな?
正直に言ったら奥手と思われる? イケてない?
あたしは内心の焦りを悟られないようにしながら、
「ま、想像にお任せするわ」
とテキトーに答えておいた。
「うわあ〜」
男子3人がそれぞれに色めき立つ。
どんな想像してるのか全然見当つかないけど……まあ、ウケてることはたしかよね。
「じゃ、じゃあさっ。もう経験あるわけっ?」
と佐伯くんが興奮気味に聞いてきた。
それまで興味なさそうにウーロン茶を飲んでいた加納くんが、チラリとこちらを見る。
経験って…… もちろんエッチのことよね?
当然まだだけど、
「そ、それもご想像にお任せします」
とすまして答えたら男子は、
「うお―――っ!!」
とさっき以上の声をあげ、それぞれがのけぞったり地団太を踏んだりした。
「年上とかは?」
「あったわね」
「すげーよっ! 美紀ちゃん!」
もー、なに言っちゃってんの? あたし……
引っ込みがつかないんだけど。
早くこの男子たちから解放されたかったんだけど、他のグループに知ってる子もいないし、あたしは仕方なくテキトーにあしらっていた。
夕方近くにやっと解散になった頃には、かなり疲れてしまった。

バーベキュー大会は目的どおり、クラスの親睦を深めてくれた。
あたしも苦労の甲斐あって、何人かのクラスメイトと親しくなることが出来た。
なぜか男子の方が多いような気がするけど……
今日も現国の時間に隣りの席の男子が、
「美紀、教科書忘れたから見せて!」
と机をくっつけてきた。
この子、最近忘れ物多いのよね。昨日は消しゴム忘れたからって貸してあげたし。
「はい」
と教科書を机の境目に押してあげると、
「サンキュ♪」
とその男子は肩を寄せてきた。
その直後、あたしは後ろから椅子を蹴飛ばされた。
驚いて振り返ると、加納くんが上目遣いにあたしたちを睨んでいた。
「黒板が見えねえんだけど」
「あ、ごめんね」
あたしは隣りの男子と、少し間を開けるように座り直した。
ちょっと教科書は見えづらいけど、しょうがないわよね。
すると、隣りの男子がチッと舌打ちしたのが聞こえた。
え? あたしのせいなわけ? あんたが教科書忘れたせいよね?
それに……
とあたしは小さく後ろを振り返った。
大体、加納くん背高いんだから、黒板が見えないなんてことないんじゃない?
それに椅子を蹴飛ばすことないじゃない。言ってくれればすぐどくのに……
加納くんは教科書に目を落としていて、もうこっちを見てはいなかった。
バーベキューの時もそうだったけど、加納くんとはほとんど話したことがなかったから、どんな男の子なのかよく分からなかった。
なんとなく無愛想で真面目な人って感じがするけど、意外と女子人気はあるみたいなのが不思議なのよね。
彼女とかいるのかしら?
ま、どうでもいいけど……

放課後、あたしが帰り支度をしていると、
「美紀は何か部活入らないの?」
とサエが声をかけてきた。この前のバーベキュー以来親しくなった女子だ。
「うーん。中学ではダンス部に入ってたんだけど、高校ではどこにも入らないつもりなの」
「えー、そうなんだ。ウチにもダンス部あって結構活動盛んだよ? 大会とかで入賞もしてるし」
見るだけ見てみれば、というサエの話を聞いて、あたしは放課後の体育館にブラブラとやって来た。
体育館ではバドミントン部とダンス部が熱心に練習をしていた。
……やっぱり高校のダンス部は違うわね。あたしなんかがついていけるかしら?
あたしは中学でも飛び抜けて踊れたってわけじゃないから、高校のダンス部でも大した活躍は出来ないだろうと自己分析していた。
「スタイルは悪くないと思うのよね」
誰も聞いていないのをいいことにそう呟きながら体育館の窓に自分の姿を映してみる。
「……ん?」
窓の外に人影が見えた。
誰かしら、こんなところで……
なんとなく興味が湧いて、体育館の裏手にまわってみたら…… そこにいたのは加納くんだった。
加納くんは女の子と一緒にいた。見たことない子だから、他のクラスの子ね。
その女の子に加納くんが、
「ごめん。俺、キミの事よく知らないから……」
と謝っている。「悪いけど、付き合えない」
わ―――っ!?
