真昼の月   side 長坂(後編) 

スキップなんて何年ぶりだろう?

詩織の家から帰る途中、知らず知らずのうちに足取りが軽くなり、気付いたら弾むような歩き方になっていた。
―――いまどき、小学生だってスキップなんかしていない・・・
自分の姿に気付き、慌てて普通に歩き出す。
歩きながら、そっと自分の唇に触れてみる。
・・・別に、キスは初めてじゃない。
数え切れないほどした、ってわけでもないけど、ある程度の経験はしたことある。
それから・・・ かなり回数は少ないけど、それ以上のことだってしたことあるし。
なのに・・・ なんなんだ?
あんな・・・ ただ、唇を合わせただけのキスなのに、オレ・・・・・・ 相当浮かれてる・・・
指先を唇に当てながら、さっきのキスを思い出す。

「明日・・・ どっか行かない?」
唇を離した後、詩織を見つめてそう誘った。
「・・・え?」
「週末・・・2日も会えないなんて辛い。 デートしよ?」
付き合って1ヶ月弱だけど、オレたちはデートらしいデートをしたことがなかった。
学校帰りに図書館によるとか、マックによるとか・・・ そんな程度しか。
「私服の詩織ちゃんに会ってみたい」
詩織を見つめてそう言ったら、詩織はちょっと困ったように笑いながら、
「・・・あたし、あんまり可愛い服とか・・・持ってないよ・・・」
「なかったら着なくてもいいよ、服なんか! むしろ、そっちの方が嬉しいかも?」
「・・・長坂くん?」
初めてデートらしいデートが出来る!と浮かれたオレが、調子に乗ってそんなことを言ったら、詩織が軽くオレを睨んできた。
そんな視線も可愛くて・・・・・
ヤバイ・・・ チョー嬉しい!!
そう言えば、小学校の頃の遠足の前の日がこんな感じだったっけ・・・
次の日が待ち遠しくて、明日の天気を気にしながら布団に入って。
早く寝なきゃって思うほど、余計に目が冴えて眠れなかった・・・・・
いや、あんとき以上かも・・・
―――明日はどこ行こうかな。
そんなことを考えながらオレはベッドに横になり、朝が来るのを待ちわびた。


「・・・・・え? そーなの? 大丈夫っ!?」
『うん・・・ 本当にごめんなさい』
翌日。 待ち合わせ時間を30分過ぎても現れない詩織に電話をしたら、詩織はまだ自宅にいた。
体調が悪くて寝ていたらしい。
やっぱり、昨日の体調不良はまだ治っていなかったのか・・・
『ずっと待っててくれたのに・・・ ごめんなさい。時間にも気付かないで、あたし・・・』
「いいよ。気にしないで。 薬とか飲んだ?」
『ううん・・・ でも、大したことないから・・・』
大したことないって・・・ 十分あるだろっ!?
行けないって連絡も出来ないくらい具合悪いんだろ?
時間が過ぎてることにも気付かなかったぐらい具合悪いんだろ?
「家の人は?」
『・・・・・誰もいないの』
「え?」
『お父さんは仕事だし、ハルくんは・・・・・』
そう言ったきり、ケータイの向こうが静かになった。
・・・・・ったく!
こんな病人ひとりにして何やってんだよ!? 家族はっ!!
「じゃ、待ってて。 今から薬買ってそっち行く」
『えっ!? い、いいよっ! そんなこと・・・』
「いいって。 行く」
『でも、そんな迷惑かけられないし・・・』
「いいから行くっ! 待ってろって!!」
まだゴチャゴチャ言う詩織を無視して、ケータイを切った。
途中、薬を買おうとドラッグストアに立ち寄った。 けど・・・ どんな薬を買えばいいのか分からない。
調剤コーナーにいた薬剤師に聞くことにした。
昨日の図書館での様子からかいつまんで説明したら、
「ははぁ・・・ それはアレね。 女の子の日だったんじゃない?」
とその女性薬剤師はオレに笑いかけた。
「女の子の日?」
「生理ってコト」
「せ・・・っ」
一瞬言葉に詰まったオレに、薬剤師は、
「そういう時って、女の子は情緒不安定になったりするものなの。 ちょっとした言葉に過剰反応しちゃったりね」
「そー・・・ なんですか」
「薬なんか買って行くより、彼女が喜びそうなスィーツとか?そーゆーの買って行ってあげたほうがいいんじゃないかな」
そーだったのか・・・
そう言われてみれば、図書館でも昨日の詩織の家の前でも、こっちはいつものように話をしていただけなのに、急に顔色が悪くなったりムキになったりしてたっけ・・・
それも、生理のせいだったのか・・・ 男のオレにはよく分からないけど・・・
薬剤師に礼を言って店を出た。
途中でプリンを買って詩織の家へ向かう。
詩織の家に着きインターフォンを鳴らしたら、凄い勢いで詩織が出てきた。
「・・・・・・・長坂、くん?」
けれど、オレの姿を確認した途端、急に力が抜けたように息を吐き出した。
「心配で来ちゃったよ」
オレは笑顔の裏で、今ドアを開けた直後の、
「・・・・・・・長坂、くん?」
の前に、
「なんだ・・・」
という落胆の声が聞こえたような気がして、少し焦った。
・・・・・って、気のせいだよな?
「・・・大丈夫だって言ったのに」
「うん。 でも気になったから・・・ あ、コレお見舞い。 薬は・・・どれがいいのか分かんなくて、結局買わなかった。ゴメンな?」
まさか生理薬なんか渡せない。
「ううん。 ホントに大したことないし・・・ あ!プリン!!」
オレが渡した紙袋の中を確認して、詩織が笑顔になる。
「キライじゃない?」
「ううん。大好き! ありがと、長坂くん! 冷蔵庫にしまってくる」
と言って、詩織はいったん廊下の奥に消えた。
「一緒に食べよう? 上がって!」
という展開を期待してしまった自分がいて、軽く落ち込む。
や、でも詩織は体調悪いわけだし。
家の人はみんないないって言うし。
初めてのデートで、密室で2人きりなんてなれないし・・・・・
と色んな理由を引っ張り出してきて、落ち込んだ自分を慰める。
まぁ、玄関先でもいいや。
ちょっとでも詩織と話せれば。 もちろん、詩織の体調が悪くなければだけど・・・
―――ちょっとした言葉に過剰反応したり・・・―――
不意に、さっき薬剤師と交わした言葉を思い出した。
病気じゃないから、と薬剤師は言っていたけど、なるべく詩織を刺激するような会話は避けないとな・・・
そう言えば、どんな話したときに詩織は様子がおかしくなったんだっけ・・・
と昨日のことを思い出す。

