B 先輩との再会


そのままGWに入った。
何も予定のないあたしは部屋でごろごろしてばかりいた。
何も予定がなくても長期の休みはありがたかった。……休み明け、気持ちを切り替えやすいから。
「気分転換にまた髪でも切ろっかな…」
と呟くと、
「それ以上切ったらオレより短くなっちゃうよ、ねーちゃん」
と祐樹が部屋に入ってくる。「何? また失恋したわけ?」
「……あんたねぇ。何回言えば分かるの? 勝手に部屋に入って来ないでって!」
祐樹は笑いながら、
「ねーちゃんに客」
と言った。祐樹の背後から現れたのは……麻美だった。
「あとでお茶お持ちいたしますぅ〜♪」
祐樹は麻美にやたら愛想を振りまくと階下に下りて行った。
祐樹の足音が聞こえなくなると、
「結衣! 買い物行かない?」
と麻美が言った。
「買い物かぁ。……でも、特に欲しいものとかないからなぁ」
「じゃ映画行こ!」
「何やってるの?今」
「そんなの…行ってから決めればいいじゃない」
「そーだけど…、でも興味ない映画2時間も座ってるのキツいから、やっぱ止めとく」
麻美はちょっと俯いたあと、思い切ったように顔を上げた。
「結衣、あたしねっ」
「麻美。なんか気にしてるみたいだけど麻美のせいじゃないから。……ついでに言うと、五十嵐くんのせいでもないよ。完全にあたしのせいなの。あたしが半端な気持ちのままだったから陸のコト傷つけちゃっただけ。自分に自信がなくて陸のコト疑ってただけだから」
ホントに全部あたしが悪いの……
「結衣。その商業科の子と杉田先輩、どっちが好きなわけ?」
「どっちがって…… どっちにもフラれたんですけど」
麻美はじれったそうに、
「そうじゃなくて! 結衣の気持ちがどっちにあるか聞いてるのっ!」
と言って立ち上がった。「ちょっと来て!」
あたしは半ば強引に麻美に引きずられるようにして家の外に出た。
「どこ行くの?」
と麻美に聞くと、
「ちょっとここで待ってて?」
麻美はそう言ってどこかに電話をかけ始めた。
通話が終わって麻美があたしに近寄ってくる。
「今からすぐ来るって言うから。いい? 結衣はここで待っててね!」
「え?ちょっと… 誰が来るの?」
「いいから待ってて!」
と麻美は立ち去ろうとする。そこへ家の中から祐樹が顔を出した。
「あの〜…お茶、冷めますけど?」
「今それどころじゃないからっ!」
麻美に怒鳴られ祐樹が慌てて顔を引っ込めようとする。「…あっ! ちょっと弟っ!」
「は、はい?」
また祐樹が顔を出す。「何か……?」
「今からあんたの姉さんとこに人が来るから、逃げないように見張ってて!」
「はぁ…」
「頼んだわよ! あんたの姉さんの人生がかかってるかもしれないんだから」
本当に誰が来るの?
「あの…誰が来るんでしょうか?」
祐樹がおずおずといった感じで麻美に話しかける。麻美はちょっと考えてから、
「……もしかしたら、将来あんたのお兄さんになるかもしれない人?」
と言って麻美は帰ってしまった。
将来のお兄さんって…… だ、誰が来るのよっ!?
あたしは逃げるように家の中に入ろうとした。
「ちょっとねえちゃん! 動くなよっ! オレが怒られんだろ!?」
「いーからどいてよ!」
祐樹はあたしの前に立ちはだかっている。
「……何よ。あんた姉の言うことが聞けないわけ?」
あたしが恨めしげな目で睨みつけると、
「姉の言うことより未来の恋人♪」
とニカッと笑う。「オレ、ああいう人超タイプ〜♪」
「……あんたねぇ。高望みもいいとこっ! 大体あんた身長いくつよ?」
「166」
「はい、残念でした〜! 麻美は167だからあんたより大きいもんね!」
「なんだよ、これから伸びるよ! まだ高1なんだからっ!」
「あたしだってそう思ってたけど、高1のときから同じ身長…」
なんて祐樹と言い合っていたら背後でクラクションが鳴った。
あたしが慌てて道の端に身を寄せると、その車は減速して目の前でピタリと止まった。
パワーウィンドウが下がりそこから顔を覗かせたのは……
「す、杉田先輩?」
あたしは驚いて口に両手を当てた。横で祐樹が、
「え? ……おお〜!これがスギタ先輩か。春休み中ねえちゃんを泣かせてた」
と声を上げる。
先輩が運転席から降りて来る。
黒いサラサラな髪。180を越す長身なのに全然ゴツイ感じがしないソフトな身体のライン。長い手足。長いまつげに縁取られた切れ長の目。
杉田先輩だぁ……
「超イイ男じゃね?」
これがオレの未来の兄貴かぁ、と祐樹が感心したように言う。
「結衣、久しぶり。……でもないか。まだ2ヶ月も経ってない」
そう言いながら笑顔になる先輩。
なんで先輩が? 京都に行ったはずじゃ……
あたしが驚きで口も利けないでいると、
「弟さん? お姉さんを借りてもいいかな?」
と先輩があたしの肩に腕を回した。祐樹があたしの背中を押しながら、
「はいはい、どうぞ〜! 持ってっちゃってください!!」
と言った。
先輩は、じゃあ、と言ってあたしを助手席に座らせた。すぐにスムーズに走り出す白いマークU。
先輩、免許持ってたんだ……
「これ……先輩の車ですか?」
「まさか。親父の車」
急いで出てきたから借りてきた、と先輩は言った。「で、どうしたの?」
「はい?」
あの、それはあたしのセリフなんですけど……
「あれ? さっき麻美ちゃんから電話もらって、結衣が急用があるって言うから……」
え? どういうこと?