もしかして告白されちゃってるの!?
あたしは慌てて物陰に隠れた。
どうしよう……
まさかこんな状況だなんて知らなくて、のこのこ来ちゃったけど……
これじゃまるで盗み聞きしてるみたいじゃない!!
でも、今退散したら逆に気付かれそうだし……
もうこうなったら、見つからないように隠れてるしかない!
あたしはしゃがみ込んだまま加納くんたちがいなくなるのを待っていた。
間もなく、女の子の方が小走りにあたしの横を通り抜けていった。
こっちには全く気付いていない。
ふう、よかった……
覗いてたのバレたらシャレにならないもんね。
あとは加納くんがさっさとどこかに行ってくれれば……
と引き続き身を潜めていると、
「おい」
「きゃあっ!」
急に頭上から声をかけられた。
驚いて見上げると、加納くんが眉間にシワを寄せてあたしを見下ろしていた。
「何やってんの? お前」
言い訳できない状況だったけど、
「べ、別に! 何もしてないわよっ!!」
と開き直って立ち上がった。
「ふーん」
加納くんはあたしを一瞥すると、フッと笑って去っていこうとした。
その笑い方がなんだかバカにされてるみたいで……ムカついた。
「意外と、モテるのねっ!」
悔し紛れに加納くんの背中にそう言ってやった。意外と、というところを強調して。
すると加納くんは振り返って、
「お前ほどじゃねーよ」
とまた少しだけ笑った。
「は? あたし?」
「何人とも付き合ってきたんだろ?」
一瞬、何のことを言われたのか分からなかった。
……ああ。バーベキューの時のウソ話のこと。
聞いてなかったと思ってたのに……聞いてたんだ?
「ま、まあね」
そう言ったあと、あたしたちはなんとなく黙って向かい合っていた。
……なによ。
なんか言いたいことがあるなら言えば!?
そのとき、
「美紀!」
と急に背後から名前を呼ばれた。
「えっ?」
驚いて振り返るってみると……
「健二!?」
そこに立っていたのは健二だった。
「な、なんでこんなとこにいるのよっ!?」
健二がこんなところにいるなんて意外過ぎて、思わず責めるような口調になってしまった。
あたしがそう言うと健二は、
「だって、お前ケー番も替えちゃうし連絡つかないから、高校来るしかなかったんだよ」
と苦しそうに眉を寄せた。
え……なんで健二が?
あたしに会いに来たの?
だって、健二はみちるの方がいいって……みちると……しちゃったんじゃ……
「……あたしたち別れたのよね?」
混乱しながらもそう言うと、健二はあたしの手を取って、
「オレやっぱお前じゃないとダメだよ。みちるとはもう会わないから。な、やり直そうぜ」
「そんな……今さらそんなこと言われたって……あたしどうしていいのか分かんないわよ。だって健二はもうみちると……」
「あれはオレの気の迷いだった! もう絶対浮気しないから!!」
「でも……」
とあたしが戸惑っていると、急に健二が、
「……こいつ、誰?」
とあたしの背後に目を向けた。
「え?」
こいつって……? と思いながら振り向くと、そこにはちょっとむずかしい顔をした加納くんが立っていた。
忘れてた! 加納くんがいたんだった!!
「な、なんでもないわよ! ただのクラスメイトよ!!」
あたしは加納くんから逃げるように、慌てて健二の背中を押して校門の前まで移動した。
「とにかく、学校に来られるのは困る。あとで電話するから……」
「マジかよ。いつ?」
「今日帰ったらするから! だから帰って!!」
健二は振り向きながらも、なんとか帰ってくれた。
ふう、と溜息をついていると、加納くんが体育館裏から校舎の方に戻っていくのが見えた。
変なところ見られちゃったなぁ。
明日、なんか言われたらどうしよ。
って、あんまり話すことないから大丈夫よね。
家に帰ってから約束通り健二のケータイに電話をすると、謝罪の嵐だった。
ひたすらみちるとのことを謝っているのを聞いているうちに、なんだか健二がかわいそうになってきた。
嫌いになって別れたわけじゃないし、付き合ってた半年間はすごく楽しかったし……ちょっと許してあげようかな、という気持ちにならないでもない。
でも、一度はみちるの方に気持ちが動いた、というわだかまりが完全になくなったわけじゃない。
あたしは、考えとく、と言うと通話を切った。

その後も相変わらず隣りの席の男子(名前は太田くんっていうんだけど)は忘れ物が多かった。
「美紀ぃ、シャー芯持ってる? ちょうだい」
とか、
「あ、ハンカチ忘れた。美紀貸して」
とか。
何よコイツ、と思うこともあったけど、せっかくみんなと仲良くなり始めたところで変な波風立てたくなかったから、ほとんどのことは我慢していた。
特に教科書を忘れることが多くて、その度に机をくっつけて見せてあげなくちゃならないのが1番イヤだったんだけど、なぜかそのときだけは加納くんの蹴りが入り、太田くんも少しは遠慮してくれるようになったみたいだった。
加納くん……もしかして、あたしがイヤがってるの分かってて助けてくれてる?
