Cube!   第2話  BLIND SOLDIERA

「この学園のトイレットペーパーにはミシン目がついている。○か×か…… なんなんですか、これ」
「クイズさ、もちろん。見ればわかるだろ」
中谷さんは何枚かのレポート用紙を出した。「なかなかいいクイズだろ。学園に合った問題! これがいいんだよ、高弥」
俺は中谷さんが作った問題のレポートを眺めた。
場所はいつものように生徒会室である。
「へぇ、なかなか面白いものつくりましたね、会長」
安田が無邪気に笑っている。
「だろ? メインは借り物競争なんだ」
「借り物競争?」
俺は驚いた。「クイズじゃないじゃないですか」
「だめだなぁ、高弥は。大人ぶっていても、まだまだ子供だね」
中谷さんにそう言われたら俺もおしまいだ。
「クイズだけじゃつまらないだろ? それで借り物競争を入れたんだ。グッドアイディアだろ」
俺は溜息をついた。
「そういえば、ここ1週間ほど美紀さん来ませんねぇ」
安田が残念そうに言う。
「クラスの方の準備で忙しいんだろ。そんなに美紀に会いたいのか?」
「はいっ、そりゃもう! ―――あ、いいえ、あの……っ」
安田が慌てて言い訳をする。俺は笑いをかみ殺した。
そのとき、
「あの〜、会長さんいますか」
戸が開いて男が入ってきた。長身で赤みがかった髪をしている。
「なんだ、キミ」
と中谷さん。この人も、生徒会の外から見たら立派な会長に見えるんだよな。
「異装許可をもらいに来たんですけど。学園祭の」
「異装許可?」
中谷さんがそう言って俺の方を見る。
俺は小さく溜息をついて、中谷さんの代わりに答えた。
「異装許可はもう締め切ったんだ。許可は出せないな」
俺は素っ気なく言って、「一体、何年何組なんだ?」
「――――2年F組だけど……」
男は訝しげにジロジロと俺を見ると、「じゃあ、加納って人いる?」
「――――加納は俺だけど……」
と言いかけたところへ、
「榎本くーん、許可取れた?」
男の後ろから美紀が顔を覗かせた。そして俺を見つけると、
「高弥―――!」
と叫んで飛びついてきた。「ここんとこあたしが来ないから寂しかったでしょ?」
「おい……」
俺は慌てて美紀の身体を引き離した。

「じゃ、こいつは美紀のクラスなのか」
「うん、そうよ。榎本くん。知らなかった?」
「全然」
俺は小さな接客用のソファに深く座って、肩をすくめた。
「あら、あたしなんかよく知ってるわよ」
「当たり前だ。お前は同じクラスだろ」
俺は苦笑した。
ここで断っておくが、俺がこの榎本という男を知らないのは、俺の記憶力に問題があるからではない。
なにしろ、この学園は1学年に12クラスもあるため、全生徒の顔と名前を覚えるのにかなりの時間がかかる。在学中まともに顔を合わせずに卒業、というパターンも珍しくないくらいだ。
「とにかく許可は出せないよ」
「どうして?」
美紀が眉を寄せる。
「期限はとっくに過ぎてるからだ」
「そこをなんとか……ね? あたし達のクラスだけじゃない」
俺はソファを立つと、
「ダメダメ。1クラスでもこういうのを認めると、オレもオレもってのが絶対出て来るんだ。美紀のクラスだけってことは出来ないんだよ」
と美紀に背を向けた。すると今まで下手に出ていた美紀が、急に不機嫌になった。
「何よっ! この前の幽霊のことといい、あたしの言うことちっとも聞いてくれないんだから! あたしあんな説明で納得なんかしてないんだからっ! 増設工事の話で上手くごまかしただけでしょ! 高弥あたしのこと嫌いになったのねっ!?」
「それとこれとは話が別さ」
俺たちの周りでは、中谷さんや安田が心配そうにやり取りを見ている。
「高弥のバカっ!」
「バカで結構。それで美紀が諦めてくれるんならな」
俺は自分の席に戻ると、さっき中谷さんが持ってきたレポートをめくった。
「もうっ!」
美紀は頬を膨らませてソファの背もたれに寄りかかった。
……俺はなんだか面白くなかった。
大体なんなんだ、この榎本って男は。
さっきから俺たちのやりとりを見て、ニヤニヤ笑って…… 失礼な奴だ!
許可なんか出さないぞ。絶対!
安田が心配そうに俺と美紀の間を行ったり来たりしている。そして思い切ったように美紀に近づき、
「美紀さん、僕でよければ2番目は……」
と言ったところを俺に睨まれ、すごすごと自分の席に戻った。

