ひとつ屋根の下   第7話  故郷E

「おらっ! 9時だぞっ! さっさと起きろっ!!」
翌朝は伊吹に布団をむしりとられることで目が覚めた。
「いつまで寝てやがんだ!」
「おはよ〜… って、うわっ! 制服がしわくちゃっ!!」
ブレザーやシャツはもちろん、スカートまでヒダがおかしなことになっている!
「やばーい…… 今日みんなと合流したとき、絶対なんか言われる……って、あれ? なんで伊吹はシワになってないの?」
伊吹の制服には全然シワがよってない。
「オレは夕べ、途中で目が覚めたときに脱いだ」
「え? ……シャツもズボンも?」
「うん」
と伊吹は肯く。
じゃあ、伊吹は夕べ下着姿であたしのとなりに寝てたってこと……?
ぎゃ―――っ!!
「変な想像してねーで早く仕度しろ。相変わらず能天気だな、お前は。これからどこ行くか忘れたか」
伊吹が呆れた顔であたしの顔を見下ろす。
「……ちゃんと覚えてるよ」
夕べは伊吹とラブホに泊まったとこでメチャクチャ緊張したけど、今度はまた別な意味で緊張してきた。
やっと会えるんだ。……伊吹のお父さんに。
途中のコンビニでおにぎりを買って食べながら病院に向かったら、ちょうど10時になった。
「伊吹……」
「…………」
伊吹を見上げた。伊吹は微かに眉を寄せ、黙って病院を睨んでいる。
やっぱり、無理……かな。伊吹のことお父さんに会わせるの……
せっかくここまで来て、しかも夜明かしまでして付き合ってくれたのに……やっぱり会う気にまではならないのかな。
「えーと……伊吹どうする? 先にみんなと合流しとく? それとも……ここで待っててくれる?」
様子を窺うように伊吹の顔を覗き込むと、
「……選択肢ひとつ入れ忘れてんだろ」
と病院の入口に向かって歩き出した。
「えっ? 選択肢って……」
驚いて伊吹の顔を見つめる。
もしかして……伊吹、お父さんに会う気になってくれたの?
嬉しくなって伊吹に駆け寄ろうとしたら、伊吹はあたしに背を向けたまま、
「あいつを殺しに行く」
と言った。
「え……えぇっ!?」
慌てて伊吹のあとを追いかける。
殺しに行くって……お父さんを?
いやまさか、さすがに冗談だろうけど……とりあえず、お父さんと会ってくれるってことだよね?
これは喜んでいいことなんだよね……?
2階に上がり、ナースセンターのところで受付をした。
来訪者が記入するノートにあたしが名前を書こうとしたら、
「かせ」
と伊吹が名前を書いた。
……椎名伊吹、って。
「あらぁ」
ノートの名前を見て看護士さんがニコリとする。「305号室ですよ」
「どうも」
伊吹はそれだけ言うと、階段の方にスタスタと向かっていった。
けれど、階段を上って3階に来た途端、伊吹は足を止めた。
「伊吹……?」
伊吹の顔を覗き込んでみると……なんともいえない複雑な顔をしている。
「やっぱり……緊張、する?」
伊吹は素直に肯いた。……かと思ったら、
「……さっきの看護士も驚くだろうな」
と口元だけで笑った。
「え?」
「自分とこの病院で、これから殺人事件が起こったら」
「えぇっ!? ちょ……っ、冗談でしょっ?」
あたしが驚いてそう言ったら、伊吹は、
「さあな。そうなったら、お前も共犯だからな」
と言ってまた歩き出した。
ほ、本当に……冗談だよね?
たしかに、伊吹のお父さんへの恨みかたっていったらハンパじゃないけど……
それにしたって病人に手を掛ける……なんてこと、しないよね?
