ひとつ屋根の下   第4話  断てない想いB

「誰?」
里香が小声であたしに聞いてくる。
「いや、あの……」
なんて里香に説明するか迷っているうちに、
「伊吹くんの友達よね? この前会った……」
と女の子があたしにそう声をかけてきた。
「イブ……?」
里香が眉間にしわを寄せる。
「な、なんでもないっ!」
慌てて里香と女の子の間に立ちはだかった。
伊吹とあたしが一緒に暮らしてることは、里香にはもちろん学校中に内緒にしている。
『みんなのアイドル伊吹くん』と一緒に暮らしてるなんて知られたら、どんなことになるか分かったもんじゃないから。
でも、あたしの慌てぶりにも全然お構いなしのその子は、
「ね、今時間ある? ちょっとお話したいんだけど」
とあたしの腕を放さない。
やっぱり華奢で可愛らしい感じなんだけど、そのお願いの仕方はどこか強引な気がした。
「や、あの…… 友達もいるから……」
と里香の方を気にかける素振りをしても、
「時間取らせないから!」
と譲らない。
「大事な話があるのっ! お願いっ!」
両手を祈るような形に組んで、そんな切なそうな顔でお願いされたら……
「いーよ、ナナ。 行ってきなよ」
と里香の方が折れてしまった!
「ありがとうっ!」
女の子は零れんばかりの笑顔を里香に向けた。

