ひとつ屋根の下   第6話  believe inB

このカラオケ店が入っているビルは、一応階段も付いているんだけど、ほとんどのお客がエレベーターを利用していて階段を使う人は滅多にいない。そのせいか、階段には荷物がいくつか置かれたりしている。
人に邪魔されずに話をするには最適な場所だ。
「……なんであんなこと言ったの?」
伊吹も仕事中だし、時間がもったいなかったから前置きなしに話を始めた。
「……あんなことって?」
分かっているくせにとぼける伊吹。
「さっきだよ! 部屋空いてるとか貸してやれとか……伊吹、あたしが具合悪いわけじゃないって分かってたでしょ!?」
伊吹は首の後ろを撫でながら視線をそらした。
「なのになんで部屋貸すなんて言うの? なんであたしと徹平が2人きりになるようなことすんの? ねえっ!?」
あたしが興奮して問い詰めたら、伊吹は視線をそらしたまま、
「……だってマッキーはお前のこと好きじゃん。お前だって昔は好きだったわけだし…… お前の友達だってそうなること願ってたみたいだしさ」
と言った。
「……なにそれ。あたしと徹平が付き合えばいいって、そう思ってるわけ?」
「まあ、そうかな」
一瞬目の前が揺れた。
「……本気で、言ってるの?」
「ああ」
目の前が揺れて、一気に体温が下がった気がした。
そのまましゃがみ込みそうになったけど、我慢して踏ん張った。
「……あ、あたしの気持ち知っててそーゆーこと言うんだ? あたしは伊吹のことが好きなのにっ」
「知ってるよ」
伊吹が溜息をつく。「それが勘違いだってこともな」
カッとなり思わず伊吹の薄い胸をゲンコツでなぐった。
「バカッ! 大バカッ!! 勘違いしてんのはあんたの方だからっ! なんで信じてくんないのよっ!!」
「って」
伊吹が一歩後ろによろける。構わずそのまま何回も叩いた。
「好きな人にそんなことされたら、女の子がどれだけ傷付くかって分かんないのっ!? ううん、分かっててやってるよね、あんた! ほんっとにサイテーだよねっ!!」
「だからやめろって言ったろ!」
叩いていたこぶしを伊吹に掴まれた。「時間の無駄だし傷付くだけだからって」
「言ったよっ! それでも構わないって、そう思ってたよっ!! けどっ」
「この際だからハッキリ言ってやる」
掴まれたこぶしがさらに強く握りしめられた。
痛みが走り、思わず顔をしかめたけれど、伊吹は力を緩めてくれなかった。
伊吹は微かに目を細めてあたしを見下ろし、忌々しそうに吐き捨てた。
「お前がオレをどう思っていようがオレには関係ない話だ。勝手にすればいい。……けど、オレに気持ちを押し付けるのはやめろ。それが勘違いでも、こうしつこくされるとムカつくんだよ!」
「ッ!!」
伊吹が本気で腹を立てているのが分かって、我慢していた何かが切れた気がした。
勘違いなんかじゃない。
そう言い返してやりたくて口を開いたけど、声が出せなかった。代わりに、鼻の奥の方が急に痛くなって、喉元が締め付けられた。
「そうやって!」
伊吹が顔を背ける。「……オレのことで泣かれるのもマジウザい」
「べ、べつに泣いてなんかないっ!」
慌てて俯いた。
「泣いてんだろ」
「うるさいっ! 泣いてないっ!!」
なんでこう伊吹は意地悪なんだろう。
泣いてる女の子に向かってウザいとか、ムカつくとか……
そのまましゃがみこんだら、頭上から伊吹が小さく溜息をつくのが聞こえた。
約束の3分はとっくに過ぎているし、あたしがこんな状態になっちゃったらまともな話なんてもうできない。
だから、グズるあたしを置いて仕事に戻っちゃってもいいのに、伊吹はまだあたしのそばにいてくれた。
……分かってる。
やっぱり伊吹は優しい。
どんなに口では意地悪なことを言っていても、最後にはちゃんとあたしのことを守ってくれる。
今までだって、こんなふうにあたしが泣いたときは、必ず優しくフォローしてくれた。
そんな伊吹だから、あたしは伊吹を好きになった。
……もうやめよう。こんなことで伊吹を責めるのは。
伊吹だってそんなに悪気があったわけじゃない。きっとあの場のノリで、徹平の気持ちや里香の気遣いを考えてあー言っただけだ。
きっとこのあとフォローしてくるだろうから、あたしも素直に謝ろう……
と考えていたら、
「……ナナ」
とさっきとは違う、落ち着いた伊吹の声が降ってきた。
……ほら、やっぱり伊吹は優しい。
そう思って顔を上げたら、伊吹と目が合った。
「……オレ、泣いて女をアピールするヤツ、大嫌い」
「!!!!!」
見透かされたような気がして、一気に頭に血が上った。
「泣けば優しい言葉かけてもらえると思ってんの? そんな手が通用するのはマッキーくらいだから。甘いんだよ」
と伊吹は口の端を上げるようにして笑った。
「〜〜〜だっ、だれがあんたなんかに女をアピールするっていうのよっ!! 自惚れんな、バカッ!!!」
「いてっ」
目の前にあった伊吹の足を思いっきりグーで殴り、そのまま階段を駆け下りた。
たしかに、泣いたら優しくフォローしてくれるだろうって思ってたけどっ!
