ひとつ屋根の下   第1話  最悪な同居人D

それから模試までは、今までにないっていうくらい勉強した。
「ナナ、どうした? 雪でも降るんじゃないか?5月だけど」
パパがあたしの部屋に来て感心半分、からかい半分の声を上げる。
確かにいつものあたしは期末や中間ですらこんなに勉強しないから、パパが驚くのも無理はない。
いつもだったら、パパのそんなセリフに軽口で応酬するんだけど、
「うん・・・」
と問題集から目を離さずに、それだけ答えるのがやっとだった。
睡眠時間も今までに比べると圧倒的に減った。
「ナナちゃん? もしかして、最近かなり夜更かししてるんじゃない?」
決戦・・・いや、模試前夜の夕飯時、法子さんが心配顔であたしにそう言った。
パパは接待で遅くて伊吹は部活だかなんだかで遅かったから、家にはあたしたち2人だけだった。
「明日模試なんです。 だからテスト勉強」
当然だけど例の勝負のことは言えなかったから、そんな風に答えておいた。
「そうなの? 伊吹もそれ受けるのかしら・・・ あの子そういうこと何も言わないし、全然勉強してる感じしないんだけど・・・ 大丈夫かしら?」
「そっ・・・!」
と思わず喜びかけて、「・・・そーなんです、か・・・」
と平静を装う。
――― これはラッキーかもしれない。
伊吹があまり模試の勉強をしてないとすれば、いくら伊吹が特進クラスだといってもどんどんあたしの方が有利になってくる。
なんで勉強しないのか分からないけど・・・・・もしかしたら、部活とかかな?
今日だってテスト前夜だっていうのに帰り遅いし・・・
これは、結果が返ってくるのを待たなくても、勝負は見えてきたかも・・・・・ッ!
あたしが思わず笑い出しそうになったとき、キッチンで何かが落ちる音がしたのと同時に、
「きゃあっ!」
と悲鳴が聞こえた。 法子さんだ!
「どーしたんで・・・ 大丈夫ですかっ!?」
慌ててキッチンに入っていって驚いた。
シンクに茹で上がったほうれん草が散乱していて、そこからもうもうと湯気が上がっている。
その前で法子さんが右手を押さえて顔を歪めていた。
火傷だ!
「水で冷やしてっ!」
水道を勢い良く出し、それを法子さんの腕にかけた。 長袖のブラウスがひじの上までびっしょりになったけど、そんなの構っていられなかった。
流水で冷やしているのに、見る見る間に法子さんの手が真っ赤になっていく。
「病院行きましょう!」
「・・・平気よ。これくらい」
法子さんは色白の顔を、さらに真っ白にしてそんなことを言っている。
平気なわけがない。
近所の皮膚科に行こうとして、今が土曜の夜だということを思い出した。 ―――もう、診療時間はとっくに過ぎている。
その皮膚科どころか、こんな時間じゃ普通の内科だってやっていない。
急いで119番に電話をした。
この時間でもやっている皮膚科のある病院を教えてもらおうと思って電話をしたんだけど、火傷の程度を話したら救急車を出すと言ってくれた。
間もなく、救急車のサイレン音が聞こえてきた。
「今後水脹れなどでちょっとつらいでしょうが、1週間ほどで痛みも引きますから。 応急処置が良かったですね」
幸い大事には至らなかったみたいで、ホッと一安心する。 塗り薬をもらって病院を出た。
「なんか・・・ 本当にごめんなさい。ナナちゃんにまで迷惑かけちゃって・・・」
法子さんが心底すまなそうな声を出す。
「いえ・・・ 大事にならなくて良かったです」
「でも、本当にナナちゃんのおかげでこれだけで済んだのよ。 本当にありがとう」
何度も頭を下げる法子さんと一緒にタクシーで家に帰った。
家の前でタクシーを降りた途端、
「何があったっ?」
と、伊吹が血相を変えて玄関から飛び出してきた。
まさかいきなりそんな風に出てくるとは思わなくて驚いた。
けれど伊吹がそんな風になってもおかしくないかもしれない。
リビングの電気はつけっぱなしだし、食事の支度も途中のままなのに家の中は空っぽだ。
しかも、言われるまで気が付かなかったけど、水道も出しっ放しの上、玄関の鍵まで開けっ放しだったらしい。
時計を見たら10時になるところだった。