「馬鹿よね〜、高弥は」
そばでペーパーフラワーを作っていた洋子が言った。「それで?」
「それでって?」
「ちゃんと謝ったんでしょうね」
「なんで俺が謝らなきゃならないんだ」
俺は憮然として言った。「謝るなら美紀の方だろっ!」
「ちょっと! 怒るのは勝手だけど、その看板に当たるのは止めてよね」
俺は、学園祭でやるバザーの看板を作りながら、先日の出来事を洋子に話していた。
「ほらっ! 釘が曲がってるわよ」
洋子に言われて釘を打ち直す。
「大体美紀はわがままなんだよ。いつも俺がそれに合わせてんだぜ」
俺は釘を打つ手をいったん止め、美紀の口調を真似た。「『高弥ぁ、カバン持ってぇ』、『高弥ぁ、あれ取ってぇ』、『高弥ぁ、キスしてぇ』……――っ!! あ、いや、これはっ」
俺は慌てて咳払いをした。洋子はニヤニヤしながら、
「そーゆートコが好きなくせして〜」
と言って俺の脇腹をつついた。
「ちょっと加納くん。あなた美紀とケンカしたんですって?」
和歌子さんが、なにやら紙袋を抱えてやってきた。「あ、はいこれ。赤いペーパーね」
と言いながらその袋を洋子に渡す。
「ありがとうございます」
「……どうして和歌子さんが知ってるんですか」
俺は恨みがましい目で和歌子さんを見上げた。
「正臣が言ってたわよ〜。『大変だ。高弥と美紀君がケンカした』ってね」
和歌子さんは笑いながら、「安田くんなんか、『僕は喜んでいいのか悪いのか分かりません』だって。ふふっ。彼、美紀のコト好きなんですって?」
「なんだか楽しそうですね……」
俺は力なく言った。
「加納くんっていつもクールに決めてるから、こういう時ついついからかいたくなっちゃうのよね」
「あ、それ、分かる〜!」
和歌子さんのセリフに洋子が同調する。
「でしょう?」
「ケンカなんかじゃありませんよ」
俺はちょっと肩をすくめた。
そう、ケンカなんかじゃない。
誰がどう見ても美紀に非があるのは明らかで、ケンカにもならないようなことだ。
どうせそのうち謝ってくるに違いない。それもいつものことだ。
……とはいえ、あの日から3日も顔を見せないのが気にはなっていた。
いつもだったら、ガマンできなくなった美紀の方から、そろそろなんらかのアクションを起こしてくる頃なのに。
みんなの前で言い争ったのが気まずかったのだろうか。うっかりみんながいることを忘れて言い返してしまったが。
だったら、今回はこっちから多少は歩み寄ってやってもいい。
今日はこの看板を仕上げる予定でいたが、それは安田にやらせて、美紀のクラスに迎えに行き一緒に帰ってやろう。
そう思い、安田が来るのを待った。和歌子さんと洋子はそれぞれクラスの方に戻っていった。
生徒会室に1人きりになり、改めて先日の美紀とのやりとりを思い出す。
異装許可の件は、いつもだったら多少は融通がきく範囲のことだった。締め切りだって2日しか過ぎていない。
ただ……なんとなくあのときは冷静に対応できなかったのだ。
原因は分かっている。
あの、美紀と一緒にいた榎本って男だ。
あいつはあきらかに俺と美紀が揉めているのを見て楽しんでいた。
あのときのことを思い出すと今でもモヤモヤとしたものが胸中に広がってくる……
と、そこまで考えたところで、ふと壁の時計を見上げた。
安田のやつ何やってるんだ? そういえば、今日はまだ1度も生徒会室に来ていないようだが……
そう思っているところへ、やっと安田がやってきた。俺は、
「安田、遅かったじゃないか。お前が来ないから俺1人でこの看板作ってたんだぞ? 8割方終わってるから、あと仕上げ頼むな」
と工具箱を安田の方に差し出した。
ところが安田は何か考え込んでいる様子で、俺の声も聞こえていないのか返事すらしない。
「おい、安田?」
俺が再び声をかけると、今度は驚いたように振り向き、
「か、加納先輩? いつの間にいらっしゃったんですかっ」
と声を上ずらせる。
「は? 俺ははじめからここにいたよ」
なんだか様子がおかしい。
「お前大丈夫か?」
「いや、僕は大丈夫です。いや、むしろ先輩の方が心配っていうか…… あの、大丈夫ですか?」
なんのことを言っているのかよく分からない。
「いや、俺よりお前の方がおかしいぞ? 一体どうしたんだ?」
普段からワケの分からないことを言う安田だが、今日はさらにワケが分からない。
「―――もしかして、ご存知ないんですか?」
安田は、恐る恐るといった感じに俺の顔を覗き込んできた。