「……なんか違ってたみたいだね」
とまた先輩はソフトに微笑む。
「あ、あの…すみません」
なんて言っていいのか分からなくてとりあえず謝った。「ところで先輩、京都にいるはずじゃ……」
「うん。ちょっとこっちに用事があってね。連休中帰ってきてるんだ」
「そうなんですか」
あたしはなんとなくハンドルを握る先輩の手を見つめていた。
相変わらずキレイな指だな〜。とてもバスケをやっているなんて思えない。どっちかというと、ピアノとか?そっちの方が似合いそう。
「いい天気だよね〜」
赤信号で止まったとき先輩が窓を開ける。「……ん?」
先輩はサイドミラーを見たあと背後を振り返った。
「どうかしたんですか?」
「……いや、べつに」
信号が青に変わる。……けれど車は動き出さない。
「……あの、先輩? 青ですけど」
後ろの車からもクラクションを鳴らされた。
「あ、ああ」
先輩はちょっと慌てた感じで車を走らせる。「間に合わなかったか……」
「? 何がですか?」
「なんでもない、こっちの話」
と言うと強くアクセルを踏んだ。「ちょっと付き合ってくれる?」
「どこ行くんですか?」
「デート」
と言って先輩はあたしを流し見た。
「デート、ですか」
「どこ行きたい?」
「どこって……」
あたしは戸惑っていた。
あのー…あたしたち別れたんですよね?
遠恋はツライから無理だって…あたしフラれたんですよね?
それとも、今はこっちに戻ってきてるから…… その間だけの間に合わせの関係?
「それとも、もう新しい彼氏がいるから俺には付き合えない?」
「はっ? そんな…新しい彼氏なんて……い、いません…」
言いながら俯く。
陸とはもう終わったし…… ていうか、もともと付き合ってるのかなんなのか微妙なカンケーだったし。
「行きたい場所言ってくれないなら、俺が勝手に決めちゃうよ〜?」
とちょっと意地悪な表情を作ってからかうようにあたしの顔を覗きこむ先輩。
あ、この顔好きだったなぁ……
直後、先輩が慌てたように顔を背ける。
え? なに?
「? どーかしました?」
と聞いてから、あたしは自分の格好に気がついて慌てた。「うわっ! あたしの恰好、ひどすぎません!?」
普段着ているTシャツに膝が抜けているジーンズ。
足元に至っては、お父さんのサンダル履いてきちゃってる―――っ!!
「……まぁね。今から家に戻るのもあれだし、どっかで調達して行こう」
先輩は顔を前に向けたまま小さく言った。ちょっと難しい顔をしている。
うわうわうわっ!
あの優しい先輩が引くほどの格好?
「それまでコレ羽織ってて」
後部座席に置いてあった薄手のコットンパーカーをあたしに手渡す。相変わらずあたしの方を見ようとしない。
そんな、パーカーで隠さなきゃいけないほどの格好なんだ……
……もう帰りたい。
どこかで調達って、どこで? あたし今月お小遣いピンチ……
とそこまで思い出して、あたしはお財布を持ってきていないことに気がついた!
お財布どころかケータイやハンカチすら持ってないっ! 完全に手ぶら!!