こんな時間に家の中がそんな状態になっていたら、伊吹じゃなくても驚くに違いない。
「ちょっと火傷しちゃったのよ」
法子さんが慌てる伊吹をなだめるように言う。 伊吹は包帯の巻かれた手を心配そうに眺めながら、
「ちょっとって・・・」
「それより!」
法子さんが伊吹の話を途中で遮った。「お母さん、自分でうっかり火傷しただけなのに、ナナちゃんが病院に連れて行ってくれたのよ。応急処置も・・・ それで軽く済んだってお医者さんも褒めてくれたのよ。 テスト前なのに」
「え・・・?」
伊吹があたしを振り返る。
「お母さんはさっき謝ったしお礼も言ったけど、伊吹! あなた息子として何か言うことあるんじゃないの? ナナちゃんに!」
法子さんがそう言って伊吹の腕を突付いた。
伊吹は複雑そうな表情を浮かべたあと、チラリとあたしの方を見て、
「・・・わ、悪かったな」
と言い終わるのと同時に明後日の方を向いてしまった。
「なんなの、その態度は? ちゃんとお礼言ってちょうだい!」
法子さんが伊吹の態度に不満を漏らす。 伊吹はまた、仕方ない、といった顔であたしの方を向いた。
「あー、はいはい。 ・・・ありがとうございました!母がご迷惑おかけしました!」
伊吹は早口でそう言うと、「それより母さん、本当に大丈夫なの?」
さっさと法子さんの方に向き直った。
・・・・・相変わらずのマザコンめ!
あたしはマザコン伊吹を横目に自分の部屋に戻った。 そのままベッドに横たわる。
それにしても・・・ びっくりした。
法子さんって、もしかして・・・ 割りとおっちょこちょい?
今日のはちょっと大変だったけど、よくよく思い出してみたら、普段から何か物とか落とすこと多いよね?
言うこととか考えはしっかりしてるのに・・・
まぁ、あたしも人のこと言えた義理じゃないけど・・・
っていうか、あんまりしっかりした継母より、ちょっとおっちょこちょいなくらいの方が親近感沸くな〜
法子さんって意外とあたしタイプ?
これで勉強も苦手とかだったら、ますます―――・・・
と、そこまで考えて慌てて飛び起きた。
―――色々あって、明日が模試だということをすっかり忘れていた!
連日夜更かししていたから、今夜は明日に備えて十分な睡眠をとろうとしていたのに!
寝る前にザッと過去問にも目を通したかったし・・・ すっかり計画が狂ってしまった!
どうしよう―――っ!
と一瞬焦りかけて、でも・・・と思い直す。
今回の模試はこれまでにないくらい頑張って勉強した。
今から焦って過去問なんか見たって、おそらく5点も違わない。
今日まで精一杯やったし、あとはなるようになるしかない。
強いて今出来ることと言えば―――・・・
―――伊吹が明日の模試で失敗することを願うくらいだ。

模試から3週間ほどで結果が返ってきた。
一応全部回答はしたけど、伊吹に勝てたか・・・ 正直自信がない。
それにいつもは余裕を持ってやれる古文が、今回はこの賭けのせいか焦りまくってしまって・・・ 一問ずつズレてマークしてしまった。
途中で気付いて慌てて直したけど・・・見直しをするどころか、最後の方は問題もろくに読めないような感じだったし。
辛うじて平均は行ったけど・・・ あとは伊吹の結果次第だ。
結果が返ってきた日の夜、誰かがあたしの部屋のドアをノックした。 黙って戸を開けたら、案の定伊吹だった。
手には模試の結果が・・・
伊吹はたった一言、
「で?」
と言ってあたしを見下ろした。 意を決してカバンから結果を取り出し、それを伊吹に渡した。
伊吹も黙ってあたしから結果を受け取ると、自分のそれと見比べ始めた。
その目の前で身を硬くするあたし。
・・・きっと、何かの審判を待つ人っていうのは、今のあたしと同じ心境に違いない。
しばらく無言で結果に目を落としていた伊吹は、
「ふぅーん・・・ 文系のワリに頑張ったじゃん。 つか、文系だから国語が得意なのか」
と顔を上げた。
「え・・・?」
「いや、正直お前がここまで出来ると思わなかった。 悪かったな、馬鹿にして」
え・・・ じゃあ・・・・・っ!?
もしかしてあたし・・・ 勝ったの!?