と、一瞬自分に都合のいいことを考えてから、それは違うか、と首を振る。
だって、最初から蹴り入ってたもんね。
本当に黒板が見えないのかも。
先生に言って、席代わってあげた方がいいかしら?
と思った次の瞬間……
―――ハッ! まさかあたし、座高たかい!?
急に自分の座高が気になったあたしは、放課後慌てて保健室に座高を測りに行ってみた。
「どうも、失礼しました〜」
座高を測り終え、保健の先生に挨拶をしてから保健室を出る。
なんだ……普通じゃない。
1人で焦ってバカみたい。
そんなことを考えながら教室に向かっていると、廊下の反対側から加納くんが歩いてきた。
しかも、女の子と2人で! また見たことない子だ……
この学園は1学年に12クラスもあるから、外の中学から来たあたしみたいな人にとってはほとんどが知らない人なんだけど。
その女の子は加納くんと一緒にA組に入って来た。
教室にはあたしたちの他に誰もいなかった。
カバンに必要な物をしまいながら、なんとなく加納くんたちの会話を耳にする。
「ねぇ、高弥。今日一緒に帰ろうよ」
「洋子んちと俺んち逆方向だろ?」
「だから、駅までよ」
高弥……って、加納くんのファーストネーム?
しかも相手のこと洋子って呼び捨ててる。
もしかして……彼女? 
……いたんだ?
チョー意外なんですけど……
「悪い。今日ちょっと用事あるから」
加納くんが断ると、そう、と言って名残惜しそうに女の子は教室を出て行った。
あら、彼女を断るほどの用事ってなんなのかしら。
そんなことを考えながら帰り支度をしていると、
「こんな時間まで何やってたんだよ。帰宅部だろ」
と加納くんがカバンに教科書をしまいながら話しかけてきた。
「え、ちょっと保健室に……」
と答えると、加納くんは急に真面目な顔になって、
「具合悪いのか?」
と聞いてきた。
まさか、自分の座高が気になり測りに行ったとは言えず、
「違うけど……ちょっとね」
とテキトーに誤魔化した。
加納くんは、そっか、とちょっと安心したような顔をした。
あれ? もしかして心配してくれてた?
「ねぇ、今の彼女?」
とあたしが聞くと、
「いや、違う」
と加納くんは即答した。
一瞬、テレて隠しているのかな? とも思ったんだけど、どうやら本当に違うみたいだった。
「ふうん。親しそうだったからてっきり彼女かと思ったわ」
それには加納くんは何も答えなかった。
あたしもとっくに帰り支度は出来ていたから、
「じゃ、また明日」
と教室を出て行こうとした。すると、
「桜井んち、どこ?」
と加納くんが聞いてきた。
なんか、初めて名前呼ばれた気がするんですけど……と思いながら、
「朝日ヶ丘だけど」
と答えると加納くんは、
「俺、今日そっちに行く用事があるんだけど、一緒に帰らないか?」
と誘ってきた。
「……いいけど」
どういう風の吹き回し? いつもは無愛想な感じなのに。
なんて思っていたら、学園前の坂を一緒に下りていく間も、電車に乗ってからも、加納くんはほとんどしゃべらなかった。
なんかコレって、一緒に帰ってる意味なくない?