前に泣いちゃったとき、涙を拭くために胸を貸してくれたこともあったし……なんて期待しちゃったとこも、ほんのちょっとはあったけどっ!
しかもそれが伊吹には見え見えだったのかもしれないけどっ!!
けど、あんな意地悪な言い方しなくてもいーじゃんっ!!
ビルを飛び出し、大通りに出てはあはあと肩で息をつく。
そのままビルの方を振り返ったけど……伊吹は追いかけてこなかった。
……あたりまえ、か。
とぼとぼと駅に向かって歩いた。
なんで伊吹はああなんだろう。
他の子には優しいのに、なんであたしにはああも意地悪なんだろう。
もう、嫌われようとしてわざと言ってるとしか思えない。
……そうまでして、あたしに好かれたくないのかな。
ホントに、なんであんなヤツ好きになっちゃったんだろう。
あんなヤツやめて……たとえば徹平とかを好きになれたらどんなにラクだろう。
徹平だったらきっと、あたしをあんなふうには泣かせない。傷つけるのが目的で、嫌われるのが目的であたしを泣かせたりしない。
絶対にあたしの気持ちを疑ったりしない。
あーもうホント、今からでも徹平のこと好きになれないかなぁっ!
そうすれば絶対毎日楽しいよね!
登下校は一緒にできるし、家に帰ったって窓開ければすぐに会えるし!
なにより、学校で他人のフリしなくていいから思いっきりイチャイチャできるしね!!
……むりやり楽しいことを考えた。
考えていないと、また余計な物が目から溢れ出てきそうだった。
駅に着いて改札を通ろうとして気が付いた。
―――あたし、カバン持ってきてないっ!!
さっき勢いで部屋を飛び出したときには、まさかこんな展開になるなんて思ってなかったから、カバンをそのまま部屋に置いてきてしまった。
どどど、どうしようっ!
スイカも財布もケータイも……家の鍵すら全部カバンの中に入っている。あのカバンがないと家には帰れない。
取りに戻るしかないよね。やっぱり……
かなり気まずいけど、伊吹にさえ会わなければいいんだから。
みんなにはトイレ行ってくるって言って出てきただけだし、戻っても全然不思議に思われない。
カウンターの前をこっそり通過できれば、あとはカバンだけとってみんなにテキトーな言い訳をして……またこっそり帰ればいい。
なんてことをシミュレーションしながらカラオケ店に向かったら、なんだかビルの前が騒がしい。
たくさんの人が道路に出ていて、みんなでビルを見上げている。
え……なんかあったの?