「見せてっ!」
ひったくるようにして伊吹の手から模試の結果を奪い取る。
それを眺めて・・・・ 息が止まった。
現代文も古文も漢文も・・・ 全てで伊吹が上回っている。
それも僅差じゃない。 大差で、だ。
「いやマジで予想外だったよ。お前がこんなに出来るなんてさ。 ま、オレが勝つことは予想内だったけどな」
伊吹は笑いながら、
「約束・・・ いつ果たしてもらおうかな?」
とあたしの顔を覗き込んだ。「ま、オレも鬼じゃないから今すぐとは言わないよ。 女は準備にも時間かかるだろうしね」
何も言い返せないあたしを置いて、伊吹は笑ったまま自分の部屋に戻っていった。

ど、どうしよう・・・
伊吹を追い出すつもりが、まさか・・・・・
―――まさか、あたしの方が出て行かされることになるなんてっ!


「やっぱ負けたんだ?」
「・・・どうしよう、徹平」
あたしは自分の部屋の出窓に座って肯いた。 対する徹平は窓際に椅子を引き寄せて座っている。
すぐ隣に住んでいる徹平とあたしの部屋はちょうど向かい合っていて、あたしたちはよくこうして話をする事があった。
伊吹と同居していることは学校では口が裂けても言えないけど、幼なじみの徹平にだけはときどき愚痴を聞いてもらったりしている。
徹平にはパパの再婚のことでは色々説得されたりもしたけど、その徹平も、まさか相手の息子が同じ学校に通っているとは思わなくて、はじめはかなり驚いていた。
しかも、あたしに対する伊吹の二重人格っぷりを愚痴ったときは、
「マジで? なんか、責任感じるな・・・」
と心底すまなそうな顔をしていた。
だから、この、
「負けた方が出て行く!」
という勝負を持ち掛けたときも、徹平にだけは報告してあった。
今では徹平は、あたしの状況を知る最大にして唯一の理解者だ。
「出て行けって・・・ 椎名も本気じゃねーだろーけど。 ここは元々ナナんちなんだし」
「トーゼンだよ! あたしも出て行く気なんかこれっぽっちもないしっ!」
あたしは意気込んでそう言って、「でも・・・ 勝負を仕掛けたのはあたしの方だし、どう言えば出て行かなくて済むか・・・ その言い訳が思いつかないんだよね」
と肩を落とした。
「このままバックれること出来ねーの?」
「どうだろ・・・ 結果が返ってきた日に、今すぐ出て行けとは言わない、みたいなこと言われたけどさ。このまま知らんぷり出来るかどうかは分かんない」
「そっか・・・」
「それに、出来ればこのままウヤムヤっていうのだけは避けたいな・・・ 勝負をしかけてきたくせに自分が負けたときは逃げんのかよ、みたいに思われるのもシャクだから」
今回のことで一番心配なのはそこだった。
多分伊吹は、あたしが何も妙案を思い付かなくてこのまま知らんぷりを続けていても、本気で、
「出て行け!」
とはこれからも言いに来ないと思う。
けれど、もしあたしがこのまましらばっくれたら、ますます伊吹はあたしを見下げるに違いない。
あたしだってそこまで図々しくないから、自分から仕掛けた勝負を逃げたっていうのに大きな態度でいられないし・・・
そうなると、今まで以上につらい状況になることは目に見えている。
あ〜〜〜っ! ホントどうしようっ!!
と、あたしが頭を抱えていたら、
「・・・んじゃ、マジで出て行けば?」
と徹平が。
「今この家出て、どこに行けっていうの?」
―――それが出来ないから悩んでるっていうのにっ!
あたしが徹平を睨んだら、徹平は自分を指差して、
「オレんち」
「はっ?」
「隣だし、荷物も運びやすいだろ。 窓から投げ込めばいーよっ!」
徹平はそう言って笑っている。
徹平とあたしの部屋の窓は、2メートルくらいしか離れていない。
「・・・そんなのおじさんとおばさんに迷惑じゃん。 ていうか、ナオくんとアッくんだっているし、いる場所ないよ」
徹平の下にはさらに小学生の弟が2人いる。 そんなところにいくら気心知れた幼なじみだっていっても、いきなり居候なんか出来ない。
「そんなん、オレの部屋いればいーじゃん!」
そう言われて、思わず徹平を見返した。
さっきみたいな勢いでは笑っていないけど、でもまだ微かに笑顔が残っている。
どこまで本気なんだか・・・ 全然分からない徹平の顔。
「・・・・・そんなこと、出来るわけない」
呟くようにそう言って、徹平から視線を逸らした。
「なんで? 昔はよく泊まりに来てたじゃん、お前。 いつの間にか来なくなったけどさ・・・」
・・・なんで? じゃないでしょっ!?
