真昼の月   #1  ゲームの始まり


「ハルっ! 3年にカワイイのが転校してきたって!」
見に行かね?とクラスメイトのタクヤが俺の背中にのしかかってきた。
新学期初日の朝。
2年になり進路別に分けられたこのクラスの女は、全部で5人しかいなかった。
まぁ、元々ウチの学校は県内でもトップクラスの進学校ということもあってか、男女の比が3:1くらいで女が圧倒的に少ないんだけど。
しかも、勉強も出来てキレイな女なんか滅多にいないから、新入生でちょっとカワイイのが入ってくると、1年だけじゃなく上級生までもが教室に覗きに来るなんてことがあったりする。
まして、公立の進学校に転校生が来るなんてゼロに近いから、それが女・・・しかもカワイイときたら、目立たないはずがない。
だから、このタクヤの反応は何も特別なものじゃなく、他の男どもも朝からそわそわと教室を出て行っては、3年の教室に上がって行ったりしていた。
「やだよ。 メンドくせぇ」
俺たち2年1組の教室は2階で、タクヤが目指す教室は4階だ。
階段2階分上がって見に行く価値なんか、あの女にない。
俺がそう言って机から教科書を出したら、
「あ〜〜〜、やだね。これだからモテる男は」
とタクヤが俺の背中から離れた。
「あ?」
「知ってんぞ? ハル、この前ホームで総武の子に告られてたろ?」
「なんで知ってんの?」
毎度のことながら、こいつの情報の早さには驚かされる。
「しかも、アヤカ似の割りとカワイイ子だったのに・・・・・ お前断ったんだって?」
もったいねぇ、とタクヤが溜息をつく。
「だって総武だぞ? バカとは言わねーけど、そんなのと付き合ったってなんのメリットもねーじゃん」
「・・・・・相変わらずキビシーね、お前」
俺は、愛だの恋だの、そんなカタチのない不確かなものを信じたりしない。
そんなものを信じて最後に泣くヤツは馬鹿だ。
だから俺はメリットのある女としか付き合わない。
学力だったり、金だったり、スタイルだったり、テクニックだったり・・・
「ホントにお前と付き合う女を拝んでみたいもんだよ。 相当いい女なんだろーなぁ」
「そーでもないよ。 割りとフツー」
「・・・殴っていい?」
「やめて」
そんな話をタクヤとしていたら、急に教室の中が騒がしくなった。
いや、まだSHRの時間じゃないから元々騒がしくはあったんだけど。
「なんだ?」
タクヤと2人で顔を上げ、教室の出入り口の方を振り返る。
――――――げ。
「ちょっ! おいおい、アレだよ!さっき言ってた転校生!!」
タクヤが俺の背中を連打する。
肩甲骨ぐらいまで伸びた栗色の髪。
黒目がちな、でも色素の薄い印象的な目。
腕も足も華奢な、全体的に小柄な体つき。
真新しい制服に身を包んだその姿は、まるで新入生だ。
クラス中の男どもが振り返る中、あの女はキョロキョロと教室の中を眺め回している。
思わず顔を伏せようとしたその瞬間、目が合ってしまった。
「ハルくんっ!」
見た目に違わず、ちょっと高めの声が自分に降りかかってきた。
「―――え?」
一瞬の間を空けたあと、クラス中の視線が俺に向けられる。
「なんで先行っちゃうの〜〜〜?」
と言いながら俺の席までやってきた。
〜〜〜なんで教室くんだよっ!?
「ハルくんのせいで、あたし遅刻しちゃったよ。 もうっ!」
ここまでされたら他人の振りも出来ない。
「・・・間に合ってんじゃん」
俺は仕方なくそう返した。
「編入生は色々話があるから8時までに来いって言われてたのっ!」
と腰に手を当てて、軽く俺を睨みつける。
そんなの今初めて聞いたんだけど? つか、なんでそれが俺のせいなんだよ・・・
と突っ込みたいところだけど、さっさと出て行って欲しいから用件を聞く。
「・・・なんか用?」
「え?」
「用ないなら帰って?」
わざと視線を教科書に落として、パラパラとそれをめくった。すると、唇を尖らして、
「・・・・・冷たいなぁ。 お姉ちゃんに対して」
「オイッ!」
それは学校では言うなって言ってあったろっ!!