ちょっと心配になりながら、伊吹のあとをついていった。
305号室の前までやってきてネームプレートを確認する。4人部屋だけど、伊吹のお父さんともうひとりの2人しか入っていないみたいだ。
伊吹がいつまでもネームプレートを睨んだまま部屋に入らないから、
「し、失礼しまーす……」
と開きっぱなしだった入口から声を掛け、一歩中に入った。
部屋には左右に2つずつベッドがあり、それぞれがカーテンで仕切れるようになっている。
その右手前、入ってすぐのところに太ったおじさんが新聞を読みながら寝転がっていた。チラリとあたしを見たあと、自分の客じゃないと思ったみたいですぐに新聞に目を戻した。
伊吹のお父さんは左側の奥、窓際のベッドで横になっていた。
昨日と同じスウェット姿で窓の外を見ている。あたしが病室に入っていっても、全然こっちを見なかった。
誰もお見舞いに来ないっていうし、人が来ても自分の見舞い客じゃないって思って、振り返りもしないのかもしれない。
あたしは伊吹を振り返った。伊吹は病室の外からお父さんの方を睨んでいる。
そっと伊吹の手を引こうと思ったら、その手に触れる前に伊吹のほうから病室に入ってきた。
そのままお父さんのベッドの横まで行く伊吹。あたしもそれに続いた。
あたしたちがお父さんのところまで行っても、伊吹のお父さんはすぐには気付かず、窓の外を眺めたままだった。
「……なんでまだ生きてんだよ」
伊吹が静かにそう言うと、ゆっくりとお父さんは振り返った。
その顔を見て驚いてしまった。
昨日お墓で見たときも痩せてるな、とは思ったけど、今日のお父さんはそれに輪をかけて痩せ細っている。
頬がこけて、まぶたも肉が落ちているからか窪んで見える。そのせいで、黄色く濁った眼球が余計に目立っていた。
その乾いた唇が微かに動いた。
「……いま、死ぬ準備を、しているところ、や」
昨日よりも言葉に覇気がない。
やっぱり、昨日の外出が祟っているらしい。
お父さんがそう言ったあとは、伊吹はお父さんを見下ろしているだけでなにも言わなかった。
そうやって、たっぷり10分は静かな時間が流れた。
次に話し始めたのは伊吹からだった。
「……お前は、母さんを……オレを生んでくれた母さんを裏切って、殺した」
お父さんの濁った瞳は微動だにせず、
「……そう、やな」
と唇だけが動いて返事が返ってきた。
「それから、今の母さんをも裏切って……傷付けた」
今度は伊吹を見つめているだけで返事をしない。……いや、出来なかったのかもしれない。
伊吹の父さんの息遣いが微かに聞こえてくる。それは浅くか細いものだった。
そんなお父さんにも構わず、伊吹は言葉を続ける。
「オレは絶対お前を許さない。……ずっと、次に会うときはお前を殺すときだと思ってた」
そう言って伊吹は拳を握り締めた。その力強さのせいで指先が白くなるほどに。
伊吹のお父さんは、何回か呼吸をしたあと、
「おお……」
と微かに肯いた。「……殺せ、殺、せ。 伊吹に、殺されるなら、それも、ええわ」
そう言ったお父さんを一瞬見下ろしたあと、伊吹は大股でお父さんに近づき、その細い首に手を掛けた。
「い、伊吹っ!? やめてっ!!」
あたしは慌てて伊吹の身体にしがみついた。
「ここ病院だよっ!」
「だから? 病院で人殺しちゃダメだって決まりあるか?」
伊吹はお父さんから目をそらさずそんなことを言う。
「いや、ダメだからっ! そもそも殺しちゃダメだからっ! 伊吹っ!!」
強引に伊吹の手をお父さんの首から外した。勢いで伊吹の身体が揺れる。伊吹ははあはあと肩で息をしていた。