昨日、詩織の家の前で話していたら、急に詩織がムキになりだして、泣いているのかと思ったら笑顔だった・・・ アレはどんな話をしてた?

確か・・・・・

いや、その前の図書館では何話してた?
古文の教科書を広げて・・・ 詩織が古典が好きだって話をして・・・
オレが読んだ古事記の話をしたら、急に詩織の顔色が真っ青になって・・・・・

あのときの古事記の内容はなんだった・・・?


―――胸に一抹の不安・・・ どころか、灰色のもやが立ち込める。

そもそも、オレたちが付き合うようになったのは何がきっかけだ?
かなりアプローチしていたにもかかわらず、ずっと首を縦に振ってくれなかった詩織が、
「そろそろカレシに昇格させてよ」
とオレが言ったら、意外にもあっさりと承諾してくれて・・・
詩織にどんな心境の変化があったんだ?
確か、あの日は・・・ 前日に連絡をくれると約束した詩織が連絡をくれなくて、それで話がしたくて朝イチで詩織を呼び出して・・・
その前日は・・・ カラオケに行って・・・・・


―――全ての場面で、あの鋭い眼光をたたえた弟の顔が浮かんでくる。


オレの心臓が助走を始める。
まさかだろ・・・
いくら義理とはいえ、姉弟だし。
4親等だから法律上問題ないとはいえ、血が繋がったイトコ同士だし。
オレだったら、イトコでも恋愛対象にはなりえない。
・・・・・でも。
胸に浮かんできた不安をいくら打ち消そうとしてみても、どんどん不安の雲は広がっていくばかりだった。
「ゴメンね。 箱から出してしまってたら、時間かかっちゃった」
詩織がペタペタと裸足で玄関に戻ってきた。
「・・・長坂くん? どうかした?」
胸に沸いてきた不安にオレが黙り込んでいたら、詩織がオレの顔を覗き込んできた。
「・・・・・今日、お父さんは?」
「ん? さっき言わなかったっけ? お仕事だよ。 すごく忙しいみたいで、元々家には寝るために帰ってきてるようなもんなの」
詩織が首を傾げてそう答える。
「・・・・・じゃ、弟くんは?」
・・・・・やめろ!
「・・・・・え?」
やめろやめろ!
もう1人のオレが必死に止める。
けれどオレは、確認しないではいられなかった。
「弟くんだよ。 たとえ義理でもお姉さんが具合悪いって言うのに、それ無視して出かけちゃったの? 酷くない?」
詩織の表情が固まる。