そう思っているうちに朝日ヶ丘の駅についた。
加納くんもあたしと一緒に降りてくる。
「ねぇ。ところで加納くんどこ行くの?」
朝日ヶ丘には大したショップもなく、どちらかというと住宅街だ。
こんなところに一体何の用があるんだろう、と不思議に思って問いかけると、加納くんちょっと迷うように視線をそらせたあと、
「……どこも」
と言った。
「え?」
「実は……お前に話があってウソついた。用事はない」
加納くんは腰に手を当てて、足元に視線を落とした格好でそう言った。
……けれど、その先がなかなか続かない。
あたしはじれったくなって、
「なによ、話って……」
と言いかけて息を呑んだ。
話? はなし? ハナシ―――!?
学校じゃなく、わざわざ2人きりになるようにして。
そして、この言いにくそうにしている態度……
まさか―――
『俺、本当は桜井のことが好きなんだ』
とか……愛の告白―――!?
そんなことを考えていると、やっと加納くんが口を開いた。
あたしは思わず両手で頬を押さえ目を閉じた。
「お前さ、もうちょっと自分大切にしろよ」
「……は?」
「バーベキューの時から思ってたんだけど、スキ見せすぎっつーか……誘ってんのかと思われるぞ」
……え?
なに? 何の話なの?
「隣りの席の太田。あいつ絶対下心あるぜ。そんなことも分かんねーのかよ。それに、この前学校に来てた男。あいつにだって騙されてるぞ、お前」
「…………」
…………話って、説教なのっ!?
「か、加納くんには関係ないでしょっ!? あたしが誰と何しようが!」
べつに告白を期待してたわけじゃないけど……なんかムカツク―――!
まぎらわしいシチュエーション作んないでよね!!
「お前、本当に年上とも付き合ってたのか?」
さらに加納くんのハナシは続く。
「え? 何よ」
「バーベキューのとき話してたろ」
……ああ、またあのウソ話ね。
そういえば誰かに聞かれてそんなふうに答えてたかもしれないけど……
―――いちいち、良く覚えてるわね!
「あれだってあの場のノリと勢いで言っただけだろ。 お前そんなに男慣れしてなさそうだし」
「な、なに言ってんのよっ!」
図星をさされてカッとなってしまった。
「バカにしないでよねっ! ウソじゃないわよ! 数え切れないくらいの人と付き合ってきたわよっ!」
「いや、だからそれが……」
「変なこと言わないで! 加納くんに何が分かるのよっ! 大体、加納くんには関係ないことでしょっ!!」
「…………」
あたしの剣幕に押されたのか、やっと加納くんは口をつぐんでくれた。
……なんか、ズバズバ言い当てられそうであせってしまった。
でも、ここであせってるなんてバレたらあたしの負けだわ!
あたしは腰に手を当てて斜に構え、ちょっと胸を反らすと、
「な、なんなら加納くん試してみるっ?」
と高飛車な感じに言ってやった。
どうせ真面目な加納くんがこんな誘いに乗ってくるわけないし、逆に慌てるところ見てからかってやろ。
そんなことを考えていると、加納くんは微かに目を伏せて、
「……いいのか?」
と呟いた。
「え?」
……今、なんて言った?
と思う間もなく、加納くんの顔が近づいてきて……
唇に何か触れた。
「―――ッ!? やっ!!」
あたしは加納くんを突き飛ばして離れた。慌てて手の甲で唇を押さえる。
……な、なに、今の……
もしかして、今、あたし、加納くんと、キ……ッ!?
唇に当てていた手が小刻みに震えているのに気が付いた。
もしかして、今あたし半ベソ?
本当はそんなに経験ないってバレた?
〜〜〜やだっ!
あたしはカバンを抱えると、加納くんから逃げるように走り出した。そのまま家に着くまで一度も立ち止まらずに走り続けた。
自分の部屋に飛び込み、制服のままベッドに倒れ込む。
……どうしよう。
どうしようどうしようどうしよう!
なに?
なんで加納くんあんなことしたわけ?
そりゃ、たしかに誘ったのはあたしの方だけど……
でもまさか本当にするなんて思わないじゃない!
明日、どんな顔して学校に行けばいいのよ……
あたしは両手で顔を覆った。

翌日。
本当は学校なんか行きたくなかったけど、休んだら負けを認めているみたいで悔しかったから、いつもどおり学校へ向かった。
教室の入り口からそっと中を窺う。
加納くんはもう登校していて自席についていた。
せめてあたしが先だったら良かったのに……と思いながら席につく。
それまでケータイに目を落としていた加納くんがチラリとあたしを見上げた。……けれどそれはほんの一瞬で、加納くんはすぐにまたケータイに視線を戻した。
なんか……昨日までと全然変わらないんですけど。
あたし1人が意識しちゃってバカみたいじゃない!
