ひとつ屋根の下   第3話  すれ違った初恋@

「ナナ!」
図書館で調べものをして帰ろうとしたら、体育館の前で徹平に呼び止められた。
徹平は体育館外の縁に座って水筒を手にしている。 どうやら休憩か何かで館外に出てたみたいだ。
「こんな時間まで何やってんだよ」
夏に向かって日が伸びているとはいえ、もうすぐ7時になる。 帰宅部のあたしが下校するにはちょっと遅い時間だ。
「ん、ちょっとね。図書館で調べものがあったから」
と借りてきた本が入ったバッグを叩いて見せたら、
「へぇ、珍しいじゃん」
と徹平がからかう。
「うるさいっ!」
「おっと!」
叩こうとしたあたしの手を笑いながら避ける徹平。
生まれたときから付き合いのある徹平とはこんなやり取りも日常茶飯事だ。
「まだ練習やってんの? 頑張るねぇ、バスケ部は」
「もうすぐ終わるけどな。 大会前なんか9時過ぎまでやってることあるし、今日なんか早い方だって」
「そーなんだ」
毎日こんな時間まで練習って……よっぽど好きじゃないと続けられないよね。
つくづくあたしには無理だな〜って思う。
ま、元々運動は得意な方じゃないけどね……
「もうすぐ終わるんだったら、待っててあげようか?」
「なんだ、その上から目線!」
「待ってる間練習見ててもいい?」
「すみっこな」
そう言うと徹平は、部員が練習している館内の方に戻って行った。


あたしの名前は倉本ナナ。
地元の県立高校に通う見た目も中身も平凡な高校2年生。
今体育館でバスケットボールを追いかけているのは同い年の槙原徹平。
徹平はあたしんちの隣りに住む幼なじみ。
そして……あたしの初恋の相手でもある。
ずっとただの幼なじみだった徹平をあたしが意識しだしたのは、中学に入学して間もなくだった。
成績は中の中だし、顔だって目立ってカッコいいってワケじゃなかったけど、徹平は背が高くて運動が出来たしノリも良かった。
中学では成績がいい子より、優しい優等生より、とにかく運動が出来てノリのいい子がモテる。
だから徹平は結構女子の間で人気があった。
あたしの周りでもどこまで本気か知らないけど、
「槙原くんっていいよね〜」
って騒いでた子もいたし。
だからあたしは焦っちゃったのかもしれない。
小さい頃からずっと一緒だった徹平を、誰かに取られるんじゃないかって。
焦ったあたしは、思い余って徹平にラブレターなんか出してしまった。
その結果…… ―――フラれたけどね。
しっかりラブレターも返されたし。
まあ、そのあと徹平が何事もなかったように普通にしてくれたから、あたしも気が楽だったけどさ。
今では本当に幼なじみとしていい関係が築けているし、逆にあのとき恋愛関係に発展しなくて良かったとすら思っている。
だって、もし恋人同士になっちゃったら、いつか終わりが来るのかも……とか心配しちゃうじゃん?
それでそうなったときに家が隣同士とかすごい気まずいし……
そんなことで何でも相談できる頼れる幼なじみの徹平を失うなんて絶対いやだ。
徹平には友達やパパにも相談できないこと……ウチに同居する椎名伊吹の愚痴を聞いてもらっている。
伊吹っていうのは、パパの再婚相手 法子さんの息子。
伊吹も同じ高校に通う同級生で、あたしはパパの再婚前から伊吹のことを知っていた。
というのも、伊吹は可愛くて頭が良くて、礼儀正しくて人当たりもいいみんなの人気者だったから。
あたしもパパが再婚した当初は、
「あの学内アイドルの伊吹くんとひとつ屋根の下―――ッ!」
って興奮してたんだけど、そんな浮ついた気持ちは一瞬で冷めた。
学校では人当たりもいい超が付くほどの優等生伊吹は、家では……というか、あたしの前では酷い暴君だ。
ううん、暴君どころか……諸事情からあたしは伊吹の奴隷にされている。
ムカツクことを言われることもしょっちゅうあるんだけど、そんなときでもパパや学校の友達には相談できない。
再婚して幸せいっぱいのパパに相談して心配かけたくないっていうのもあるし、友達には伊吹と一緒に暮らしてるなんて絶対言えないから。