そんな伊吹を見てお父さんは、
「……やっぱり、おまえは、甘いな」
と呟いた。「ヤるなら、ちゃあんと、ヤれ」
「え?」
驚いて伊吹のお父さんを見てみると、ジャージの襟元がちょっと乱れているだけで、さっきと同じリズムで呼吸を繰り返してる。
お父さんのセリフに伊吹はさらに顔を険しくして、
「ヤッてやるよっ!」
と再びお父さんに手を伸ばした。
「伊吹、ダメっ!!」
慌てて伊吹の前に回り、その両手を押さえつけた。
興奮している伊吹の前で、お父さんは微かな息を漏らして笑った。
「おまえは、昔から、そうや。正義感ぶって、かっこええこと言うても、けっきょく自分が1番かわええから、手ぇを汚すことができん」
「ッ!!」
また伊吹があたしの手を振り解こうとする。
「伊吹っ!!」
あたしは伊吹の手を押さえたまま、「どうしてそんな意地悪なことばっかり言うんですかっ」
と伊吹のお父さんを振り返った。
「伊吹は、お父さんのせいですごく傷付いてる。ずっと過去に縛られて……大好きなお母さんに置いて逝かれたことも、法子さんの怪我のことでも自分を責めて…… お父さんを恨んでいるんですっ!」
あたしが一気にそうまくしたてると、伊吹のお父さんはゆっくりとあたしを見た。
「……恨んだら、ええ」
伊吹のお父さんは息を吐き出すようにそう言った。
「え?」
恨めばいいって……どういうこと?
「……恨んで、腹立てて……そうやって生きてけば、ええ」
「そんなっ」
伊吹のお父さんの言葉にショックを受けた。
恨めばいい、腹立てればいい、って……
それって、お父さんは過去のことを全然反省してないってこと?
伊吹に対して、少しも、ほんのちょっとも悪いとは思わないってこと?
あたしは伊吹を見上げた。
伊吹は眉間にしわを寄せてお父さんを見下ろしている。
「…………」
せっかくここまで連れてきたのに……
あんなに嫌がっていた伊吹が、最後には自分からお父さんに会いに来てくれたっていうのに……
なのにこんなこと言われたんじゃ、伊吹が可哀想だよ……
具合悪くて入院してる相手だけど、もうそんなのかまっていられない。
ここまで伊吹が傷付けられて、黙ってなんかいられない!
と、あたしが文句を言ってやろうとしたら、
「……だれかを恨んでるうちは、まあだ生きていける」
とお父さんは天井に目を向けた。「ほんまに、生きる気力がのうなんのは、絶望したときや」
「え……」
「伊吹……お前の目ぇは、まあだ絶望しとらん。十分、生きていける」
伊吹は黙ってお父さんの話を聞いている。
「絶望した目ぇいうんは、こおゆう目ぇをいうんや」
そう言って、伊吹のお父さんは微かに目を見開いた。瞬きもせず、濁った瞳を伊吹に向ける。
伊吹は微かに目を細めてお父さんを見下ろしたあと、
「……さんざん自分勝手やってきたお前が、なにに絶望するっつーんだよ」
と言った。
「そう、やな」
ゆっくり目を閉じて伊吹のお父さんは息を漏らす。「そ……やな。ずいぶん、勝手なこと、したなぁ」
「お前は……全然反省してねーのか」
伊吹は拳を握り締めたまま、「オレを生んでくれた母さんや、今の母さん……オレに対しても、全然悪いと思ってねーのかよ」
と微かに声を震わせた。
伊吹のお父さんはたっぷり間を空けて、
「……そおや、なぁ。もう、そうゆうふうに思う時期も、過ぎてしもた、なぁ」
と呟いた。「今は、ただ……昔に戻りたい、なぁ」
伊吹が眉を寄せる。
「……法子に会う前に。お前が生まれる前に。……聡美に会う前に、戻りたいなぁ」
それって…… どういう意味?