「えっと、自己紹介するね。 名前は吉村琴美。 コトミって呼んでいいよ」
女の子……琴美はそう言ってにっこり笑った。「あなたは?」
「あ…倉本ナナです」
結局あのあと、琴美に連れられて近くのファーストフード店に入ることになった。
突然だったし里香もいたからはじめは戸惑ったけど……
でももしかしたら、伊吹の元カノっていうこの子に伊吹の過去とか?聞けるかもしれない……と思って、ここまでついて来た。
でも、どうやって聞く?
まさかあたしの方からいきなり根掘り葉掘り聞けないし……
まあ、この子の話だってどうせ伊吹のことだろうし、先にそっちの話を聞いてからにした方がいいか……
なんてことを考えていたら、琴美は笑顔のまま、
「確認なんだけど、ナナちゃんは伊吹くんの友達なんだよね?」
と首を傾げた。
「え、あ……」
「ウソつかないでね?」
……なに、この威圧感。
笑顔だし、あたしより小柄な感じなのに……
蛇に睨まれた蛙ってこんな感じかもしれない……なんて思ってしまう。
「友達っていうか……」
「ていうか?」
なんか、親同士が再婚して一緒に暮らしてるなんて言いづらい……
「あの…… イトコ、なの」
―――変なウソをついてしまった。
琴美の勢いに負けてとっさに口から出たデマカセだけど、
「えー、そうなの? イトコなんだぁ」
と琴美は嬉しそうな顔に変わった。「イトコなら恋愛対象外だよね!」
「そう、だね」
四親等だから法律的には問題ないはずだけど……
って、ホントはイトコですらないけどね。
琴美はそのままあたしの方に身を乗り出すと、
「イトコなら伊吹くんのこと色々知ってるでしょ? 教えてくれる?」
「え?」
「中2でこっちに来る前のこととか」
中2でこっちに来た?
……ってことは、それまでどっか違う土地にいたってこと?
「……ごめん。 イトコっていっても最近まで交流なかったから、詳しくは知らないんだ」
ヘタに突っ込まれる前に、伊吹のことは何も知らないと正直に話した。
「なんだ、そうなの〜」
琴美は、がっかり、と言いながら肩を落とした。
がっかりって…… あたしが悪いわけ?
と突っ込みたいところを我慢して、自分が確認したいことを優先する。
「あ、あのさ、伊吹と……付き合ってるんだよね?」
思い切って聞いてみると、琴美は笑顔で、
「ううん、今は付き合ってないの。 中学3年のとき半年くらい付き合ってただけなの。 だから今は友達」
元カノって言ってた伊吹の話は本当らしい。
「そーなんだ」
じゃ、別れて1年以上経ってるってこと……だよね。
「こ、この前見たとき2人すっごい雰囲気良かったから、今でも付き合ってるんだと思っちゃった!」
あたしがそう言うと琴美は、
「ホント? そんな風に見えた?」
と本当に嬉しそうに笑った。
「うん、伊吹もすごく大事そうにあなたのこと扱ってたし」
「そうなの! 伊吹くんってすごーく優しいの! あのねっ」
あたしのセリフに気を良くしたのか、琴美は饒舌に語り出した。
「伊吹くんが転校してきたとき、女子の間ですっごく騒がれたんだよ? 勉強も運動も出来るし……何よりカッコいいし! ホント王子様みたいだったのっ!!」
……それは分かる。
あたしもあいつの本性知るまでは、
「あの伊吹くんとひとつ屋根の下―――ッ!!」。
とかって騒いでたもんね。
本性知った今は、まったく、これっぽっちもそんなふうに思えないけどねっ!
「伊吹くんのこと好きな子はいっぱいいたよ。 でもフラれるのが怖くて誰も告白とかしてなかった。 コトミも最初はそう思って気持ち伝えられなかったの。 受験の前にショック受けたくなかったから……」
と琴美は悲しそうな顔をした。
こんな顔しても可愛い子は可愛いんだ……
変なところに感心してしまった。
「でもね、やっぱり受験の前に気持ち伝えた方がいいって気が付いたの。 もし気持ちが通じ合えたら一緒に受験頑張れるし、逆に気持ち伝えないまま卒業しちゃったら……そっちの方が後悔するって思ったから」
だから琴美は告白した。 夏の終わりのことだったらしい。
「OKもらえたときはもうすごく嬉しかった! 付き合ってみたらすごく優しくて、コトミの言うことなんでも聞いてくれたの! 人生の中で一番幸せなときだった!」
「ふうん……」
伊吹って中学のときから猫被ってたんだ?
それとも、あの傍若無人な性格は高校入ってから出来上がったもの?
っていうか……
なんだろう。
さっきからちょっと…… 気分悪いかも……
そこまで話したところで急に琴美の顔が曇った。
「でも…… 付き合い始めたばかりの頃は幸せすぎて気が付かなかったんだけど…… 伊吹くん全然自分のこと話してくれないの」
「え?」
「優しいしコトミに気を使ってくれるところは変わらないんだけど、なんていうか…… 何考えてるか全然分かんないときがあるの。 話し掛けても上の空だったりして……コトミといても別のこと考えてる気がしたの」
―――自分のことを話さない。
それは今の伊吹もそうだ。
何考えてるのか分からない。
分からないから知りたくなる……
「そんなことがどんどん増えていってすごく不安になっちゃって……」
ふいに琴美の顔が歪んだ。「卒業の直前に、やっぱり、わかっ、別れようって…… ぐすっ」
「ちょ…っ 大丈夫っ!?」
話しているうちに感極まってきたみたいで、琴美がしゃくりあげ始めた。
「ツライならもう話さなくていいからっ」
慌てて隣りの席に移動し、琴美の肩に手をかけた。
「ううんっ、全部話すっ! 伊吹くんのイトコだっていうナナちゃんにはちゃんと話しておきたいのっ!」
「あ、そう……」
ウソをついているせいか、なんだか胸が痛い……
「予感はしてたけどやっぱりショックだった。 だって、伊吹くんが何考えてるのか分からなくてもコトミは伊吹くんが大好きだったから。 別れたくなんかなかった」