結局その日は、悔しいんだか恥ずかしいんだかよく分からない感情をグルグルさせながら過ごす羽目になった。
背中が気になってしょうがなかったけど、意地でも振り向かなかった。
プリントを回すときですら、振り向かずに手だけ後ろに回して済ませた。
やっと放課後……という頃には、緊張のし過ぎで肩が凝ってしまった。
あー、今日は疲れた。早く帰ろ。
カバンに荷物を詰めて立ち上がろうとしたとき、不意に後ろから髪を引かれた。
「……なによ」
加納くんが無表情で立っていた。
しばらく黙ってあたしの顔を見ていた加納くんは、そのまま何も言わずに教室を出て行ってしまった。
なんとなく、ついて来いって言われた気がして、あたしも黙って加納くんのあとをついて行った。
加納くんは校舎の間にある渡り廊下のところまで来ると立ち止まった。あたしもその場に立ち止まる。
けれど、なかなか加納くんが振り向かない。
……なによ。
なんか用があるから呼んだんでしょ?
「なによ」
ともう一度聞くと、やっと加納くんはあたしの方を向いた。それからモゴモゴと、
「イヤ……昨日は、その……悪かった、な」
と謝りながら視線をそらした。
まさか謝られるとは思わなかった。
……はっ!!
もしかして、昨日あたしが半ベソだったからかわいそうだと思って謝ってる?
たかがキスくらいでベソかいたって……っ!?
そんなふうに思われたくないっ!
「べ、別にいいわよっ! あんなの挨拶よ、挨拶!!」
あたしが強がってそう言うと、
「……そうか」
とだけ言って加納くんはまた黙り込んでしまった。
そうよ…… あんなの挨拶よ!
じゃなかったら事故!
だから、全然意味のないものだし、気にもしてないしっ!
「じゃ、あたし帰るから……」
と言いかけたとき、カバンの中でケータイが鳴った。
表示を見ると健二だった。
この前かけたとき、新しい番号を教えてあったことを思い出す。
「健二? どうしたの?」
加納くんの方を気にしながら、背中を向けてケータイに出た。
『美紀……? 今すぐ来てくれ。オレもうダメだよ……』
なんだか健二の声が弱々しい。
「え? どうしたのよ。今まだ学校なんだけど……」
『オレ、さっき美紀の学校行こうとしたんだ。早く会いたくて慌ててチャリ飛ばしてたんだけど……後ろからトラック来てるのに気付かなくて……』
「えぇっ!?」
思わずケータイを握りしめる。
『今、病院。……オレ、このまま歩けなくなったら、どうしよう……』
「ちょっと待って! 今どこの病院にいるの? すぐ行くから!」
健二も動揺しているみたいでなかなか要領を得なかったんだけど、なんとか病院名を聞き出した。
「分かった、三橋病院ね。場所は―――」
どこなの、と聞こうとしたとき耳元から電子音が鳴り響いた。……充電切れだ。
「え? ウソでしょ? ちょっと待ってよっ」
焦りながらいろんなボタンを押してみたけど、充電が切れたのではどうしようもなかった。
「どうしよう……っ! 三橋病院ってどこなの……」
なんでこんなときに充電が切れちゃうのよ……っ!
昨日は加納くんとの一件で動揺していて、帰ってからちゃんとケータイを充電器に乗せていなかったことを思い出した。
猛烈に後悔したけど、今さらもう遅い。
それより三橋病院よ!
どうやって場所確認しよう……っ
あたしが1人で焦っていると、今までそばに立っていた加納くんが、
「ちょっと待ってろ!」
と言った。
「え? なによ。今それどころじゃ……」
「いいから待ってろ!!」
加納くんはそう言い捨てると、クラス棟の方へ駆け出していった。
待ってろって言われたって、こっちはそれどころじゃないのよ!