俺が慌てて立ち上がろうとしたら、
「はいはい!席について―――ッ!!」
と教師が教室に入ってきた。
俺たちに注目していたクラスメイトが、一斉に教壇の方を振り返る。
「あれ? もしかして担任関根ちゃんなの?」
前列に座っていた男が、ラッキー、と言って手を叩く。
「教師にちゃん付けは止めなさい」
英語担当の女教師は前列の男を睨みつけたあと、「えーと、2年1組の担任は吉田先生なんですが、本日は体調不良のため副担任の私が出欠を取ります。・・・3つ数える間に着席していない生徒は遅刻扱いにしますので・・・」
出欠簿を開きながら俺の席の方に視線を走らせた英語教師のセリフが、そこで止まる。
「・・・・・あなた、誰?」
キレイにメイクされた眉間にしわが寄る。
「あたし?」
登校初日の転校生は自分を指差して、「3年5組に編入してきました。工藤詩織です」
と首を傾げた。
「工藤・・・?」
英語教師が俺を見る。 ・・・いや、教師だけじゃなくみんなが俺を振り返った。
俺は仕方なく、
「―――ボクの姉です」
と溜息をついた。

「知らなかったな。 工藤くんにあんなカワイイお姉さんがいたなんて」
その日の放課後。 俺は美和に呼び出されて英語教科室にいた。
「いや、俺も知らなかった」
と俺が笑いながら肩をすくめたら、美和はちょっと眉間にしわを寄せて、
「またそうやってはぐらかす」
と俺を睨んだ。
「・・・はぐらかしてないけど」
「はぐらかしてる! ・・・あんなカワイイ子と一緒に暮らせることになって、内心嬉しいんじゃないの?」
さっきイトコだと話したっていうのに・・・
「かわいくないでしょ。 美和の方が何倍も美人だよ・・・」
余計なヤキモチを焼かれるのは面倒だ。
俺は美和の細い顎に手をかけて上を向かせた。
「ちょっと・・・ 他の先生来たら・・・」
と言いつつ、顎にかけた俺の手を振り払う素振りはない。
女ってのは大体こうだ。
拒否の言葉を口にしながらも、身体は全く抵抗しない。
でも、そんなこと指摘したら機嫌が悪くなるだけなのも知っている。 だから俺もそれに黙ってのることにする。
「いいよ。別に」
「あ、ん・・・」
口付けた瞬間、外国製の口紅独特の苦味が口に広がる。 決して好きな味じゃないけど、もう慣れた。
「・・・副担任なの?」
口付けの合間に低く尋ねる。
「ん・・・ そう・・・ んッ!」
「ヤバいな・・・ 俺、ガン見しそうだよ。 美和のこと」
ブラウスの上から胸を弄る。
「や・・・ あ、はんっ!」
美和が一瞬身体を引く。 俺はその腰を抱き寄せて、
「つか、勃っちゃうよ・・・ こんな風に」
と下半身を密着させる。
「いや・・・ や・・・ ハル・・・」
スカートの中に手を滑り込ませたら、美和はそのまま俺にしなだれかかってきた―――・・・


この春休み。 急に俺に姉が出来た。
「雪江に妹がいたことは知ってるだろ?」
ちょっと話がある、と言われてリビングに呼ばれた俺に、そう父親は切り出してきた。
・・・一体なんの話なんだろう?
父親の改まった態度に少しの不安と少しの興味を覚える。
雪江と言うのは、俺が小6のときに死んだ俺の母親だ。 その母親に妹がいたことは俺も知っている。
けれどその妹は、俺が生まれる前に 父親が誰なのか分からない子を孕み、半ば勘当同然で家を飛び出していた。
だから、俺も話に聞いたことがあるだけで、実際会ったことはない。
「お前にしたら叔母さんに当たるわけなんだが・・・ その叔母さんが、先日病気で亡くなったんだ」
「へぇ・・・」
死んだと言われても会ったこともない人間だ。 悪いけど、なんの悲しみも感慨もない。
「で、おじいちゃんたちも亡くなってて他に身寄りもないし、ウチで引き取ることになったから・・・」
「え・・・?」
引き取るって・・・ 何をっ!?
ちょっと話跳び過ぎてないかっ!?