―――ビンゴだ。

「ハルくんは・・・ 夕べから帰ってなくて・・・」
無表情のまま、ロボットのように言葉を繰り出す詩織。
「多分、彼女の・・・ところ、に・・・」
そう言って、また詩織が俯く。

ああ・・・・・
こんなに分かりやすい反応を示していたのに、なんでオレは気が付かなかったんだろう。

――――――詩織の前で弟の話をしたとき、詩織はいつも俯いていた。

「詩織ちゃん・・・ もしかして・・・弟くんのこと・・・」
「違うっ!」
詩織はオレの言いたいことを察して、先に否定してきた。
「違う、絶対っ! あたしは、長坂くんが・・・」
「いや、オレは別に・・・」
「何言ってるのっ!? そんなの・・・ ありえないよっ!」
詩織の握った拳が、その力強さのせいで白くなっている。
「姉弟っていっても義理なんだし・・・」
オレはそう言って、詩織の小さな拳を自分の手で包んだ。「何? 弟くんには彼女がいるから、だから諦めたの?」
「違うって言ってるでしょっ!」
「それでオレにしたの?」
「違うっ! 違う違う!!」
千切れそうな勢いで首を振る詩織の頭を、胸に抱え込んだ。
「オレ、別にそんなことで怒んないよ? 義理の姉弟に気持ちが動いたってしょうがないよ・・・」
「違うの・・・」
「違わない。 詩織ちゃんは、弟くんが好きなんだよ。 そうなんでしょ?」
相当ショック受けてんのに、なんでこんなカッコつけてんだ? オレ・・・
別に好きな男がいるのに、なんで付き合った?って責めてもいいのに・・・
けど、イトコ・・・かぁ〜
オレだったら、イトコは完全に恋愛対象外なんだけどなぁ・・・
オレが諦めにも似た気持ちでそんなことを考えていたら、
「そーじゃ、ないの・・・」
とオレの腕の中で詩織が呟いた。「イトコじゃ・・・ ないの」
「・・・・・え?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
戸惑うオレを無視して詩織は続ける。
「・・・・・あたしたち、本当に姉弟なの。 血が繋がってるの・・・」
え・・・?
本当に姉弟って・・・
「ちょ・・・ ちょっと待って!?」
「ハルくんのお父さんは・・・ あたしのお父さんでもあるの」
―――頬を叩かれたような衝撃を受けた。
「・・・・・異母姉弟・・・って、コト?」
詩織が顔を伏せたまま肯く。
待て待て待て待て?
「それ・・・ 弟くんは知ってるの?」
「・・・・・分からない。 知らないのかも・・・」
そう言って詩織がオレを見上げた。「どうしよう・・・ 長坂くん・・・ あたし・・・」
涙は零れていなかったけど、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「一瞬、気持ちが動くのは仕方ない・・・とか思ったけど・・・」
オレは強く詩織を胸に抱え込んだ。「やっぱ、駄目だ。 そんなの・・・絶対駄目だ!」
胸の中の詩織が、どうしよう・・・と何度も呟きながら震えている。
詩織は自分だけが弟に気持ちがあると思っているようだけど・・・ 多分、弟の方も何かしらの感情は詩織に抱いている。
あの、カラオケボックスで会ったときのオレに向けた視線で分かる。
ちゃんとした彼女がいるようだけど、それとは別なところで他の女に意識が向くことは男なら誰だってあるし。
ただ、詩織の気持ちはまだ弟には知られていないようだ。 そこだけが唯一の救いだった。
「・・・・・オレにしときなさい」
詩織の返事はない。 けれど、構わず、
「このまま付き合お?」
「・・・・・でも、そんなの・・・」
やっとこの前詩織が言っていた、
「これ以上、そんな武器使うのずるいもん」
の意味が分かった。
「利用してるみたいで悪い?」
オレがそう聞いたら、詩織はまつ毛を伏せた。
「すれば? 利用」
「だけど・・・」
と俯きかける詩織の顔を両手で包み込み、上に向かせる。
「・・・こんなときでも、泣かないんだ?」
やっぱり詩織の顔に涙はなかった。
「武器を持ってるのは女の方だけど、それを利用するのはどっちか分かんないって言っただろ? たまには利用させてよ。オレにも・・・」
「長坂くん・・・」
再び詩織を抱き寄せようとした瞬間、背後の玄関ドアが勢い良く開いた。
―――弟だった。
「・・・・・いらっしゃい」
弟はそう言うと、オレと視線を合わせないで家の中に入ろうとする。
「ハ、ハルくんっ、お帰りっ」
詩織が笑顔を作ってそう言ったら、靴を脱ぎかけていた弟が無言で詩織を見上げた。
素早く動く弟の視線が、詩織の全身をチェックしている。
そして、少しだけオレを振り返ってきた。

―――あの、野生動物の眼で。

・・・おいおい、弟くん?
キミには彼女がいるんだろ? そんな目でオレを見るなよ。
大体、キミは知っているかどうか分からないけど、キミと詩織は血が繋がった姉弟だ。
道徳的にも生物学的にみても、そんなの許されるわけがない。
今 詩織の気持ちはキミに向いているかもしれないけど、いずれオレの方に向く予定だし、キミは弟のポジションを全うしてくれよ?