……と思いつつも、何から始めていいのか分からずに、結局あたしは渡り廊下をウロウロするしかなかった。
加納くんは3分もしないうちに戻ってきた。手にヘルメットを持っている。そして、
「来いっ!」
とあたしの手をつかんだ。
加納くんにグイグイ引っ張られながら校舎の外に出る。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
どこに行く気なのよ、と言おうとしたとき頭にヘルメットを被せられた。
気が付くとあたしたちは駐輪場に来ていた。目の前にバイクが止めてある。
「……コレ、誰の?」
「先輩の。借りた」
あたしは、なんで入学したばっかりの1年生に知り合いの先輩がいるんだろう、と考えて、ああ、加納くんは中等部から同じ学校だから先輩もたくさんいるんだ、などと場違いなことを考えていた。
加納くんはバイクにまたがると、
「コレだったら15分かからないで三橋病院着くから!」
と言いながらキーを差し込みエンジンをかけた。
え? 三橋病院に連れてってくれるの?
「早く乗れよっ!」
加納くんはまだグズグズしているあたしを怒鳴りつけた。慌てて加納くんの後ろにまたがる。
スカートだったけど、この際そんなことどうでもいいわ!
「行くぞ」
と加納くんがちょっと振り返る。
え、待って? コレ、どこつかんでいればいいわけ?
そんなあたしの考えが分かったのか、加納くんはあたしの腕をつかんで、
「ここ!」
と言って自分の腰にあたしの腕を回した。
あたしが加納くんの背中にしがみつくのと同時にバイクは走り出した。
あたしはバイクに乗るのが初めてだったからものすごく怖くて、眼を閉じたまま、ただひたすら振り落とされないように加納くんにしがみついていた。
いくつかの疑問が頭をよぎったけど、とても口に出す余裕はなかった。
10分ほどで三橋病院に着いた。
救急病院らしく、ひっきりなしに救急車がやってきてはストレッチャーで怪我人や病人が運ばれていく。
「健二……」
病院に着いたはいいけど、健二はどこにいるんだろう……
どこに行っていいのか分からなくてウロウロしていると、バイクを止めてきた加納くんが足早にやってきた。
「どこ?」
「分かんない……」
とあたしが泣きそうなのを我慢してそう言うと、加納くんはチッと舌打ちして、
「―――あ、すみません! ちょっと前に男子高校生が事故で運ばれてるはずなんですけど……」
と通りかかった看護士に声をかけてくれた。
加納くんは場所を聞き出すと、
「救急処置室はあっち!」
と言ってあたしの腕を取って足早に歩き出した。
廊下の所々に貼られている表示パネルを確認しながら移動していくと、救急処置室が見えてきた。
その外に置いてある長椅子に健二が座っていた。
「健二……っ」
と駆け寄ろうとして、健二のすぐそばにみちるがいることに気が付いた。
慌てて足を止める。
……なんでみちるがいるの?
みちるとはもう会わないって、健二そう言ってたわよね?
どうして……?
2人はまだあたしには気付いていないらしく、何やら言い争っていた。
ケガはどうだったんだろう。足に包帯を巻いてるみたいだけど……
でもとりあえず命には別状ないみたい。ホッと溜息をつく。
と同時に興奮したみちるの声が聞こえてきた。
「健ちゃん! どこに行こうとしてたのよっ!」
「だから……どこでもないって」
「ウソっ! あたし知ってるんだからね! 美紀の学校に行こうとしてたんでしょ!」
健二は黙ったまま顔を背けた。その健二と目が合う。
「あ、美紀……」
見つかってしまったので、そのまま健二の方に歩み寄る。
「健二……大丈夫なの?」
と健二のすぐそばまで行ったとき、急にみちるが、
「美紀ッ!!」
と叫んであたしの頬を平手で叩いた。
いきなりで避ける余裕なんかなかった。
ゆっくりと叩かれた頬を触った。……耳鳴りがする。
みちるが半泣きになりながら喚いた。
「美紀! もう健ちゃんのこと惑わさないでよっ!」
「みちるっ!」
健二がみちるを止めようとしたけど、みちるはそれを振り払って、
「健ちゃんのこと大して好きじゃなかったんでしょ? だからもったいぶってヤラせなかったんでしょ?」
「やめろって!」
「でもね、健ちゃんだって美紀のこと好きなわけじゃないんだから! 美紀のカラダに興味あるだけなんだからっ!」
「みちる、よせっ!!」
健二が怖い顔でみちるを怒鳴りつけたら、みちるは余計に半狂乱になった。
「なによっ! 健ちゃんだってそう言ってたじゃない! 別れる前に美紀とヤッておけばよかったって―――きゃぁッ!」
大声で喚いていたみちるが、急に頬を押さえて壁に手をついた。
そのそばに怖い顔をした加納くんが立っている。
え? なに……?