「……そおすれば、お前らの人生も、変えられるよ、なぁ…… 変えて、やり ッッッ!」
そこまで話したところで、伊吹のお父さんは咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「……いぶ、き。おまえは、おれみたいに、なるなよ。こ、んな、絶望した、目ぇに、なるな、よ」
そう言いながらも、何度も咳き込む。
「もうしゃべらないほうがいいですよっ!」
あたしが慌ててナースコールを押そうとしたら、それを伊吹が止めた。
「い、伊吹……?」
な…なに?
早く看護士さんを呼ばないと……っ
焦るあたしを無視して、伊吹はお父さんを見下ろすと、
「……早く、死ねよ」
と言った。
「伊吹っ!!」
いくら恨んでるからって……こんな状態のお父さんになんてこと言うのっ!!
「さっさと死んで……」
伊吹が息を吸い込む。「……あっちで母さんに土下座して謝れ」
「……え?」
驚いて伊吹を見上げた。
伊吹は静かにお父さんを見下ろしている。お父さんも目を見開いて伊吹を見上げている。
やがて、そのまぶたから緊張の解けたお父さんは、
「……あやまらせて、もらえる、やろか」
と呟きながら目を閉じた。
伊吹は忌々しそうに、
「許してもらえると思うなよ。……けど、謝れ」
と言った。さっきまで握りしめられていた拳がいつの間にか開かれている。
伊吹のセリフにお父さんは目を閉じたまま口元だけで笑った。
伊吹はそれを黙って見下ろしていた。
「……もお、帰れ」
お父さんが弱々しくそう呟く。「なんや、眠とうて、かなんわ」
それきり伊吹のお父さんはなにも言わなくなった。
「お、お父さんっ!」
あたしが慌てて枕元に駆け寄ると、伊吹は、
「なに勘違いしてんだよ。死んでねーよ」
と呆れた顔であたしを見た。「眠ってるだけ」
「え?」
そう言われて耳をすませてみると、たしかに微かな寝息が聞こえてきた。
……ほ、ほんとだ。
なんか絶妙なタイミングで寝ちゃうから、てっきり……
ホッと胸をなで下ろしていると、
「お前、ドラマの見すぎなんじゃねーの? こんなドラマチックなタイミングで人は死んだりしねーんだよ」
伊吹はそう言ってあたしをバカにした。そして踵を返し、病室を出て行こうとする。
「え、もう帰っちゃうの?」
「寝てるヤツに文句言ったってしょうがねぇしな。それに、」
と言って伊吹は時計を確認する。「そろそろ合流しないとマズイだろ」
「え?」
病室にあった掛け時計を見上げると、もう11時を過ぎていた。
「行くぞ」
「あ、待ってよ」
慌てて伊吹のあとを追った。
病室を出る間際、一度だけお父さんの方を振り返ってみる。……お父さんは変わらない格好で、静かに眠っていた。
なんとなく頭を下げて、それから伊吹を追いかけた。
ナースセンターの前で、さっき受付をしたときにいた看護士さんと目が合った。
「お帰り?」
「はい」
伊吹が退出時間をノートに記入している間、その看護士さんは目を細めて伊吹を見ていた。
伊吹が記入し終わったのを見ると、
「お父さん、喜んではったでしょ?」
と伊吹に笑いかけてきた。
伊吹は微かに首を傾げて、
「……さあ。分かりません」
と言ったあと、「……よろしくお願いします」
と軽く頭を下げて、階段の方に歩いていってしまった。小走りで伊吹のあとを追う。
そのまま並んで駅までの道を歩いた。切符を買って電車に乗り込む。
「…………」
伊吹は病院を出てからずっと黙ったままだ。
……どうだったのかな。
お父さんと会って、なにか伊吹の中で変わったことはあったのかな。
結局、1度もお父さんから昔のことに対する謝罪めいた言葉はなかったけど……
けど、昔に戻りたい、昔に戻って伊吹たちの人生を変えてやり……たい? みたいなこと言ってたし、やっぱり過去に対する後悔はあるんじゃないかな。
そんなお父さんの言葉を聞いて、伊吹はどう思ったろう。
いずれにしても、これで少しでも過去の縛りが取れればいいんだけど……
伊吹の顔をチラリと見上げる。
過去のこだわりが解けて晴れやか!……って顔はしていないけれど、かといって、とくに難しい顔はしていないし、怒っている様子もない。
お父さんのことに関してあんなに怒っていた伊吹が、お父さんと会ったあともこんなふうに普通でいるってことは……今回のこと、少なくとも悪いことじゃなかったってことだよ……ね?