不安に思いながら近づいて行くと、なんだか焦げ臭いような匂いが鼻をついた。
なに、この匂い……
「あっ! ナナ、よかった〜!! 先に出てたんだ!?」
人ごみの中から里香があたしを見つけ、声を掛けてきた。
「里香、これ……」
「ナナがまだトイレにいるんじゃないかってマッキーが心配して……あ、出てきたっ! マッキー!!」
ちょうどそのとき、ビルの出入り口から徹平が飛び出してきた。
「マッキー、ナナいたよっ!」
「ホントかっ!?」
徹平が咳き込みながらこっちに駆け寄ってくる。そしてあたしの両肩に手を掛けて、「良かった〜。あのフロアのトイレとその上下も見に行ったんだけど、ナナいなくてさ。マジ焦ったよ」
と溜息をついた。その徹平の体もすごく焦げ臭い。
ますます不安が大きくなる。
「ど、どうしたの? まさか……」
「火事だよ、火事!」
徹平がビルを振り返る。「まだそんなに火は回ってないみたいだけど、2コ上の階の居酒屋から火が出たって!」
「か、火事っ!?」
驚いてビルを見上げる。
この雑居ビルはカラオケ店をはじめ、居酒屋やエステなどいろいろなお店が入っている。
窓もついているんだけど、そのほとんどがはめ殺しか、開閉ができないほどに家具や荷物が置かれたりしている。
その窓からじゃビルの中の様子はまったく分からないけれど、ところどころにある通風孔らしきところから灰色の煙が流れ出てきている。
どうやら上の方の階で火事になったらしく、煙も上の方から出始めている。
「歌ってたら急に音が止まってさ〜。なんだろうって思ってたら今度は非常ベル! 電気が点いてたからそんなにパニックにはなんなかったけど、部屋出たらうっすら煙が出始めてるし焦げ臭いしでアセッたー」
と里香が胸をなで下ろす。「マッキーは真っ先にナナのこと探しにトイレに駆け出してったのに、この子たちはオロオロするばっかでさぁ」
里香は大野くんたちを軽く睨んだ。面目ない、と大野くんたちは肩をすくめた。
「カラオケって部屋がケッコー複雑に配置されてるじゃん? 廊下を何回も曲がったりさ。店員が誘導してくれたから助かったけど、あーゆーときってどうやって入ってきたか一瞬忘れるね」
店員……
ハッとして慌てて人ごみに目を向けた。
ビルの前にはビル内から逃げ出してきた人と、野次馬とでごった返している。
その中に、カラオケ店のロゴが入ったエプロンをしている人も何人か見えた。あの、小太りの店員もいる。
……けれど。
「でもマジで良かったよ、ナナが先に逃げ出してくれてて」
……いない。
「そんなに火は回ってないっつっても、煙がすごかったからさ。ハンカチ持ってなくて袖口で口と鼻押さえてったけど……それでも喉痛ぇーもん」
……伊吹がどこにもいない。
「伊吹はっ!?」
ホッとした顔をしている徹平のシャツを掴んだ。
「え?」
「伊吹がいないっ! 伊吹が……っ!!」
人ごみからビルに目を向ける。さっきよりも匂いがきつくなり、徹平が駆け出してきた出入り口からも微かに煙が出てくるようになってきた。
―――まさか、伊吹はまだあの中にいるんじゃ……っ
「あ、ナナッ!?」
「ちょっ!? どこ行くんだよっ!!」
里香や徹平が驚く前にあたしは駆け出していた。そのままビルの中に飛び込む。
絶対伊吹はまだこの中にいる!
店員が誘導してたって言ってたし……責任感の強い伊吹のことだ、きっと最後までお客さんが残っていないか確認して回ってるに違いない!
さっき伊吹と揉めて駆け下りてきた階段を、今度は駆け上がっていった。
なにやってんのよ、もうっ!
小太りだってもう逃げ出してきてるんだから、あんたもさっさと出てきなさいよっ!!
大体あんた人を助けるとか、そっち側じゃないでしょっ!?
徹平とは違うんだから! そんな華奢な体……どっちかというと助け出される側でしょっ!?
カラオケ店が入っている3階まで一気に駆け上がった。
煙を吸わないように袖で口を押さえていたんだけど、階段を駆け上がるときに呼吸が荒くなり、逆に大きく煙を吸い込むことになってしまった。
喉に刺すような痛みが走り、何度も咳き込んだ。
咳き込みながらカウンターから奥の方に目を凝らす。
幸い電気はまだ点いていたけど、奥の方も煙が充満していて、中に人がいるのかどうかまったく様子が分からなかった。
「い……伊吹―――っ! いるんでしょ―――っ! 返事して―――っ!!」
痛みを我慢して思い切り中に呼び掛けた。……けれど返事はない。
え…… もしかしていない?
あたしがここに来るのとすれ違いに、もう逃げ出したとか?
でも、階段では誰ともすれ違わなかったし……
エレベーターで?
ううん、エレベーターは止まってるだろうし、たとえ動いていたとしても、こんな非常時にエレベーターを使うなんて危険なこと、あの伊吹がするわけない!