一瞬のことで何が起こったのかよく分からなかったんだけど……
もしかして、加納くんがみちるのこと叩いたの?
加納くんは怖い顔のまま健二に近づくと、健二の襟元をつかんで、
「てめえの女の教育ぐらいやっとけっ!」
と怒鳴った。
健二は震えながら小さな声で、悪かった、と呟いた。
加納くんはまだ怒りが収まってなさそうな顔をしていたけど、健二をつかんでいた手を乱暴に放した。
みちるはしゃがみ込んですすり泣いている。
「……だって、健ちゃんはあたしのだもん。今はあたしの彼氏だもん……っ」
本当に健二のことが好きで好きで仕方がないみたいだ。
あたしは健二に近づくと、
「あたしたち……もう終わってるのよ。本当は健二だって分かってるんでしょ?」
と言った。
健二はそれについては何も答えずに、
「みちるが言ったことは……全部ウソだから。……でも、ゴメン」
と目を伏せた。
「……みちるのこと大事にしてあげてね」
「美紀……っ」
健二が何か言いかけたけど、それを聞かずに出口へ向かった。
こめかみの辺りがぼわんとしている。
みちるに叩かれたせいなのか、それともそれ以外のせいなのかよく分からなかった。
ぼわんとした頭のまま歩いていたら、いつの間にか病院の駐輪場まで出てきていた。
さっき学校から乗りつけたバイクが止まっている。
それを見た瞬間、なぜだか涙がポロポロ溢れ出してきた。立っていられなくなりその場にしゃがみ込む。
……健二と付き合っていた半年間、本当に楽しかった。
ケンカもしたけど、それ以上に楽しいことがいっぱいあった。
もしかしたら健二は、本当にみちるが言ったように体も目当てだったかもしれない。
それでも、あたしにとっては楽しい半年間だったことに変わりなかった。
でも、もう……本当にさよならね。
ありがと、健二。 バイバイ……

どれぐらいそうしていたのか、気が付くとあたりはすっかり暗くなっていた。
え? 今何時?
慌ててケータイを開いてみると、もうすぐ7時になるところだった。
学校を出てきたのが3時半頃だったはず……とそこまで思い出してハッとした。
―――加納くん!
すっかり忘れてたけど…… どうしたっけ?
もしかしてどこかに置いてきちゃった?
慌てて辺りを見回すと、すぐそばの花壇の縁に加納くんが足を組んで座っているのが見えた。
加納くんはあたしが立ち上がるとすぐにそれに気付いた。彼も立ち上がり近づいてくる。
あたしが泣き止むまで待っててくれたんだ。
「気が済んだ?」
「う、うん……」
思い切り泣いたら、今度は別なことが心配になってきた。
……あたしまた加納くんに説教されるんだわ。
加納くんには昨日、健二のことも含めいろいろ説教されている。
そらみろ! 俺の言った通りだったろ! とか言われるんだわ、きっと……
加納くんがあたしの目の前に立った。あたしは思わず顔を伏せて眼を閉じた。
すると、思いがけず加納くんは、あたしの頭に手をかけて優しく自分の胸に抱き寄せてきた。
…………え?
な、なんで……?
「……あたし、説教されるんじゃないの?」
加納くんの胸でそう聞くと、
「なんで説教?」
と加納くんはちょっと笑った。
あたしは加納くんから少し体を離して彼を見上げた。
「だって昨日あたしに説教したじゃない! お前、あの男に騙されてるぞって」
「うん。言った」
「ほら見ろ、俺の言ったとおりだったろ……って思ってるでしょ?」
「うん。思ってる」
加納くんは今まで見たことないような優しい顔で笑っていた。
なんだか調子が狂ってしまう。
「……あたしのこと、バカな女だ……って思ってるでしょ」
加納くんはますます笑顔になって、
「思ってる」
〜〜〜もうっ!