「だから、何の話だよ」
俺が聞き返すと、急に安田は慌てたようにして、
「べ、別に、何でもないんですっ」
と目を逸らした。
「なんでもないってことないだろ。何があったんだよ」
「気にしないで下さい! 加納先輩には関係ないことですよ、聞いてもしょうがない話です! 先輩が聞いても全然つまんないことで……お願いですから聞かないで下さいっ!」
安田がちぎれそうな勢いで首を振る。
これが本当に聞かせたくないとしての行動なら、かえって逆効果である。
「いいから話してみろよ」
俺は安田の肩に手を掛けて手近な椅子に座らせた。自分もそのとなりに腰掛ける。
安田はしばらく黙っていたが、思い切ったように、
「―――あんまり本気にしないで下さいね?」
やっと話す気になったようだ。
「ああ、分かった」
俺は肯いた。
「これはあくまでも噂なんです」
「ああ」
再度肯く。
「だから本気にしないで欲しいっていうか、実のところ僕も確認したいというか……」
「分かったって! 一体なんなんだ?」
安田は諦めたようにして話し出した。


「ちょっと、高弥! 桜井さんと榎本くんが付き合い始めたって本当なの?」
次の日の朝。1番乗りで俺のクラスへやってきたのは洋子だった。
「知るか! 美紀に聞けよ。俺は関係ない」
俺は洋子から顔を背けた。
「やあねぇ。あんたたちまだケンカしてたの?」
洋子は呆れたように、「いい加減、折れたらどうなのよ」
「どうして俺が折れなきゃならないんだっ!」
俺はバンッと机を叩いた。「美紀の方が折れてくるべきだろ」
「高弥が正しくても、あんたの方から謝ったほうがいいに決まってんでしょ」
「いやだね」
俺は断固として言った。
絶対俺からは謝らないぞ。
「まったく、高弥って…… 普段はしっかりしてると思ったら、変なところで子供なんだから」
洋子はそう言って肩をすくめると、自分のクラスに戻っていった。
1限目の後の休み時間には和歌子さん、その次の休み時間には中谷さんがやって来た。
「ね、高弥。考え直しなよ。今ならまだ間に合うよ?」
まったく、どいつもこいつも。自分には関係ないことなのに、どうしてこうも世話を焼いてくるのか。
昼休み。
俺はみんなの質問攻めから逃げるために、一人屋上へと出てきた。
それに……頭も冷やしたかった。
洋子たちにはつい感情的になって言い返してしまったが……本当に美紀は榎本と付き合い始めてしまったのだろうか?
あのケンカが原因だというのか?
美紀がそんなあてつけがましいことするとは思えないし、大体俺たちは……少なくとも俺はあれで美紀と別れたつもりはない。
とにかく本当のことが知りたかった。
今日にでも一緒に帰ってちゃんと話をしてみよう。
なんてことを考えていたら、話し声が聞こえてきた。
「だから、ここは立ち位置を変えた方がいいと思うのよね」
ん? 空耳か?
美紀の声に聞こえたが……
「そうかな。オレはどっちでも変わらないような気がするけどね」
「ううん、ここは絶対この角度の方が舞台映えするのよ。ちょっとここに立ってみて」
やっぱり美紀の声だ。
しかも何だ? 男の声も聞こえるじゃないか?
俺がいるのは校舎から屋上に出るための階段室の陰で、どうやら美紀の声はその反対側から聞こえてくるらしい。
俺はそろそろと様子を窺った。
「どっちにしても、キミはオレに抱きしめられるんだから、客席にキミの顔は見えないよ」
――――榎本じゃないか!
抱きしめるってなんだよっ!?
「演技だもの。そう強く抱くわけじゃないでしょ」
演技? 何のことだ?
と一瞬考える。
そういえば、美紀のクラスは学園祭のステージで劇をやるとか言っていたが……その練習か。
微かに胸をなで下ろす。
「それにしても…… 彼氏のことはいいのか? ケンカしたままなんだろ」
「知らないわっ! あんな分からず屋!!」
美紀はプイッとそっぽを向いて、「あれから会ってもろくに口も利いてくれないし。高弥が謝ってこない限り、あたしだって謝んないわ。もう、キスしてって言ったってしてあげないんだから」
してあげない、だって?
いつも
「ねぇ、高弥。キスして」
って言ってくるのは美紀の方だろ!
多少憮然とはしながらも、美紀がまだ俺のことを嫌いになったわけではないようだったから安心した。
それに、榎本と付き合っているという噂も、2人が劇中で恋人同士をやるため親密(……とは言いたくないが)になったために立ったのなら納得がいく。
つまり、本当にただの噂だったのだ。
「ちょっと、放してよ」
美紀の声に俺はハッとした。
「もう、あんなヤツやめろよ」
榎本が美紀の腕をつかんでいる。「あんなお堅いのと付き合ってても、楽しくないだろ」
……余計なお世話なんだよ!
「あんたに関係ないでしょっ」
美紀がつかまれた腕を振り払おうとする。が、逆に簡単にヤツに抱きすくめられてしまった。
「―――いやッ! 放してよッ!!」
「おいっ!」
俺は慌てて飛び出していき榎本の腕をつかんだ。
「高弥ッ!」
美紀は突き飛ばすように榎本から離れると、俺に抱きついてきた。
「てめえ――」
美紀をギュッと抱きしめ榎本を睨みつける。
すると榎本は笑いながら、
「おいおい、そんなに怖い目ぇすんなよ。冗談だって!」
と顔の前に両手を広げた。「ごめん。悪かったよ、美紀」