やっぱりまだこの中にいるんだ!
あたしの声が奥まで届いてないないのかもしれない。
それとも……もしかしてどこかで倒れてる!?
どっちにしても、確認しに行くしかない!
あたしは比較的煙が薄い床に四つんばいになり、部屋がある奥の方へと移動し始めた。
はじめのT字にぶつかったところで、右に行くか左に行くか迷ってしまった。
伊吹はどっちにいるだろう。
早く探し出して逃げないと自分も煙に巻かれてしまう。
部屋数の少ない、先に戻ってこれる方を見に行ったほうがいい……
と、左右を確認しようとして、
いや、どっちの方が先に戻れるかとか関係ない。右にいなかったら左、左にいなかったら右を見に行くだけだ、と思い直す。
……伊吹を見つけるまで探しに行くだけだ。
と再び進もうとしたら、ガシッと足首を掴まれた。
「バカッ! なにやってんだっ!!」
驚いて振り返ったら……伊吹だった!
良かった、伊吹いたっ!!
「いぶ……ッ」
伊吹、と言おうとして激しく咳き込んだ。
「死にてーのかッ! このバカッ!!」
伊吹はそう吐き捨てたあと、あの華奢な体のどこにそんな力があるんだろう…と不思議に思うほどの強い力で、引きずるようにあたしを階段のところまで連れ出した。
伊吹はざっとあたしの体を一瞥し、怪我がないことを確認すると、
「走れるな?」
と早口で聞いてきた。喉が痛くて、黙って肯いた。
「これで口押さえて」
濡らしたタオルを渡された。
「行くぞ!」
伊吹に肩を抱かれるようにして、階段を駆け下りた。
2人で転げるようにビルから飛び出すと、半泣きの里香が抱きついてきた。
「やだもう、ナナ〜〜〜っ!! 急に中に飛び込んでいくから、どうなっちゃうかって……っ」
徹平も、
「慌ててあとを追おうとしたんだけど、周りの人間に止められて…… ホント生きた心地しなかったよ」
と大きく溜息をついた。「大丈夫だったのか?」
あたしがビルに飛び込んで行ったことで、里香や徹平に余計な心配をかけてしまったらしい。
いくら伊吹が心配だったからって……
「う、うん。心配かけて、ごめん、ね」
咳き込みながら素直に謝った。
「伊吹くんに感謝しなよね!」
ひとしきり心配したあと、里香が怖い顔をしてあたしを睨んだ。
「え?」
「伊吹くん、逃げるときに転んで怪我した人を近所の診療所に連れて行ってただけで、あのときはもうビルの中にはいなかったんだよ」
「そ、そー…なの?」
「そーだよ! なのにナナ勘違いして飛び込んでっちゃって」
……な、なんだ。そーだったんだ……
急に腰の力が抜けて、その場にへたり込んだ。
「ナナが中に飛び込んでいってオレたちが慌ててるときに、椎名が戻ってきて」
と徹平は伊吹を振り返った。「ナナが椎名を探しにビルに戻ったって言ったら、周りの制止振り切って駆け出して……」
……伊吹が?
あたしを心配して……?