あの、人を殺しそうな勢いの視線に笑顔で応えたら、弟は眉間にしわを寄せて顔を背けた。
「・・・・・それじゃ、詩織ちゃん。 また学校で」
「え、うん・・・ ありがと」
本当は帰りたくなんかなかった。
今はまだ、詩織自身が自分の気持ちに恐怖を抱いているから具体的な心配はないと思うけど。一応弟にも彼女がいるし。
・・・でも、どうやったら詩織の気持ちを動かせる・・・・・?
・・・どうやったら正しい道に戻してやれる・・・・・?

そんなことを考えながら、でも表面上は今までと何も変わりないように詩織とは続けていった。

そんなある日。
昼休みに所用で生徒会室に行ったら、2年の会計が複雑な顔をしてやってきた。
「会長・・・」
オレは高2の後半から生徒会長をやっている。
周りからどんな評価をされているのか良く分からないけど、推薦されるがまま立候補したら、予想以上の票を獲得して会長になってしまった。
多少の面倒くささはあったけれど、進学校の生徒会の仕事なんて高が知れているし、受験生の内申にこれ以上の付加価値はないだろうと思い、それなりにこなしている。
「どうした?」
この2年の会計・・・東は、顔も面白いが性格も明るくて面白い。
その東が、今はなんだか神妙な顔をしている。
「いや・・・ その・・・」
「なんだよ?」
「・・・あの、自分小遣い少ないんですが、会長が困ってるんでしたら力になろうかな、と思いまして・・・」
「は?」
・・・・・お前の小遣いが何だって?
「こういうことは早めに処理した方がいいって・・・ 同じ経験した友達も言ってましたし・・・」
「ちょ・・・ 待て。 なんの話だよ?」
意味が分からずそう突っ込んだら、東はますます言いづらそうにして、
「や・・・ 会長の彼女が・・・ その・・・」
「・・・詩織が、なに?」
詩織のことは、何回か生徒会室に連れて来たことがあるから、生徒会の人間なら誰でも知っている。
「・・・・・・に、妊娠したって・・・」
・・・・・は?
誰が? 詩織が?
なんだって・・・? 妊娠・・・・・・?
「――――――おいっ!?」
オレがあまりのことに大声を出したら、
「ぅわっ! す、すんませんっ! でも、1組の奴らが騒いでたんで、オレも心配になっちゃって・・・」
と東は身体を縮こませた。
・・・・・なんだよ? 今度は・・・
やっと最近詩織との関係も落ち着いてきたっていうのに・・・
かといって、オレと詩織はまだそんな関係じゃない。
「デマだろ。 そんなことあるわけがない」
くだらない噂だ、とオレが笑い飛ばそうとしたら、
「や・・・ でも、中絶同意書を持ってたって・・・」
とまだ東は続ける。
「・・・同意書?」
「はい・・・ 会長の彼女、1組に弟がいるんすか? そいつが同意書にサインしたとかなんとか・・・ あっ、会長っ!?」
「閉めとけっ!」
生徒会室の鍵を東に投げつけるように渡して、生徒会室を飛び出した。
詩織が妊娠?
そんなことあるわけがない!
いつも一緒にいたんだ。 彼女の体調の変化ぐらいすぐに気が付く。 そんな兆候は全然なかった。
東の勘違いだ。
でも・・・・・
「中絶同意書持ってたって・・・」
「弟がそれにサインしたとか・・・」
その言葉が頭から離れない。
「詩織っ!」
息を切らしながら教室に飛び込み、ぼんやりと窓の外を眺めていた詩織を連れ出した。
あの、
「カレシに昇格させてよ」
と告白した階段の踊り場に連れて行く。
「・・・なんでこんなとこに連れてきたか・・・ オレが何の話しようとしてるか、分かるよね?」
「え・・・?」
「まだクラスの奴らは・・・いや、3年は殆ど知らないと思うけど、オレ聞いたから。2年の会計から」
「や・・・あの・・・」
「詩織ちゃんが・・・・・ 妊娠してるって」
畳み掛けるようにそう言ったら、詩織は黙って視線をそらしてしまった。
「・・・・・本当なの?」
あるわけないことだって分かっているのに、詩織の口から本当のことが聞きたくてそんな風に言ってみる。
けれど、詩織は黙ったままだ。
「しかも・・・ 中絶同意書のサインを弟くんに頼んだって・・・」
問題はそこだ。
妊娠云々は根も葉もない噂だとすることが出来る。
でも、中絶同意書なんてものが存在していたら、いきなり話は信憑性を帯びてくる。
そんなものに、簡単にサインできる奴なんかいるわけがない。
身に覚えのない、無関係な奴ならなおさらだ。
「まさか、詩織ちゃん・・・」
一瞬、詩織の妊娠が本当で、しかも相手は・・・・・・なんて、おぞましい事を想像しかけたら、
「ハルくんは全然関係ないっ! そんなこと・・・絶対してないっ!」
詩織が睨むようにオレを見上げた。
「・・・じゃ、妊娠も、中絶同意書も嘘なんだよね?」
とオレが確認したら、また黙り込む。
「それとも・・・ やっぱ、ホントなの?」
さっさと否定してくれよ! 何考えてんだよ?
オレが焦れるような思いで詩織の返事を待っていたら、
「・・・・・好きなようにとってもらって、構わない・・・」
と詩織は俯いた。