「ちょ、待って? ・・・何を?」
「いや、だから詩織ちゃんを」
「・・・・・・シオリ?」
・・・・・一瞬で思考回路が停止する。
「詩織ちゃ〜ん! こっち来て〜?」
今までどこにいたのか、リビングのドアを開けて女が入ってきた。
「えーと、詩織ちゃんは2月生まれだったよな?」
父親が女の肩に手をかけて笑顔を向ける。 女がそれに笑顔で肯く。
「じゃ、ハルより3ヶ月お姉さんだ。あ、コレはオレの息子で遥。今度詩織ちゃんが通う第一高校の2年」
「よろしくね? 遥くん」
女が手を差し出してきた。
けど、俺の思考回路はまだ停止状態で、それに上手く対応できないまま、ただ呆然と突っ立っていた。
俺のそんな態度を勘違いした父親が、
「あ、遥じゃなくてハルって呼んでやってくれる? 小さい頃から女みたいな名前で嫌だって」
そうなの?と言いながら女が俺の顔を覗き込む。
「カワイイのに。 じゃ、ハルくんって呼ぶね?」
呼び方なんかどうでも良かった。
というか、まさかこんな風に「シオリ」と対面することになるとは思っていなかったから、そっちの方で頭がいっぱいだった。
なんだなんだ・・・ どうなってんだよ・・・
そんな俺の胸中を知る由もない能天気な父親が、
「母親同士が姉妹だから本当はイトコだけど。一応養女として籍も入れるつもりだから義姉弟だな」
と俺と「シオリ」の肩を叩く。
白々しくそんなことをしてくる父親に無性に腹が立った。
しらばっくれやがって・・・
なにが、本当はイトコだけど、一応義姉弟だな・・・ だよ!
俺たち・・・・・本当の姉弟じゃねーかっ!!

母親の妹・・・叔母は父親が誰なのか分からない子を孕み、一人でその子供を産んで育てていた。
それは、本当に誰が相手なのか分からなかったんじゃなく、叔母が相手を明かさなかったからだ。
そう俺に教えてくれた祖父母も、結局相手の名前を知らぬまま7年前に死んだ。
けど、今なら教えてやれる。
叔母の相手は・・・
「シオリ」の父親は―――・・・・・ 俺の父親だ。

俺と詩織はイトコであるのと同時に、異母姉弟でもあった・・・・・


俺に異母姉弟がいると知ったのは、母親が死んだ小6のときだ。
今もそうだけど、父親はIT関連会社の取締役をしていて、当時から家にいることは殆どなかった。
自然と俺は母親っ子になった。 だから母親が死んだときは大変だった。
食事もろくに喉を通らず、一日中母親の影を探してばかりいた。
そんなある日、俺は母親が愛用していたドレッサーの引き出しの奥から、数冊のノートを見つけた。
日記だった。
父親と母親は職場で知り合ったようだ。
母親が勤める会社に、事務処理用ソフトを販売したのが父親で、それがきっかけで付き合い始めたらしい。
その当時のことが細かく書かれている。
母親が日記をつけていたとは知らなかった。 少なくとも、自分が物心付いてからの母親は日記などつけていたふしはなかった。
途中でつけるのを止めたのか・・・ 育児が忙しかったとか・・・?
そんなことを思いながら読み進めていくうちに、段々自分の眉が寄ってくるのが分かった。
はじめのころこそ、
「親父もやるじゃん」
とか、
「つか、ここまで書くかっ!? 読んでる方がハズいっつーのっ!!」
なんて突っ込みを入れながら読んでいたんだけど、二人が結婚した直後くらいから雲行きが怪しくなりだした。
『最近てっちゃんの帰りが遅い』
から始まり、
『会社に電話を入れたら、休暇を取っていると言われた。 誰とどこに行ってるの?』
『許せない! てっちゃんを返して!!!!』
とどうやら父親が浮気しているらしいことが示唆される内容になってきた。
てっちゃんというのは、工藤哲也・・・ 父親のことだ。
母親のことが大好きだった俺は、父親が許せなかった。 母を傷つけた父親が許せなかった。
日記にはさらにショッキングなことが続いていた。
『あの子が妊娠した』
『あたしには、仕事が忙しいから子供はまだまだ先って言ってたくせに・・・』
『ズルイズルイズルイ・・・ あたしだっててっちゃんの子供が欲しいっ!!』
『あの子に子供が生まれたら、絶対てっちゃんを取られてしまう・・・ そんなの絶対いやだ』
『てっちゃんを繋ぎとめるためにも、子供が欲しい』
『どうしても欲しい!』
『子供さえ出来れば、てっちゃんは戻ってきてくれるに違いない』
そこまで読んで、目の前が真っ暗になった。
あんなに優しかった母親が、心の中ではそんなに苦しんでいたのか、と。
自分が生まれたのは、本当に自分を望んだのではなく、父親を繋ぎとめるための道具に過ぎなかったのか、と。
確かに、仕事が忙しく父親が家にいることは少なかったけど、たまの休日に自分を連れ出してくれた父親と母親は、すごく仲が良さそうに見えたのに・・・
・・・・・あれも、みんな作り物だったっていうのか?