「うん、分かるよ」
……って、彼氏と別れたことも、それ以前に付き合ったことすらなかったけど、失恋だけはしたことがある。
だから琴美の胸の痛みだけは分かるつもりだ。
「悲しくて悲しくてショックで…… そのうちコトミ、ご飯食べられなくなっちゃったの」
「え……?」
「無理に食べても吐いちゃうの」
琴美は伊吹と別れたあと、ショックで拒食症になってしまったらしい。
「何回も食べようとしたんだよ? でも無理で…… そのうち入院することになっちゃった」
「……」
何も言えなかった。
あたしは病気になるほど人を好きになったことはない。
中学のとき徹平にフラれた(と勘違いした)ときも、ショックではあったけどご飯が喉を通らないなんてことにはならなかった。
改めて琴美を眺めてみる。
この細い体は元からのものじゃなく、そのときのことが原因なのかもしれない。
細くて羨ましい……なんて思ってたけど、好きでこの体型なわけじゃないんだ。
そう思ったら、ちょっとだけ琴美が気の毒になってきた。
「そのこと伊吹は知ってたの?」
琴美はこくんと肯くと、
「卒業したあとのことだから、はじめは伊吹くんも知らなかったよ。 でも、コトミの友達が見かねて伊吹くんに連絡してくれたの。 そしたら急いで病院に来てくれて…… コトミ涙が出るほど嬉しかった」
「……それで? ……もしかして、また付き合うようになった、とか?」
ドキドキしながらそう聞くと、
「ううん。 それはなかった」
と琴美は首を振った。「でも、顔を見たらやっぱり諦められなくなっちゃって……友達でもいいからって、ときどき会ってくれるだけでいいからって泣きついたの」
「……」
分からないでもないけど、それってもっと諦められなくなっちゃうんじゃないかな。
卒業して高校も別なんだから、これを機会にすっぱり会うのやめた方が早く気持ち切り替えられると思うんだけど……
「それで伊吹はなんて?」
「はじめは肯いてくれなかった。 ズルズル会う方が余計に諦められなくなるからって」
あたしもそう思う。
とあたしが小さく肯いたら、
「だけど、コトミの友達が後押ししてくれて結局肯いてくれたの」
―――え?
「後押しって……」
……どういうこと?
「コトミがこうなったのは伊吹くんのせいだって」
「……え」
「責任取ってせめて体調が戻るまで傍にいてやれって、そう言ってくれたの」
「………」
言葉が出なかった。
確かに琴美が拒食症になったのは伊吹と別れたことが原因かもしれない。
けれど…… それを伊吹のせいだ責任取れっていうのとは違う気がする。
人の気持ちが変わるのはどうしようもないことだ。
それは誰にも……本人にだってどうすることも出来ない。
……中学のときあんなに好きだった徹平のことを、今はそんなふうに想えないあたしのように。
だから、気持ちが変わったことを責めるなんてことは、誰にも出来ない。
ましてや、責任を取れなんて…… そんなこと……
「それで伊吹くんまたコトミと会ってくれるようになったの。 やっぱり優しいよね、伊吹くんは。 病気のコトミを放って置けなかったんだよ!」
と琴美は本当に嬉しそうだ。
放って置けなかったって…… そう仕向けたのはあんたの友達でしょ?
「元々優しかったけど、そうなってからの方がもっと優しくしてくれるようになったの。 会いたいって言えばすぐに来てくれるし、どこにでも連れてってくれるの。 当然だよね?断ったらまたコトミ病気になっちゃうかもしれないし、伊吹くんだってそんなのやだもんね?」
何それ……
さっき琴美は、自分と伊吹の関係を友達だと言った。
けどそんな関係、友達じゃない。
「伊吹くんにフラれたときはショックで病気になっちゃったりもしたけど、今は逆にそれでよかったって思うの。 だって、付き合ってたときよりもずっと傍にいれるんだもん!」
……気分が悪い。 無性にムカムカしてくる。
今すぐこの場から…… この子の前から立ち去りたい。
「伊吹くん今彼女いないみたいだし、実質コトミが彼女みたいなもんだよねぇ?」
そんなの……病気をタテにとって伊吹のこと縛り付けてるだけじゃん!
「ナナちゃんもそう思うでしょ?」
そう聞かれたけど肯くことは出来なかった。
「……病気はもう治ったんでしょ?」
「え?」
「病気が治るまでって約束だったんでしょ?」
あたしがそう聞いたら、微かに琴美の眉間にしわが寄った。 でもすぐに笑顔を作って、
「治ってないよぉ。 コトミ前はこんなに痩せてなかったもん。 まだ全然元に戻ってないの」
と自分の二の腕をさすった。
こんな子のために、伊吹はあたしたち家族にウソをついていたのか。
もしかしたら校則で禁止されてるバイトだって、この子のために使うお金がいるからかもしれない……
そう思ったらムカムカが最高潮に達してきた。
なんとかそのムカムカを抑えようと深呼吸を繰り返していたら、ふいに琴美があたしの顔を覗き込んできた。
「……ナナちゃん、本当に伊吹くんのイトコなんだよねぇ?」
「え……」
ぐっと琴美が顔を寄せてくる。
「……もし伊吹くんに彼女なんか出来たら……コトミまたどうなっちゃうか分かんないよ?」
やっぱり琴美は可愛い顔をしている。
けれど、最初に感じた小動物を思わせるような雰囲気は欠片もなく、逆に今は、捕らえた獲物を締め上げる蛇のようにしか見えない。
琴美は伊吹の罪悪感につけ込んで、伊吹を縛り付けてるだけだ。
しかも無意識じゃなく、ちゃんと分かっててやってる確信犯……
伊吹だまされてる! 絶対気付いてない!!
気付いてたらあんなふうにこの子に笑顔向けたり出来るはずないもん!
本当にまだ病気だって信じてるから、そうなったのは自分の責任だって思ってるから、だからあんなに大事そうにこの子のこと扱ってたんだ!