いくら幼なじみだって言ったって、あたしたちもう高校生なんだよっ!? そんなわけにはいかないでしょ? 普通っ!!
それに、今はもうなんとも思ってないとはいえ、あたしは昔 徹平にフラれてるんだよ?
それとも、あたしがラブレター出したことなんかとっくに忘れちゃってる・・・?
「・・・徹平って、案外無神経だよねっ!」
ちょっとムカついたから、そう言って出窓から下りる。
「はっ!? 無神経って・・・ なんだよっ!? なに怒ってんだよっ!」
徹平がそう怒鳴る声が聞こえたけど、そのまま窓を閉めてしまった。
―――忘却は罪って聞いたことあるけど・・・ 本当にその通りだ!
ムカついたまま机の引き出しの奥を探り、そこから水色の封筒を取り出した。
あたしが昔、徹平に出したラブレターだ。
久しぶりにそれを取り出して中身を読んでみる。 今より稚拙な文字で、徹平への気持ちが書き綴ってあった。
・・・これを書いていた当時のあたしに忠告してやりたい。
―――徹平は結構無神経な男だよって!

あたしが徹平にラブレターを出したのは中学2年の冬のことだった。
小さい頃から一緒だった幼なじみの徹平を、いつから意識するようになったのか・・・
きっかけなんかは全然分からない。 本当に、気が付いたら好きになっていた、という感じだ。
徹平は、成績だってあたしと同じくらいで可もなく不可もなくって程度だし、顔も特別カッコいいっていうわけじゃない。
けれど、とにかく運動が出来た。
中学では成績がいいとか、顔がカッコいいとか、優しいとか・・・そんなことよりも、運動神経抜群な子が目立つしモテる。
そういう点で言ったら、徹平はモテる部類に入っていたと思う。 中学に入って始めたバスケのせいで、急に背も伸びだしたし。
あたしの周りでも、どこまで本気かは分からなかったけど、
「槙原くんっていいよね〜」
なんて言う子がいた。
だから、あたしは焦ってしまったのかもしれない。
小さい頃から一緒だった徹平を、誰かに取られるんじゃないかと心配になってしまったのかも・・・
早く自分の気持ちを伝えないと・・・と必死になってしまった。
焦ったあたしは一晩中かかってラブレターを書き、それを徹平のカバンにそっと入れておいた。
・・・けれど―――
結局そのラブレターは、次の日ウチのポストに返されていた。
あたしはラブレターを出したことをものすごく後悔した。
徹平はあたしを幼なじみ以上には思えなかったんだ、だから黙ってラブレターを返してきたんだって思った。
どうしよう・・・ これから絶対気まずくなってしまう・・・
こんなことになるなら、はじめからラブレターなんか出さなければよかった・・・
そうあたしが落ち込んでいたら・・・ 意外にも徹平は普通に接してくれた。
まるで何事もなかったかのように・・・
家は隣同士だし、しかも家族ぐるみの付き合いだし、こんなことで気まずくなったら嫌だと思ったのかも知れない。
だからあたしも何事もなかったかのようにして、そのあとも徹平と接した。
あたしの気持ちを流されたことは悲しかったけど・・・・・ いいんだ、幼なじみのままで。
恋人になったら、いつ別れがくるかと心配しなければならない。
その点幼なじみはいつまでたっても幼なじみでいられる。
そうあたしが自分を納得させることが出来た頃・・・ 決定的に失恋をした。
徹平が1コ上の先輩と付き合いだしたからだ。
しかもあたしは偶然、徹平とその先輩がキスしているところを目撃してしまった。
そのときのあたしの間抜けさといったらなかった。
さっさと立ち去ればいいのに足がすくんで動けなくて、目を逸らしたいのに瞬きも忘れて徹平とその先輩のキスを凝視していた。
いつまでもそうしていたら、徹平にあたしが覗いていることに気付かれてしまった。
徹平が目を見開いてあたしを見たまま、慌てて先輩から身体を離した。
あのときの徹平の驚いた顔は今でも忘れられない。
かなりショックだったけど・・・ それですっぱり徹平のことは諦めがついたんだよね。
結局、間もなく先輩が卒業して2人の仲は自然消滅したらしいんだけど、だからって別にあたしの想いが戻るようなこともなかった。
今では本当にいい幼なじみとして付き合えてるし、こうやって誰にも言えないような愚痴もこぼせるし、逆に恋心がなくなって良かったとさえ思っている。
けれど、さっきみたいに、
「オレの部屋くれば?」
なんてセリフが徹平から飛び出してくると、なんだかなぁ、と思ってしまう。
今はこっちもなんとも思ってないからいいけど、ラブレターをもらった相手・・・しかもフッた相手にそういうこと言うかな?