日記を読み終わる頃には、多分俺の顔から感情というものが消え失せていたはずだ。
全てが信じられなくなった。
日記の内容から父親の浮気相手は分からなかったけど、生まれた子供が女の子で「シオリ」という名前だということだけは分かった。
その時から俺は変わってしまった。
今まで何も知らないで父親や母親に纏わりついていた自分が、滑稽に思えた。
周りの大人たちは、
「お母さんが亡くなって、大人になったのね」
といいように捉えていたけど。
とりわけ、男女の愛というものに対して冷めた見方をするようになった。
愛や恋なんて、そんなカタチのない不安定なものに本気になるなんて馬鹿だ。
と言っても、今まで女と付き合ったことがないわけじゃない。
父親と母親の、それぞれいいところをもらって生まれた俺は、自分で言うのもナンだけど割りと女ウケがいい。
今は部活にも入っていないけど、中学までバスケをやっていたおかげで、背も高い方だし運動もそれなりにこなせる。
その上、県内トップクラスの進学校に通っている。
おかげで、入学してからこの1年間で、結構な数の女から告白もされた。
けれど、そういった女たちと付き合ったことはない。
男だから・・・しかも一番精子が濃い高校生(俺の推測だが)だから、性欲はそれなりにある。
自分でも処理するけど、やっぱり女の身体でするのが1番だ。 だから恋人は作る。
基本的には誰でもいいけど、本気になられたら面倒だ。
俺にとって男女の付き合いなんてゲームと同じだった。
ちょっと遊んでみて面白ければコインを入れてコンティニューするし、つまんなかったらもっと面白いゲームを探す。
こっちが止めたいのに、ゲーム機の方から縋ってこられたら鬱陶しい。
だから、男慣れしてない同じ年くらいの女より、後腐れなさそうな大人の女と付き合うのが1番いい。
その点で言うと、美和は最高のパートナーだった。
8歳年上な分テクニックもあり十二分に性欲は満たされるし、こんな進学校の教師をしているくらいだから頭もいい。
俺も普通の高校生よりは多めの小遣いをもらっているけど、美和は、
「いいわよ。あたしが出すから」
と言って、食事代もホテル代もいつも出してくれる。
そんな美和との付き合いはもう半年も続いていた。

「・・・今日は大丈夫だって言ったのに」
美和が荒い息のまま俺を見上げる。「たまにはゴム無しでしてみたい」
「いや、エチケットでしょ。オトコの」
「あたしがいいって言ってるのに・・・」
そう言いながら美和が乱れた衣服を整える。「それに、ハルの子供だったらあたし・・・」
「やめて? そーゆーこと言うの」
美和の言葉を途中で遮る。「俺、メンドくさいの大嫌い」
俺は今まで、一度も生でセックスしたことはない。
望まない妊娠を避けるためだ。
俺たちの学校ではまだ聞いたことないけど、別な高校に行った中学の同級生から聞かされる、
「ヤバいよ・・・ デキちゃったよ・・・」
なんて話は最悪だった。
そうなったかつての同級生たちは、皆一様に頭を抱え込む。
馬鹿か・・・ 避妊ぐらいしろよ。
俺は絶対・・・・・ 例え相手に望まれたとしても、避妊はする。 絶対する。
何度も言うけど、俺は愛や恋なんて不安定なものを信じていない。
そんな俺の子供がこの世に誕生してくるなんて・・・ 考えただけでぞっとする。
俺の言葉に美和は、
「・・・冗談よ」
と笑った。 ―――顔が微かに引きつっている。
はじめ遊びだった美和が、段々本気になってきているのが・・・ 最近ちょっとした仕草から分かるようになってきた。
けど、俺が本気じゃないことを知っているから、美和もそうしている。
それが俺より8歳年上の女のプライドだ。
俺はそのプライドに甘えている。
「美和が好きだよ・・・ 愛してる」
なんて、うわべだけの言葉だってお互い分かってるのに、
「あたしも・・・」
そう言って俺たちは口付けた。

新学期早々美和とセックスしたあと、虚しい気分のまま家に帰った。
セックスのあとは、無性に虚しくなる。
好きでもない女と何やってんだ?