「あの子もう完全に復活してるよっ!」
「は?」
自室のドアを開けた途端あたしに怒鳴りつけられ、伊吹は驚いた顔をした。
「なんだよ、いきなり…… つか、あの子って……」
「あんたの元カノ! あの子もう病気じゃないから!」
伊吹は眉間にしわを寄せた。
「お前……琴美に会ったのか?」
伊吹の口から琴美の名前が出たことに軽くイラつきながらも、あたしは大きく肯いて、
「確かにはじめはショックで本当に病気になったのかもしれない。 けど今は完全に復活してるんだよ! もうあんたが傍にいてやる必要ないのっ!」
そんなか弱い子じゃないの!
小動物じゃなくて蛇だったんだよ!!
伊吹の方が捕らえられる側だったんだよ!?
あたしがそうまくし立てたら伊吹はちょっとだけ溜息をついて、
「……知ってる」
と呟いた。
「……は?」
「琴美の体調が戻ってることはオレも知ってる」
伊吹の言ってる意味が分からなかった。
「? 知っててなんでまだ一緒にいるの? 体調戻るまでって約束だったんでしょ?」
伊吹は黙って肯いた。
「じゃ会う必要ないじゃん! ……それとも、本当はあんたの方もまだあの子のこと好きだってわけ?」
あ〜… なんだろう。 すごくイライラする。
今日あの子に会ってたときもムカムカしたけど……
「いや、元々好きになって付き合ったわけじゃないから」
「え?」
「向こうから付き合ってくれって言われて、断る理由もなかったし」
「……それで付き合い始めたっていうの?」
驚いてそう聞くと、伊吹は自嘲気味に笑いながら、
「オレがそんな気持ちでOKしたのが原因で、結果琴美を傷つけることになったんだよ。 そのせいで琴美は……」
「だ、だからっ! それも全部昔の話でしょっ!? 確かにあんたも悪かったかもしれないけど……でも、今はあの子元気なんだよ!?」
「いや、でも……」
と伊吹は歯切れが悪い。
そんないつもの強気な伊吹とは正反対の態度にまたイライラが募ってくる。
「まだ分かんないのっ!? あの子は元気なの! もうあんたが傍にいてあげる必要はないのっ!! 逆にあんたの罪悪感につけ込んであんたのこと縛り付けてるんだよ!? 体調戻ってないっていうのは演技なのっ!!」
本当はここまで言うつもりはなかった。
勢いでOKしただけの相手だとしても一応付き合っていた彼女だったんだから、伊吹だって悪口言われるのはいやに決まってる。
でも、いくら言っても伊吹は完全に琴美のこと信じきってて話聞いてくれないし……
こうなったら全部バラしてやるっ!
「病気のフリしていればずっとあんたが傍にいてくれるってそう思ってるの! あんたのこと騙して……っ」
「……それも知ってる」
セリフを途中で遮られた。
「は?」
「琴美の体調が戻ってることも、それを隠してオレを連れまわしてるってことも……全部分かってる」
「??? わ、分かっててなんで付き合うの……?」
伊吹は微かに目を伏せて、
「……そうさせてんのはオレだから」
―――怒りが頂点に達した。
「あんたさっ! それであの子に優しくしてるつもりっ!?」
ダンと伊吹の前に足を踏み出した。「余計に傷付けてるだけだって分かんないのっ!?」
「……なんだよ」
「あたしと徹平がゴタゴタしてたときっ! あんたその気がないならキッパリ断れって言ったよね!? 同情で付き合う方がかわいそうだって、そう言ったよねっ!? なのに、自分はどうなのっ!? 好きでもないくせに一緒にいて甘やかして……期待させてんじゃん!」
「……もういい」
伊吹は心底嫌そうな顔をして、話を切り上げようとする。
けれどあたしは逃がさなかった。
「いくないっ! あんたがそんなんだから、あの子あんな風になっちゃったんだよっ!! 大体あんたが大して好きでもない子と軽い気持ちで付き合い始めたのが悪いんだからっ!!」
「だから責任取ってあいつの傍にいるんだろーが。 なんの文句があるんだよ。 つか、これはオレと琴美の問題で、お前には関係ねーだろ」