とあたしがモンモンと心配していたら、伊吹は窓の外を眺めたまま、
「……そんなに心配すんなら、最初から会わせようとしたりすんなよ」
と言った。
「え?」
伊吹のセリフに驚く。
なんにも言ってないのに、考えてること読まれた……
ホント、なんで伊吹ってあたしが考えてること分かっちゃうんだろ?
「それはお前が単純で、すぐに顔に出るから」
「えぇっ!?」
そんなことまで読まれてる?
伊吹はクックッと笑いながらあたしを見下ろした。
「単純で分かりやすくて……かと思ったら、今回みたいに予想外の行動に出たり…… なんかお前って分かんねぇ」
「……あたしにしたら、伊吹のほうが全然分かんないんだけど」
あたしが唇を尖らせてそう言ったら、
「おまえ程度に分かられてたまるか」
と伊吹はふっと笑った。
……でも、あたしにだって分かることがある。
今、伊吹は機嫌が悪くない。
機嫌が悪いときの伊吹は、こんな穏やかに笑ったりしない。
「えへへー」
嬉しくなってあたしも笑ったら、
「……キモ。バカにされて笑ってるよ」
と伊吹は眉を寄せた。
途中、伊吹がクラスメイトに電話をしてみんなの行動を確認してくれた。
「今八坂神社出たとこで、これから清水寺向かうって」
どうやらみんなは修旅の最終目的地、清水寺に向かっているところみたいだ。
「そういえば伊吹は大丈夫だったの? 抜け出してきて」
「おまえと違って普段の行いがいいからな。友達もみんな協力してくれたよ。まあ、多少の詮索はされたけど」
「そっか。ならよかった」
あたしのせいで伊吹まで怒られたんじゃ申し訳ないもんね。
さて……となると問題はあたしのほうだけだ。
里香には無理なことを頼むだけ頼んで、一方的に電話切っちゃったし……
もしかしたら、先生と一緒になって仁王立ちで待ち構えられてるかも……
まあ、全部自分のせいだし……なるようにしかならないよね。
清水五条という駅で降りて、清水寺でみんなと合流することにした。
大きな通りを清水寺に向かって歩く。道は緩やかな上り坂になっていた。
京都って坂道多いよね。バスに乗っているときは全然気付かなかったけど。
「おまえはそっちから行け」
いよいよ清水寺に近づき、坂もより急になった途中の道で、伊吹は自分だけ右に曲がろうとした。
「え、なんで? 伊吹どこ行くの?」
焦ってそう聞くと、
「一晩勝手に抜け出したふたりが、一緒に戻って行ったらどうなるんだよ」
……あ、そっか。
ひとりで行くのは(道が……)不安だったけど、仕方なく伊吹と分かれた。
途中のお土産やさんを横目で眺めながらなんとか清水寺に到着。
ちょうどウチの高校の子達が真っ赤な大きい門を通過するところだった。慌ててその最後尾にもぐりこむ。
さりげなく前の方に移動し、里香を探したら、
「ナナッ!!」
あたしより先に里香に見つけられた。「なにやってたのよ、もうっ!!」
想像はしていたけど……やっぱり里香は烈火のごとく怒っていた。
「ごめん里香。迷惑かけて……」
あたしは両手を合わせて謝った。
「あのあと何度かけても電話に出ないし、メールもっ!! もうどんだけ心配したと思ってんのよっ!?」
「ほんっとーにごめんなさい」
なんの言い訳も出来ない。あたしはひたすら頭を下げた。
「みんなはともかく、先生に言い訳するの大変だったんだからねっ!」