と、いつも自分を冷静に見ているもう一人の俺がいる。
クソ・・・・・ッ
俺をこんな風にしたのは父親のせいだ!
父親が浮気なんかしたから・・・ 外に子供なんか作ったから・・・・・・ッ!!
―――だから、俺みたいなのが生まれてきたんだ。
俺は自己嫌悪に陥ったとき、決まって父親と、母親の日記に出てきた「シオリ」のせいにしていた。
「お帰り。 遅かったね」
玄関ドアを開ける音を聞きつけて、ペタペタとフローリングの廊下を歩いて詩織が出てきた。
「・・・なんで裸足?」
まだ4月になったばかりで肌寒い日もあったりする。 スリッパは必需品だ。
詩織は自分の足元に視線を落として、
「ん? ・・・慣れてなくて」
「は?」
意味の分からない答え。
スリッパに慣れ、不慣れがあるのだろうか。
深く突っ込まないことにして、そのまま自分の部屋に上がり制服を脱いだ。
学ランをハンガーにかけてスウェットに着替える。
「ハルくんって部活入ってないんでしょ? どこか寄ってきたの?」
リビングに下りていったら、キッチンから詩織が声を掛けてきた。
「ゲーセン」
「ゲーム好きなの?」
「別に。 好きじゃないけど、ヤリたいだけ」
「え?」
俺の答えに詩織が訝しげな顔をする。
「なんでもない。 ・・・・・・つか、また作ったの?」
微かに漂ってくるコンソメ風の匂い。
「うん。 ポトフ」
カウンター式のキッチンからまた詩織がヒョコッと顔を出す。
手には熊の顔を施したミトンが。
あんなのウチになかった。 ・・・・・買ったのか。
俺に向かって左右に揺れる熊が二匹。
「俺、食ってきたよ」
「えっ!? そーなのっ?」
熊が固まり、その間に挟まれていた小作りな顔も一緒に固まる。
母親が死んでから、食事は外食が増えた。
って言っても、俺は外で食事をするのが基本的に好きじゃないから、コンビニで買ってきたものをウチで食べたり、料理は嫌いじゃないからたまに自分で作ったりしていた。
でも、こいつにそんなことを知られたら、
「だったらあたし作るから、一緒に食べよ?」
とか鬱陶しいことを言われそうだから、俺も外食派ということにしている。
「だから、この前から言ってるじゃん。 親父もめったにウチでメシ食わないし、俺もテキトーに済ませるから作んなくていいって・・・」
俺がそう言ったら、詩織はちょっと口を尖らして、
「・・・しゅん」
しゅん、とか言うな―――っ! 腹立つっ!!
大体、まだウチに来て1週間しかたっていないっていうのに、すでに自分ちのように我が物顔でキッチンに立っているのが腹立たしい!
そこに立っていいのは死んだ母親か、俺だけだ!!
クソッ・・・ クソ・・・・・・ッ!!
自分だけがイライラしていて、詩織がのほほんとした顔をしているのも気に入らない。
きっと詩織は自分の父親が誰かも、俺たちがイトコというだけでなく本当は異母姉弟だということも知らないんだろう。
知っていたら、あんなのん気に俺んちのキッチンに立てるわけがない。
事実を知っているのは俺だけで、俺だけが苦しんでいる・・・・・・
そう思ったら無性に腹が立ち、そののん気な女を傷つけてやりたくなった。
―――どういう風に傷つけてやるのが一番いい方法だろう。
生憎こののん気な女は、
「なんだよ〜ッ!! ハルのイトコだったのかよ〜・・・ 紹介してくれっ、頼むっ!!」
とタクヤが騒ぐほど、外見には恵まれている。
それに、
「スゲー難しいってよ? だから転校生も殆ど来ねーんだって」
というウチの高校の編入試験にも合格したくらい頭もいい。
外見や頭の悪さで皮肉ってやることは出来なさそうだ。
・・・・・・駄目だ。
そんな上っ面のことで傷つけるんじゃなく、もっと内面的に・・・
俺が傷ついたように・・・
愛だの恋だのが信じられなくなるように・・・
―――もう二度と、本気で人を好きになることが出来なくなるように!
・・・それぐらい傷つけてやらないと気が済まない。
「・・・ねぇ?」
ソファに座ったまま振り返り、精一杯の愛想いい声を出す。
「ん? やっぱり食べる?」
詩織は、ダイニングに座って自分が食べていた皿を持っていたスプーンで指し示した。
・・・いらねぇよっ!