『みんなのアイドル伊吹くん』と一緒に暮らしてるなんて知られたら、どんな騒ぎになるか……考えただけでも恐ろしい。
そんな事情を知っていて、愚痴に付き合ってくれるのは幼なじみの徹平だけ。
今では徹平は、あたしの最大かつ唯一の理解者だ。

「なにあの先輩! なんで徹平にパス回さないわけっ!?」
あたしが勢い良くこぶしを振り上げたら、徹平は肩をすくめた。
「まあ、オレもディフェンス振り切れてなかったからな。 仕方ねぇよ」
「それにしたってだよっ! ボール持ちすぎだし、出すパスは下手だし……なのに後輩にする命令だけはいっちょ前でさっ! ホント最悪!!」
徹平の部活が終わるのを待って一緒に帰る帰り道。 あたしはプリプリと怒っていた。
さっき少しだけ見たバスケ部の練習のせいだ。
「ウチの顧問は名前ばっかの顧問だし、コーチは休日に来るだけだし…… 命令っつーか、ある程度は上が指導しなきゃいけない部分が多いんだよ。 堤先輩は副キャプテンだし」
ウチの高校はバスケ強豪校じゃない。
っていうか、数年前まではバスケ部自体がなかった。
それをバスケ好きな過去の先輩たちが同好会から立ち上げ、やっと部に昇格したのだ。
だからちゃんと毎日見てくれるコーチもまだいなくて、殆ど生徒主体で活動していると言ってもいい状態だった。
「あんな先輩が指示出すより、徹平が出した方がいいんじゃん?」
「いや、堤先輩……性格は悪ぃーけど、ナナが言うほど下手じゃねーよ。 ……つか、よく見てるよな。ナナも」
徹平に片思いしていた中学時代に、よくバスケ部の練習を覗いていた賜物だ。
サッカーや野球に比べるとメディアに取り上げられることの少ないバスケだけど、おかげで結構詳しくなった。
「久しぶりに見たけど……やっぱり高校バスケは違うね」
「迫力あんだろ?」
「うん! 徹平がいつもよりカッコよく見えたよ」
「なんだそれ。 いつもはカッコわりーみてーじゃねーかよっ!?」
「いや、そこまでハッキリ言ってないけどぉ〜… あいたっ!」
徹平に頭を叩かれた。
「あ、今度ウチの高校で練習試合あるけど、見に来るか?」
「行く行く―――!」
そんな話をしながらウチの近くまで帰ってきた。
辺りはすっかり暗くなっていて、遠目でもウチに点いている明りが確認出来る。
あたしの隣りの部屋の電気が点いているのも……
「……伊吹帰ってきてるよ」
とあたしが顔をしかめたら、
「相変わらず奴隷生活続いてんの?」
と徹平もちょっと難しい顔をする。
「続いてるよー。 最近じゃ特進クラスの宿題とか難しいことは命令されなくなったけどさ、家事とかパシリ的なことはもう色々やらされてる」
「へぇ……」
「でもまあ、慣れたよ。 扱い方っていうの? そういうの覚えたらムカツクことも減ってきたし」
伊吹の奴隷生活を続けて1ヶ月ちょっと。 あたしも段々伊吹の扱いに慣れてきた。
とにかく命令には逆らわないに限る。
命令に逆らおうと口ごたえしたって、ムカツク切り返しをされるに決まってるから。
悔しいけど、伊吹に口で勝とうとか絶対無理だ(……って、勝てないのは口だけじゃないけどね)
だから、どうせやらされることなら最初から素直に聞いておいた方がいいって学習した。
それにときどき……本当にときど〜きだけど、伊吹から、
「よくやった」
とか、
「さんきゅーな」
とか言われることがあるんだよね。
そんなことで気を良くしちゃうあたしも単純だと思うけど……
でも普段が暴君の伊吹だから、たまに出る感謝の言葉とかはやっぱり嬉しい。
難しいゲームをクリアしたときの喜びに近いものがあるかもしれない。
「この前は肩揉みの後に、気持ち良かったとか言わせたしね! あたし!」
「……肩揉み?」
徹平が眉を寄せる。「そんなことまでやらされてんの? お前」
「うん」
宿題とかの勉強系をやらなくてもいい代わりに、あたしは毎晩伊吹の肩を揉んでやっている。
今まで肩揉みなんかしたことのないあたしは、始めの頃、
「なんだよそれ。 それで揉んでんのかよ? 力弱すぎ!」
とか、