「ごめんなさい、先輩。あたしお財布忘れちゃったんで……」
やっぱり帰ります、と言おうとしたら、
「ゴメン。初めに気が付けば良かったんだけど…、たった今気付いたから……」
逆に先輩が謝ってきた。
「え?」
なんで先輩が謝るの?……とあたしが戸惑っていると、
「……やっぱり気付いてなかった?」
と先輩。
「あの…、この格好ですよね?」
とあたしは曖昧に笑った。「いくらなんでも、お父さんのサンダルはないですよね〜…」
「……ちがう」
「はい?」
なんだか先輩は言いにくそうにしている。
「あの、先輩? はっきり言ってくれて大丈夫ですよ。ホントひどい格好だし…」
とあたしが自嘲気味に言うと、先輩は小さな声で、
「………下着」
と言った。
……え? 下着…って言った? 今……
先輩はさらに小さな声で、
「……つけてないよ、ね?」
―――……
……うそ、うそうそうそうそ?
ぎゃ―――――っ!!
あたしは慌てて前かがみになった。
「そのパーカーあげるよ」
先輩は困ったように笑っている。
なんで?
なんであたし… ノーブラなわけ……
もう、恥ずかしくて死んじゃいそうっ!!
「俺そういう店詳しくないから… どこ行けばいい?」
っていうかお財布ないし。
まさか、先輩にお金借りてブラ買えないしっ!
やっぱり帰りたい……
そう言おうと思ったとき車が止まった。
いつの間にか学校に着いていた。
「あれ、なんで学校に……」
「こっちに帰ってきた用事はコレ」
先輩はシートベルトを外しながら言った。「すぐ終わるから待ってて? そしたらすぐに送ってくから」
車は校門のちょっと手前で止まっていた。先輩が学校に向かって歩き出す。
あたしも慌ててパーカーを羽織って車外に出た。
「結衣? 出てきて大丈夫なの?」
先輩の横に並んで歩く。
「はい。……あの、本当にこのパーカーもらっちゃってもいいんですか?」
「いいよ、あげるよ」
先輩はちょっと笑って、「でも、気付いたときは本当にビビッたよ」
「休みだったんで…… 油断してました」
麻美に突然連れ出されたから、全く気が付かなかった……
パーカーのファスナーをぴっちり閉める。
あたしそんなに胸大きくないから、こうすれば全然大丈夫みたい。……って、嬉しいんだか悲しいんだか。
校門前に来たところであたしの足が止まる。
……ここで陸が犬みたいにあたしの帰りを待ってたっけ。
「結衣?」
あたしが出てくると、すごい嬉しそうな顔して飛びついてきて……
あ、また目の奥が熱くなってきた。
「結衣?」
……あたし、先輩のこと好きだった。
未練がましく別れたあとも指輪をとっておくほど大好きだった。
けど、今は……
「どうしたの?」
あたしは両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。

先輩が学校に来た理由は奨学生になるための必要な書類をもらうためだった。
事前に電話をしてあったらしく、事務室に行くとすぐに書類を渡されて、5分もかからずに用事は済んだ。
「……そうか」
ハンカチもないのにグズグズ泣いていたら、見かねて先輩がハンカチを貸してくれた。
ハンカチを忘れて男の人に貸してもらう女の子なんて……サイアク。
「ごめんなさい、先輩。パーカーだけじゃなくてハンカチまで…」
先輩は、いいから、といった感じで軽くあたしを制すると、
「……その彼に自分以外にも付き合ってる子がいるんじゃないかって心配なわけ?」
「っていうか…… 他にも可愛い子いっぱいいるのになんであたしなんかと?って思っちゃって。……自分に自信がないんです」
なんとなく陸とのことを相談するうちに、あたしたちはブラブラと体育館の方にやってきていた。
あたしたちはステージの縁に腰掛けるような格好で並んでいた。
「なんでそう思うの? 結衣は可愛いよ」
「また先輩は…… すぐそういうこと言う」
あたしが先輩を睨むと、本当なのになぁ、と先輩は呟いた。
「とにかくさ、その指輪は捨てなよ」
「え?」
「それが諸悪の根源!」
と先輩は笑って、「……俺も捨てるし」
「え? ……先輩まだ持ってたの?」
「未練がましいだろ〜?」
はにかむように笑う。
……だって、あたしの方がフラれたんだよね?
あたしが驚いた顔をしていると、先輩はステージから下りて、
「……ゴメン。今のナシ」
と踵を返して出口の方に歩いていこうとする。
「え?え? 先輩? どういう意味?―――きゃッ!」
「結衣!?」
慌てて追いかけようとしたら、バランスを崩してステージから落ちそうになってしまった。
それを先輩が受け止めてくれる。
「す、すみません。……なんか相変わらずドンくさいですよね、あたし」
「そこが結衣の可愛いところだよ」
と先輩はあたしの腕を取って床に下ろしてくれる。「守ってやりたくなる」
「は? あの… 先輩?」
先輩の真意が分からなくてその瞳を覗きこんだ。……そのとき、
「オレと勝負しろ―――――ッ!!」
と体育館内に大声が響き渡った。
あたしと先輩が驚いて振り向くと、体育館の出入り口のところに陸が立っていた。

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