「おい――、大丈夫か?」
俺は榎本の顔を覗き込んだ。
「あはは…… いや、大丈夫」
力なく笑う榎本。その左の頬が真っ赤になっている。
「当然よ! 失礼しちゃうわねっ!」
美紀が頬を膨らませる。「冗談であんなことしないでよねっ!」
場所は変わってここは生徒会室である。
実は榎本は、あのあと美紀に思い切り頬を叩かれていた。
「いや、さ。あそこで加納がいるのが分かったから、ついついからかいたくなっちゃって……」
「美紀を敵にまわすと怖いぜ」
「よーっく肝に銘じておくよ」
榎本は頬をさすりながら右手を差し出してきた。「オレ、榎本貢」
俺も榎本の手をとった。
「ああ、知ってるよ。美紀と同じクラスで、美紀と付き合ってるんだろ?」
俺がさらりと言ってやると、
「ななっ、何よ! それっ」
と美紀が椅子から立ち上がった。勢いで椅子が後ろにひっくり返る。
「巷ではそういうことになっているらしいぞ。なぁ、安田?」
俺はわざと美紀の方を見ないで、安田に向かって言った。
「ちょっ、加納先輩っ! 僕の名前を出さないで下さいよっ! あくまでも噂なんですからっ!」
安田は美紀の方をチラチラ伺いながら慌てて言い訳をする。よほど美紀に嫌われたくないらしい。
「じゃ、その噂ホントにしちゃうか」
と言って榎本が美紀の肩を抱こうとしたが、美紀に睨まれその腕を引っ込めた。
美紀は、
「とにかく、榎本くんとは付き合ってないから! ただのクラスメイトよっ!!」
と俺に向かって一生懸命に言い、「―――って、別に高弥に言い訳しなくてもいいんだけどっ」
と慌てて顔をそむける。
俺はそんな美紀の様子がおかしくて、
「もういいよ、やめようぜ。俺が悪かったよ」
と言いながら、美紀の頭を自分の胸に抱き寄せた。
美紀もじっとされるままになり、
「―――あたしも、ごめん、ね」
と、珍しくしおらしいことを言ってきた。
「美紀……」
「高弥……」
なんてことをやっていたら、
「はいはい! あんたたち、ここが生徒会室でみんないるってこと忘れてるんじゃないでしょうねっ」
と洋子が呆れたように手を叩いた。
―――忘れていた!
俺は慌てて美紀から離れると、
「じゃ、放課後な」
と言ってそそくさと仕事を始めた。
「じゃーね、高弥♪」
と言って美紀もクラスに戻っていった。
ふと顔を上げると、榎本がまだ生徒会室に残っている。何か考え事でもしているような顔つきだ。
「どうした?」
と俺が声をかけると、
「いや、別に」
榎本は我に返り、生徒会室を出て行こうとした。その直前、
「オレ、ふざけてるわけじゃないんだけどな」
と意味不明な笑みを俺に投げかけてきた。そしてそのまま戸を締めて出て行く。
「なんだ? あいつ……」
俺はワケが分からないまま、榎本が出て行った戸を見つめた。
すると、隣に座っていた洋子が不機嫌そうな声を出した。
「ったく…… なんで桜井さんばっかりモテるわけ? 1人くらい回しなさいっていうのよ」
「僕は回せませんから」
安田が真面目な顔で言ったが、洋子はまったく相手にしていなかった。

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