「……なんて言ったの?」
恐る恐る聞く。
「夕べは体調悪いのでひとりで先に部屋に戻りましたって言って、今朝はもうあたしとまりあで必死にナナがいるフリして誤魔化したんだよ! 荷物もふたりで分けて持ってバスに乗せてっ!!」
「里香ありがと―――っ!!」
持つべきものはピンチを上手くフォローしてくれる親友だ。
「帰りの新幹線で、キーッチリ話してもらうからねっ!」
「……分かりました」
そのあと、本堂や地主神社を回って、音羽の滝でお水を飲んで、清水坂で買い物をして、バスで京都駅に向かった。
「ナナ、清水坂ですっごい買ってたね、お土産」
まりあがあたしの紙袋を覗き込んでくる。
「うん。昨日の嵐山も夕べの自由時間にも、なんにも買えなかったから。家族へのお土産とか自分のものとか……いっぱい買っちゃった」
「新幹線乗ったらなに買ったか見せてー」
「いいよ」
あたしとまりあがそんなことを話していたら、
「……あと、夕べのこともね!」
と背後から里香に釘をさされた。
「はい……」
……一体どう言って誤魔化そう。
新幹線の時間が迫ってきて、1組から順にエスカレーターでホームに上がっていく。その中に伊吹の姿が見えた。
よかった。伊吹もちゃんと合流できたんだ。
と、安心したのも束の間、
「……で? 夕べはどこにいたのよ!?」
新幹線に乗った途端、里香の尋問が始まった。
「いや〜… 話すと長くなってですね」
「2時間以上あるから。ちゃんと話してよね!」
と里香はまったく許してくれる気配がない。
「ちゃんと話してくれなかったら、ナナとは絶交だから!」
「話しますっ!」
里香が無言で肯く。
「えーと、ですねぇ。昨日はちょーっとマニアックなものを買いに行きましてぇ」
「マニアックなものって?」
……どうしよう。なんにも思いつかないよ。
「……そこだけは勘弁してもらえないでしょうか。マニアックすぎて恥ずかしいので」
「分かった。それはあとから聞く。……で? なんでそれを買いに行くのに外泊する羽目になったわけ?」
「それは〜…え〜…とぉ。目的のお店が7時で閉店しちゃっててぇ。朝10時じゃないと開かないっていうので……」
「…………」
里香が疑わしい目であたしを睨む。「ウソついたら絶交って言ったよね?」
「いや、ホントだから! どうしても朝10時まで待たなくちゃいけない状況になっちゃって、仕方なくなんだよ! これのがしたら次いつ会える……じゃなくて、買えるか分かんなくて! ホントにっ! 信じてっ!!」
あたしは必死になって里香に訴えた。
「里香〜、信じてあげようよー。こんなに必死に言うんだから本当だよ」
まりあが助け舟を出してくれる。
半分は本当の話だったせいか、あたしも淀みなく言い訳することが出来た。
「いや、なんか〜、マニアックなものを買いに行ったってとこが、なーんか引っかかるんだよね」
ギクリとする。
……やっぱり里香だ。付き合いが長いせいか、まりあみたいには簡単に信じてくれない。
これはこの場しのぎでテキトーなことを言ってもボロが出るだけだ。もうちょっと考えてから話したほうがいいかも……
「……ちょっと、トイレ行って来ていい?」
いったん里香の前から逃げることにする。
うーん…… マニアックなものってなににしよう?