「ん―――・・・」
何かの気配を感じた気がして、顔を上げる。
いつの間にかうたた寝しちゃってたみたいだ。 机にうつ伏せるようにして寝ていたせいで、首が痛い。
そっか・・・ さっき徹平と話したあと、いつの間にか寝ちゃったんだ・・・
さっき徹平と話をしていたのは夕方だったけど、辺りはいつの間にか暗くなっている。
今何時? ・・・と、壁の時計を確認しようとして、
「ッ!?」
驚いて椅子から飛び上がった。
―――伊吹がすぐ傍に立っている!
なっ、なんで伊吹がっ!?
一体いつの間に入ってきたんだろう?
っていうか、何しにあたしの部屋なんかに・・・!?
寝起きのせいで余計に頭が混乱する。 伊吹に何か言いたいのに、上手く言葉を探し出せない。
あたしがパニくっているのも構わず、伊吹は何か便箋のようなものに視線を落として、熱心にそれを読んでいる。
一体何を―――・・・
と考えた直後、一瞬で頭に血が上った。
「ッ! ちょっ、なに読んでんのよッ!!」
伊吹の手から、徹平に宛てたラブレターを取り上げる。 伊吹はちょっと驚いた顔をしてあたしを見下ろした。
「〜〜〜ヒトのもの勝手に読むなんて・・・ サイッテーッ!!」
あたしがそう怒鳴ったら、伊吹は、
「・・・落ちてたんだよ」
と、もごもごと言い訳をする。
「嘘っ!」
「嘘じゃねーよ。 落ちてたから、なんだろうって確認しただけだっつーの! ・・・つか、そんな大事なもんならちゃんとしまっとけよっ!」
は・・・ はぁ――――――っ!?
伊吹が言い返してきたことに、ますます腹が立ってきた!
「ヒトの手紙勝手に読んどいて、その言い方はどうなのっ!? 普通謝るのが先じゃないのっ!? ホントあんたって性格悪いよねっ! この二重人格者っ!」
「オレは二重人格なんかじゃねーよ!」
「二重人格ですーっ! 学校とかパパや法子さんの前ではいい子ぶってるくせに、あたしにだけ態度悪いじゃん! 二重人格っ!!」
「それは二重人格って言わねーんだよ! オレはちゃんとヒトを見てんのっ! まともな人間相手なら、オレだってちゃんとした態度とるっつったろ!?」
伊吹のセリフに、あたしの頭の血管が大きく脈打つ。
「あたしがまともじゃないって言いたいわけっ!? ・・・なによっ、マザコンのくせにっ!!」
「はぁっ? 誰がマザコンだってんだよ!?」
「あんた以外に誰がいるわけっ!? 母さん、母さんって、法子さんの後ついてまわって・・・ 高校生がホント気持ち悪いんですけどっ!」
「ついてまわってなんかいねーだろっ!」
「まわってるじゃんっ! この前のミシンの時だって大したことなかったのに、血相変えて飛び込んできて・・・ それであたしのこと突き飛ばしてさっ! あたし肩ぶつけたんだからねっ!」
・・・・・そうだよ! あたしあんとき、すごく痛かったんだからっ!
なのに、謝りもしないで・・・・・
いつも、母さん母さんって・・・ 法子さんのことばっかり!
法子さんにする気遣いの少しでもあたしに向けようって気はないわけっ!?
―――なによ・・・ 法子さんばっかり・・・・・ ―――ズルイじゃんっ!
そう思ったら、急にお腹の中がモヤモヤしてきて、思いもしない事が口をついて出てきてしまった。
「大体さ、法子さんも法子さんだよねっ! ちょっとドン臭いんじゃないのっ?よく物とか落とすしっ!」
「はっ?」
「この前のやけどの時だってそうっ! テスト前日だったのにさ、あたし全然勉強できなかった! きっとそのせいであんたに負けたんだよ! 全部法子さんのせいだよっ!」
・・・違う。
テストで伊吹に負けたのは法子さんのせいじゃない。
「色々気を使ってくれるし優しいけどさっ。 かえって周りに迷惑かけてるときあるじゃんっ!」
違う違う、そうじゃない!