「いや、いい。 ・・・それよりさ、詩織さんって彼氏とかいるの?」
「やだ、ハルくんっ! さん付けなんかしなくていいよ?」
詩織が笑いながら俺に手を振ってみせる。
・・・当然だろう。3ヶ月しか違わないんだから。
「じゃあ・・・」
詩織で、と呼び捨てにしようとしたら、
「お姉ちゃんでいいよ?」
と首を傾げるバカ女!!(頭はいいが)
バカのペースに巻き込まれる前に、
「いるの? いないの?」
と聞きたいことを確認する。
詩織はちょっとだけ俺を見つめたあと、
「ん、っとね〜・・・ いたんだけど、別れちゃった」
と言いながらまた皿に視線を戻した。 けれどスプーンを口に運ぶことはせず、カチャカチャと中身を掻き回している。
「・・・なんで?」
「ん〜〜〜・・・」
と唸ったあと、「ちょっと大人の事情と言うか? ハルくんにはまだ分かんない話だよ」
また皿の中身を食べ始めた。
大人の事情?
―――セックスの相性でも悪かったんだろうか?
つーか・・・
俺にはまだ分かんない話ってなんだよっ!?
子供扱いしてんのか? 馬鹿にすんなよっ!?
こっちは美和とヤリまくりだっつーのっ!!
「・・・そうなんだ」
内心かなりムッとしたけど、腹ん中で治めておく。
「そういうハルくんは? いないの?」
「えー、いないよ〜」
テキトーに返事をしながら、頭をフル回転させる。
この女に男がいたら、イロイロ手を回してこじらせた挙句、こっぴどくフラれるように仕向けてやったのに・・・
「ウソ〜? そんなにカッコいいのに?」
別れた原因が分かれば、そこから何か責めることが出来るかも・・・
「って、学校に女の子少ないから、しょうがないのかなぁ」
・・・いや、そんな過去のことで責めたって駄目だ。 出来れば、進行形の状態から墜としてやりたい。
「でも学ランってカッコいいよね〜! 前の学校はブレザーだったんだけど」
俺が思考回路をフル稼働させていたら、いつの間に食べ終わったのか、食器まで洗い終わった詩織がソファの俺の隣に座ってきた。
「・・・は?」
「学ラン。 カッコいいよねって言ったの」
詩織は立てた膝の上に頭を乗せて、「今朝、ハルくんが学ラン姿でリビングに下りてきたの見たとき、ちょっとトキめいちゃった」
と首を傾げて俺の目を覗き込んできた。
・・・遠い昔に見たことのある瞳。
血の不思議か、詩織の目は俺の母親にちょっと似ていた。
その瞳に思わず吸い込まれそうになる。
慌てて顔を背けた。 背けた瞬間・・・
―――そうだ。 血だ。
と最高の復讐劇が頭に浮かんだ。
こののん気な女を自分に惚れさせればいい。
イトコということに多少抵抗はあるかもしれないけど、生まれてから一度も会ったことがなかったんだから、感覚的には他人も同然だ。
元々女ウケがいい俺だ。 そう難しいことじゃない。
甘い言葉を囁いてやる。
ガラス細工にするように、優しく口付けてもやる。
足腰が立たなくなるくらい俺に酔わせてやる・・・・・・
心も身体も蕩けさせ、もう俺から離れられないという状態にしてから・・・・・・
―――墜とす。
実は俺たちは姉弟なんだと教えてやる。
こっちは本気じゃなかったと捨ててやる。
姉弟で・・・・・・というインモラルな関係に相当ショックを受けるはずだ。
しかも、俺はそれを知っていて遊んだだけだとなったら・・・
―――――もう2度と人を好きになるなんてことは、出来なくなるに違いない。
いい気味だ。
自分の母親が不義の密通を重ねていた報いを受けるといい。
俺をこんなふうにした報いを・・・・・・ッ!!
「? どうしたの?」
詩織がまた俺の顔を覗き込んできた。
「え?」
「なんかニコニコしてるよ? いいことでもあった?」
「別に? ・・・何もないけど?」
ゆっくりと詩織を見つめ返す。
「そう?」
「うん。 ・・・あ、やっぱアレもらおうかな」
「アレ?」
詩織が視線で問い返してくる。
俺はその詩織に少しだけ身体を寄せて、
「ポトフ。 ・・・・・・ホントは好きなんだ」
と微笑んだ。

こうして俺の、「復讐」という名のゲームが始まった。

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