「じゃ、ほっといてよ!」
ムッとして加納くんの胸を押し返す。そのまま加納くんの腕から逃れようと背中を向けたら、今度は後ろからぎゅっと抱きしめられた。
そして、耳元でこう言われた。
「……お前みたいなバカな女には、俺ぐらいの男がいて丁度いいんじゃねーか?」
……え?
それ、どういう意味?
な、なんか聞きようによってはちょっと……ううん、かなり意味深に聞こえるんですけど……
「……もしかしてあたし、口説かれてるの?」
ドキドキしながら背後の加納くんに確認する。
あたしがそう聞いたら、加納くんは微かに笑ったみたいだ。
「……そう思っていいんじゃない?」
加納くんはちょっと腕の力を緩めると、あたしを自分の方に向かせた。
加納くんの顔が近づいてくる。
あたしはちょっと戸惑いながらもゆっくりと瞳を閉じた。
昨日キスされたときは不意打ちでなにがなんだか分からなかったけど。
今日の加納くんはすごく優しくキスしてくれた。
チュッと音を立てて唇を離したかと思うと、ちょっと見つめてまたキスしてくる。
最初のうちはあたしもテレてたんだけど、そのうち加納くんの首に腕を回したりして、自分からキスしちゃったりした。
なんかこの人…… キス、上手くない?
あたしはもう、加納くんから離れられなくなっていた。


こうしてあたしと加納くんは付き合い始めた。
勢いで付き合い始めちゃったような感じだったけど、あたしはすぐに加納くんのことが大好きになった。
基本的にはクールで真面目だけど、内に熱いものを秘めてそうなところとか。蕩けそうなキスとか。
なにより、あたしだけを想って大事にしてくれるのが嬉しかった。
加納くんはやっぱり密かに女子人気があったみたいで、あたしと付き合い始めたという噂を聞いた他のクラスの女子が、何人かあたしを見に来た。
太田くんは、あたしが加納くんと付き合いはじめたと知ると、ピタリと忘れ物がなくなった。
加納くんが言ってた下心云々……はともかく、これで教科書を見せたりしなくてすむからホッとした。

「それでは、今から小テストをはじめる。問題用紙、後ろに回して」
と前の席からプリントが回ってきた。
あたしは自分の分を取ると、振り返って加納くんに残りを渡そうとした。
加納くんがあたしと目も合わさず普通にプリントを受け取ろうとしたから、あたしはわざと力をいれてプリントを放さないようにした。
ん? といった感じで加納くんがあたしを見上げる。
あたしはちょっと唇を突き出すと、チュッと音を立てた。
加納くんは見る見る間に赤くなって、プリントを無理矢理奪い取ると、さっさと前を向け、というようなゼスチャーをした。
あたしは笑いをかみ殺しながら前に向き直った。
……かわいいなぁ。
あんなにすごいキスしてくるくせに、普段の加納くんは本当にストイックだった。
絶対、人前ではイチャイチャしたがらないし……
加納くんがテレて嫌がるところが見たくて、わざと人前でベタベタしたくなっちゃうのよね。
そんなことを思いながら英語の小テストに向かう。
テストが始まって間もなく、後ろから加納くんがあたしの椅子を蹴飛ばしてきた。

コン、コン、コン、コン、コン。

昔、あたしたちがずっと小さかった頃、ドリカムの未来予想図という歌が流行っていた。
その歌詞の中に「ブレーキランプを5回点滅させるのは、ア・イ・シ・テ・ルのサイン」ってところがあるんだけど……
また加納くんがあたしの椅子を5回蹴飛ばしてきた。
もう……
後ろからはサイン送れるけど、前の席からじゃどうしようもないんですけど。
でも、なんとかして伝えたい!
あたしは思い切って、
「あたしも!」
と声を出した。
小テストが始まって静まり返っている教室に、あたしの声が響いた。
先生が、
「桜井? なにが、あたしも! なんだ?」
と怪訝そうな顔をした。教室全体も少しざわつく。
「いえ、なんでもありません」
とあたしは首を振った。先生はわざとらしく溜息をつくと、
「ほらほら静かにしろ〜。集中集中!」
と手を叩いた。
あたしは、すみませーん、と謝りながら、後ろをチラリと振り返った。
加納くんは不自然なほど顔を下に向けて、英語の問題に取りかかっていた。

その耳が真っ赤になっているのを見て、あたしは吹き出してしまった。
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