法子さんがなんにでも一生懸命なのは知ってる。
それに、何か失敗した時だって、別にあたしもパパもそれを迷惑に思ったことなんか一度もない。
やけどの時だって・・・・・
こんなこと伊吹に言っちゃいけない。
本当はあたし、こんなこと思ってない―――・・・
けれどやめる事が出来なかった。
こうやって法子さんのことを悪く言ってないと、お腹のモヤモヤに押しつぶされそうで耐えられなかった。
「あたしたちに迷惑かけるぐらいだったら何もしないでくれてた方がまだマシ・・・ ―――ッ!! いったッ」
そこまで言ったところで伊吹に頬を叩かれた。
「・・・・・母さんのこと、悪く言うな」
伊吹の目が怒りの色に染まっている。「母さんはお前たちと上手くやっていこうと努力してるんだよ。 今度そんなこと言ったら、ぶっ殺すからな」
伊吹の抑えた声が、一層怒りを表していた。
叩かれた頬を押さえて、伊吹を睨みつけた。
・・・確かに言い過ぎたって自覚はあった。
あたしは言っちゃいけないことを伊吹に言ってしまった。 伊吹が怒るのは当然だ。
―――けれど、そう分かっていても、伊吹に謝ることは出来なかった。
「〜〜〜努力してるのは法子さんだけじゃないんだからっ!」
急にいろんな事が噴き出してきてしまった。
「なによっ、母さん母さんって・・・ あたしたち一応家族になったっていうのに、あんたは法子さんのことばっかりで・・・! ちょっとはこっちに気ぃ使ってくれたっていいんじゃないのっ!? なんであたしにはそんなに冷たいわけっ!? あたしあんたに何かしたっ? パパ・・・パパだって法子さんの前であんなに嬉しそうな顔しちゃってさ・・・ パパの笑顔はあたしだけのものだったのにっ!」
あたしが一気にまくし立てたら、さすがの伊吹も驚いた顔をして黙ってしまった。
絶対なにか言い返してくると思ったのに・・・
そのまま伊吹を睨みつけていたら、頬が冷たいことに気が付いた。
「・・・・・ッ!?」
あたし・・・ もしかして、泣いてるっ!?
しかも伊吹の前でっ!!
慌てて伊吹に背を向けて、机の上に置いてあったティッシュを1枚引き抜く。
ヤバい・・・ もしかして、鼻まで垂れてた?
夢中で怒鳴りつけてて、全然気が付かなかった・・・
鼻・・・ かみたいけど・・・・・ なんか、伊吹がいるし・・・音とか気になる・・・・・
そんなことを考えながら鼻をティッシュで押さえていたら、
「・・・人のこと、言えんのかよ」
と伊吹が小さくつぶやいた。
「え?」
鼻をティッシュで押さえたまま、ほんのちょっとだけ振り返る。
伊吹はもう、さっきみたいには怒っていなかった。
代わりに、口の端を持ち上げるようにして微かに笑ってすらいる。
え・・・? な、なに・・・?
戸惑うあたしに伊吹は、
「お前こそ、チョーファザコンじゃん! パパ〜ってなんだよ?」
とバカにしたように笑いかけた!
「ッ!? 〜〜〜もうあったま来たっ! あんたなんかさっさとこの家から出てってよ!」
「なんでだよ。 勝負に負けたのはお前の方だろ? そんなにオレがイヤならお前が出てけよ」
「それ、は・・・ッ!!」
思わず口をつぐむ。
それを言われると・・・・・ ツライ・・・・・
言い返せなくて俯いていたら、伊吹はフンと鼻を鳴らして、
「ま、どうせ出て行く勇気なんかないんだろーけど。 甘やかされてるお前が、この家出て1人で生活できるわけないしな。 こっちだってハナっからそう思ってたから安心しろ! ・・・って、汚ねーだろっ!!」
「出て行くよっ!」
鼻を押さえていたティッシュを伊吹に投げつけて、そう怒鳴った。
「出て行けばいいんでしょっ! あたしだってあんたの顔なんか見たくもないしっ!」
あたしは机の横に掛けてあったカバンを手にして、「ちょうど出て行こうと思ってたところだしっ!」
と部屋を飛び出した。
「はっ!? お、おい―――・・・」
伊吹の慌てる声が微かに聞こえたけど、あたしはそのままの勢いでウチを飛び出した。

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