しかも、本当に買ったわけじゃないから、見せろ、なんてことにならないようにしないと……
と考えながらトイレに向かうと、デッキ部分に伊吹がいた。新幹線の出入り口の扉にもたれかかるようにして外を眺めているみたいだった。
「あ、伊吹! あたし今里香に夕べのこと問い詰められちゃって…… 伊吹の方は大丈夫だった?」
と周りに聞こえないように小声で声を掛けると、伊吹がこっちを振り返った。
伊吹は電話中だった。
「ご、ごめんっ!」
慌てて口をつぐむ。
伊吹は小さな声でやり取りをしていて、その内容はまったく聞こえなかった。
もしかして、法子さんとかかな? 今から帰るよ〜、とか。
まもなく通話が終わった伊吹は、パタンとケータイをたたんだ。
「ごめんね? 通話の邪魔しちゃって。気付かなかったんだ」
とあたしが謝ると、伊吹はべつに怒ったりもせず、ケータイを持った腕をだらりと下ろした。そしてそのまままた窓の外を眺めた。
「……伊吹?」
なんだか伊吹の様子がおかしい。
「どうかしたの?」
そう聞いても、伊吹はなにも返事をしなかった。
なんだかそれ以上は声がかけづらくて、黙って待っていると、
「…………死んだって」
と伊吹がポツリと言った。
「……え?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「あの男………………親父が、死んだって」
……息が止まった。思わず口に手を当てる。
「……い、いつ?」
「今さっき。……晩飯持ってったときには、もう息してなかったって」
伊吹は窓の外を見たまま呟くようにそう言った。
そんな…… そんなっ!
動悸が早くなり、なにも言えなくなってしまった。
数時間前に話をしていた人が死んでしまった。
伊吹のお父さんが……死んでしまった!
「……まあ、いつ死んでもおかしくない状態だったみてーだし、本人もそれ知ってたんだから、いーんじゃねーの」
と伊吹はふっと笑った。けれど、すぐに真顔に戻って窓の外を見続けた。
「伊吹…… だいじょう、ぶ?」
「なにが」
また伊吹が笑顔になる。あたしとは目を合わさず、ずっと窓の外を見たまま。
……こんなとき、なんて声を掛けていいのか分からない。
でも伊吹も、余計なことを言われるくらいなら、そっとして置かれたほうがいいに決まってる。
もしかしたらひとりになりたいかもしれない。ずっと目も合わせないし……
「え、と…… あたし、席戻ろう、かな」
と座席に戻ろうとしたら、
「バカが余計な気ぃ回してんじゃねーよ」
と言われた。「座席でもどこでも……好きなとこにいればいーだろ」
「え……」
驚いて伊吹を振り返る。
それって……
ここにいても……伊吹のそばにいてもいいってこと?
あたしなんの役にも立たないけど。
なんにも気のきいたセリフ言えないけど……
それでもここにいて、いいの?
「……ありがと」
……そばにいることを許してくれて。
「なんで礼なんか言うんだよ! 相変わらず分かんねぇヤツだな」
伊吹は吹き出すように笑うと、やっとあたしの方を見た。
けれど、あたしと目が合った瞬間……その笑顔は固まった。
長いまつ毛に縁取られた伊吹の瞳が微かに揺れている。
「伊吹……」
伊吹はほんの少しあたしを見つめたあと、一歩あたしに近づいた。そして、そのままあたしの肩におでこをくっつけるようにして、頭を乗せてきた。
―――ぎゅっと胸が締め付けられる。……嬉しさじゃなく、切なさで。
「……勘違い、すんなよ」
分かってる。
いま勘違いするほど、さすがのあたしもおめでたくはない。
そっと伊吹の頭をなでた。
「……ナメんな」
そんなことを言いながらも、伊吹はあたしの手を振り払いはしなかった。
名古屋を過ぎて他の乗客が乗ってきても、伊吹はあたしの肩に頭を預けたままだった。

あたしたちを乗せた新幹線は、夕暮れの中、東へと向かっていった。

第7話 おわり
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