オレと琴美の問題。

お前には関係ない。

―――そこになんでお前が入ってくんだよ?

そう言われた気がして、一瞬で頭が熱くなった。
なにそれなにそれなにそれっ!
別にあたし入りたくて入ってるわけじゃないっ!
あんたの元カノに色々聞いちゃったし、事情知っちゃったから流れであんたに助言してあげただけで……っ
好きで首突っ込んでるわけじゃないんだからっ!!
焦りとも恥ずかしさともつかない感情で頭がパニックを起こしそうだった。
そのせいで、余計な一言を言ってしまった。
「どっ、どうせこの前言ってた失恋したとかって相手を忘れるために付き合い始めたんでしょっ!? チョーいい加減…… ひゃっ」
ドン、と伊吹がいきなり壁を叩いた。
「……悪いかよ」
前髪の隙間から上目遣いに睨まれ、思わず首をすくめた。
「お前に何が分かんだよっ!? 奴隷のくせに口出してんじゃねーよっ!!」
今までボソボソと、どちらかと言うと言い訳がましく話していた伊吹が急に怒鳴り返してきた。
思いもかけない反撃に一瞬怯みそうになったけど、
「ど、奴隷だって良いことと悪いことの区別くらいつくのっ! なのにあんたは分かんないわけっ!?」
こっちも負けずに言い返してやった。
「うるせぇよっ!」
「部活だとかウソついてあの子に会ってたのも、やましい気持ちがあるからでしょ!?」
「黙れってのっ! 命令だぞっ!!」
「こんなことしてたって法子さんが知ったらショックかもねー……」
あたしがそう言った途端、スッと伊吹の顔から表情が消えた。
本当に、ストン、となくなってしまったのだ。
「……な、なによ」
そんな伊吹に急に不安になる。
「……チクりたきゃチクれば。 もう、どうでもいいや」
伊吹は無表情のままそう呟くと、自室に引っ込んでいってしまった。
「な、なによ…… ホントに言っちゃうからねっ!?」
急に伊吹に切り捨てられたような気がして、焦ってドアに向かってそう怒鳴った。
けれど、中からの反応は何もなかった。
「本当に言っちゃうんだから……」
最後にはあたしの声も尻すぼみになってしまった。
な、なによ…… 自分が悪いんじゃない。
あたし全然悪くない、もん……
「? どうした〜?」
2階の廊下でそんなことをやっていたら、騒ぎを聞きつけたパパが心配して上がってきた。
「なんか言い争ってたみたいだけど…… 伊吹くんとケンカでもしたのか?」
「……ちょっと、ね。 でもケンカってほどじゃないから」
パパはちょっとだけ眉を下げて、
「仲良くやってくれよ〜?」
と言うと、また階下に戻って行った。
「はぁ〜い」
あたしもそう言って自分の部屋に引っ込んだ。 そのままベッドに倒れ込む。
今日はテスト最終日。
出来がいいとはあんまり思えないけど、明日は1日テスト休みだし、今日はパーっと打ち上げしようと思ってたのに。
里香とのカラオケも結局行けなかった。
ぜーんぶ伊吹のせいだ!
テスト勉強に集中できなかったのも、里香とカラオケに行けなかったのも、全部伊吹のせいなんだからねっ!?
無理にそう思おうとした。
じゃないとなんだか泣きそうだった。
別にひどいことを言われたわけじゃない。
あたしが批判されたわけじゃない。
伊吹と伊吹の元カノのことで言い争っただけだ。
なのになんで泣きそうになるのか、まったくワケが分からなかった。
でも、無理にそう思おうとしているそばから、
「……やっぱり言いすぎだったかな」
なんて殊勝な自分が顔を出してくる。
確かにこれは伊吹と琴美の問題で、あたしには全然関係のないことだ。
伊吹の言う通りだ。
伊吹が琴美とズルズルやってたとしても、あたしは何の迷惑もかけられていない。
なのになんでこんなに腹が立つんだろう……と考えてみる。
「………」
……だってさ、不公平じゃん。
伊吹は琴美のズルイところを知ってて、その上で琴美のワガママに付き合ってやっている。
あんなに優しそうな笑顔を向けて、大事そうに扱って……
あたしなんか奴隷だよ!?
そりゃ確かにあたしも里香と一緒に悪いことしちゃったけどさ。
でもそれは知らずにしちゃったことで、わざとじゃないって伊吹分かってくれたはずじゃん!
そのあたしと、伊吹の罪悪感に漬け込んでるあの子と、どう違うのよっ!?
あの子に優しくするならあたしにもしてよっ!!

―――って、なんであたしこんなこと考えてるんだろう?

伊吹相手に…… ワケ分かんないっ!

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