思わず伊吹を見上げる。
「オレが働いてるとこで、同級生に死なれたら後味悪いからな」
と伊吹は眉を寄せた。
「もうホント伊吹くんカッコよすぎる! ……それに比べてあんたたちはっ!」
「いやだってあの場合さ〜」
里香が大野くんたちを睨み、彼らが小さくなる。
「ま、とりあえず…… ちゃんと椎名にお礼言っとけよ」
徹平があたしの肩をポンと叩く。里香には、
「なんか、イロイロ聞きたいことは山ほどあるんだけど……とりあえず今日は許してあげる」
と耳打ちされ、軽く睨まれた。
間もなく消防が来て、無事火災は収まったみたいだ。
逃げる途中で怪我した人や煙で喉をやられた人が何人かいたけど、幸い亡くなった人や重篤になった人はいなかったみたいだ。
「ウチが出した火事じゃないけど、一応あのビル内の従業員ってことになってるから」
と伊吹はすぐに帰ることが出来なかった。他の店舗の従業員も消防の人にいろいろ話を聞かれている。
「じゃー伊吹くん、また学校でね! マッキーはナナのことよろしくね! ……ほら、あんたたちはあたしのこと送るっ!」
里香はそう取り仕切ると、大野くんたちを連れて帰っていった。
「えーと……オレが送ってっちゃって、いーんだよな?」
徹平が遠慮気味に伊吹に確認する。
「なんでオレに聞くわけ? カンケーねぇんだけど。つか、1人で帰らせれば? このバカは」
伊吹は面倒くさそうにそう言うと、さっさと行ってしまった。
「……よく分かんねぇヤツだな」
徹平はそう言って肩をすくめると、あたしをつれて家に向かった。
「…………」
「…………」
帰る間中、気まずい沈黙が流れた。
なんか……いろいろバレちゃってるよね。そういうことに疎い徹平でも。
別れ際、わざわざ伊吹にあんなこと確認してたくらいだし。
徹平には、伊吹がウチに来たときからいろいろ話を聞いてもらってるから、なんか今さらこんなことがバレて、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……っ
沈黙に耐え、もうすぐウチに着くってころになって徹平が口を開いた。
「……なんだよ、やっぱ椎名なんじゃん」
あきらかに不満そうな徹平の声……
「な、なにがっ」
もうとっくにバレてるって分かっていたけど、そう言ってとぼけた。
「オレが告ったとき。椎名のこと好きになったんだろって言ったら、ナナ違うって言ったよな? ウソつき」
「そ、それは……っ」
だってあのときは、本当に伊吹のことなんか好きじゃなかったんだもん。
ううん、そのあとだって、まさかあんな傍若無人で、ウソつきで、二重人格なオレ様伊吹を好きになるなんて思わなかった。
今だって、なんであんなヤツなんか、って思うときの方が多いくらいだし。
「それは、だって……」
自分でも説明ができなくて、あたしは黙り込むしかなかった。
そんなあたしを見て徹平が、
「ウソだよ! マジにとんなよ!」
と笑った。「つかマジで、今日でナナのことは諦めるわ!」
「え?」
驚いて徹平を見上げる。
「いや、ナナが椎名のこと好きだから諦めるんじゃねーよ? なんつーか……オレが椎名に負けたなって思って」
「……どーゆー意味?」
「さっき、ナナがビルの中に戻っていったとき。あのときオレもナナを追おうとしたんだよ。消防はまだ来なかったし、このままじゃナナが…って思ったからさ」
徹平のしゅんとした様子に改めて申し訳なさがこみ上げてくる。
「……心配かけてごめんね」
「でも大野たちや周りの野次馬からも止められて、ナナを助けに行くことができなかった」
「それはしょうがないよ。だってホントに危なかったもん。あたしも考えなしに飛び込んじゃったけど、思った以上に煙がすごくて……」
と徹平の気持ちを汲もうとしたら、
「でも、椎名は助けに行ったろ」
と優しくあたしを見下ろした。「椎名だってみんなに止められてたんだよ。オレよりあとでさらに煙が上がってたし。でもあいつはそれを振り払ってビルに駆け込んでいった」
「徹平……」
「椎名がナナを連れてビルから出てきたとき、あ、これオレの負けだわ、って思ったよ」
「……そんなんじゃないよ。伊吹はそんなつもりであたしを助けに来たんじゃない」
だってあたし嫌われてるし。
客として接するのも嫌なくらい嫌われてるし。
「オレが働いてるとこで、同級生に死なれたら後味悪いし」
って伊吹も言ってたとおり、ただの責任感からなんだよ。
ホント伊吹は責任感強い……
「まあ、だとしてもだ。そんな椎名にオレは負けたんだから、ナナのこと好きだのなんだの言う資格、今はねぇなって思ったわけ!」
「資格とか、そんな……」
「オレももっと男磨かないとな〜」
徹平はそう言って笑ったあと、「ナナもさ、頑張れよ! 椎名とどんな感じなのか分かんねーけど……今はダメでも、これからもっと女磨いて椎名のことオトしてやりゃいーじゃん! ナナなら出来るって!」
と言ってあたしの背中を叩いた。
「……うん」
一体どれだけ女を磨けば伊吹が振り向いてくれるのか分からないけど。
そもそも、あたしが女を磨いたところで結局はあたしだし、伊吹に好きになってもらえるか分かんないんだけど……
「ありがとね、徹平。あたし、頑張るよ」
あたしは徹平に笑ってみせた。

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