「っ!? いてててっ! 今度は入れ過ぎだ、バカッ!」
って加減が分からなくてしょっちゅう伊吹に怒られていた。
けれど、何度も揉まされているうちにコツが分かってきたっていうか、ここは強めに……とか、ここは軽く解す程度で……とかの加減が分かるようになってきた。
そうなってからだ。 伊吹から感謝の言葉が聞けるようになったのは。
この前は、あたしが肩を揉んでいる間伊吹が自分の足を指で押していたから、
「……もしかして足も凝ってるの? 揉もうか?」
って聞いたら、
「足は凝るって言わない。 つか、スプリンターのふくらはぎとか心臓だから。 お前程度に力任せに揉まれたらたまったもんじゃない」
とか言われたんだよね。
「今日図書館に寄ってたのも、これ探してたからなんだ」
カバンから本を取り出して徹平に見せる。
「……指圧の本?」
「うん。 どうせなら驚くほどツボ刺激して伊吹のこと見返してやろうと思って」
あたしは自分の手を握ったり開いたりしながら、「いつかこのゴールドフィンガーに平伏させてやる!」
あの伊吹が床に手をついて、
「お願いします、ナナ様! その黄金の指でどうか僕の足を揉んで下さい!」
とか……想像するだけで気持ちいい!
「そうだ! 徹平のも揉んであげようか? 結構上手くなったし、あたし!」
と徹平を見上げたら、徹平は難しい顔をしてあたしを見下ろしていた。
……あれ?
徹平だってバスケで体使ってるし、揉んであげたら喜ぶだろうと思ったのに…… なにその顔。
「どうかした?」
「……別にどうもしねぇよ」
徹平は低くそう呟くと、プイと視線をそらした。
「え、だって…… もしかして怒ってる?」
「怒ってねぇ。 ……なんでオレが怒るんだよ」
「や……」
それはあたしが聞きたいんだけど……
徹平は怒ってないって言うけど、これは徹平が怒ったり不機嫌になったりしたときの顔。
生まれてからずっとそばにいたあたしには、すぐに分かる。
でも…… なんか今までの会話で徹平が怒るようなところあったっけ?
帰り道でした会話といったら、バスケ部のムカツク先輩のことと、伊吹の肩揉みの話だけだ。
??????
徹平が不機嫌になるような話題とかなかったと思うんだけど……
「……怒ってないなら、いーんだけど……」
あたしがそう言ったら、徹平ももう一度小さく、怒ってねぇ、と呟いた。
徹平が怒るのは別に珍しいことじゃない。 幼い頃からケンカやなんかで、お互い怒ったり怒らせたりしてきた。
でも徹平が怒っても根が深くないっていうか……こっちがちゃんと謝れば、割りとすぐに許してくれたりする。
でも、それだって原因が分かってるときだけだ。
こんな風に突然……しかも原因が分からないままじゃ謝りようがない。
「怒ってねぇ」
っていう徹平に、
「とりあえず謝っちゃえ!」
なんてことしたら余計に怒らせるだけだし……
……こういうときは余計なことしないに限る!
なんとなく気まずいままウチの前までやってきた。
「じゃあ……またね」
そう言って別れようとしたら、
「ナナ、さ……」
と門扉を開けかけた徹平が少しだけ振り返った。
「ん?」
あたしも玄関ドアに手をかけた格好で振り返る。「なに?」
徹平は何度か逡巡する仕草をしてから、ボソリと、
「……もしかして、意外と楽しんでねぇ?」
と呟いた。
「は?」
脈絡のない徹平の言葉に首を捻る。「楽しむって…… なにを?」
意味が分からなくてそう聞き返したら、
「なにって……」
と徹平は言いにくそうに俯いてしまった。
徹平が何を言いたいのか全然分からない。
「なによ?」
あたしがもう一度そう聞いたら徹平は、
「〜〜〜なんでもねぇ! もういいよっ!」
と怒鳴るようにそう言って、さっさと家の中に入っていってしまった。
その閉じられたドアを呆然と見つめるあたし……
え? なに? やっぱ徹平怒ってんじゃん!
なんなの、今日の徹平!
急に不機嫌になったかと思ったら、最後にはワケの分からないこと言ってさっさと家に入っちゃって……
全然分かんないっ!

ひとつ屋根の下 Top ■ Next