詩織のことは好きだ。
弟のこととか色々あるけど、そんなの忘れさせてやるし、これからもずっと付き合っていきたいと思っている。
でも、こんな大事なことで、いつまでも本当のことを話さない詩織に段々腹が立ってきた。
オレは詩織のカレシだろ? 付き合ってるんだろ?
そのオレにも隠すことってなんだよ?
本当のことが分からないと、オレが傷つくって分からないのか?
それとも、オレのことなんか構っていられないほど隠したい真実なのか・・・?

「・・・・・じゃあ、東が言ってたことは本当だって思っていいんだね?」
また詩織が黙り込む。 オレは大きく息を吐き出して、
「・・・なんでオレに言ってくんなかったの? 東からじゃなくて、詩織ちゃんの口から聞きたかったな」
「・・・ごめんなさい」
「いや、謝って欲しいんじゃなくてさ。 ショック受けるじゃん?」
「・・・ごめんなさい」
「いや、だからぁ・・・」
・・・駄目だ。 詩織は全然本当のことを話してくれようとしない。
何を隠そうとしているのか・・・ 詩織の意思は相当固そうだ。
「じゃ、相手は誰って・・・ 聞いていい?」
「え・・・」
「だってオレたちまだそんな関係じゃないし! でも、聞く権利あるよね?」
「や・・・ あの・・・」
「なに? 元彼とか、そんなとこ?」
詩織は妊娠なんかしていない。 それは十分分かっている。
けれど、詩織につかれたウソで傷ついた分、そう言って詩織を困らせてやろうとした。
詩織は俯いてしまったけど、許してやる気はない。
もっと困ればいい。
「オレでもアイツでもないんだから、それしか相手いないよね? それとも詩織ちゃんは・・・」
オレがそう言って詩織を追い詰めようとしたら、
「姉さんっ!!」
と誰かが階段を上がってきた。
―――また、弟だ。
「・・・・・何?」
何を隠そうとしているのか分からないけど、詩織がついている嘘に加担している弟。
普通だったら出来ない、中絶同意書にサインまでした・・・血の繋がった弟。
少なくとも、オレが詩織のことを東から聞く前に、この弟はそのことを知っていたことになる。
どういった内容なのか想像もつかないが、カレシであるオレを飛び越えて、詩織はこの弟に相談したということに・・・・・・
オレが弟を睨みつけたら、
「や・・・ あの、ちょっと話が・・・ あって・・・」
と弟の方から視線をそらした。
何の話だ? 邪魔するなよっ!?
そう言って弟を追い返してもよかったんだけど、
「じゃ、続きはあとで・・・」
ととりあえず詩織を解放した。
これ以上詩織といたら、逃げ場がなくなるまで詩織のことを追い詰めてしまいそうだ。
オレが階段を下りるのと入れ違いに、弟が詩織の傍に歩み寄る。
視界の端に映ったその2人の姿が・・・ まるで恋人同士のようで焦った。
「詩織ちゃんっ!」
オレは精一杯の笑顔で、「そーゆー事を相談するのは、弟じゃなくてカレシにしてよね!」
と言い捨てて、足早に教室に向かった。

くそ・・・
詩織に弟なんかいるのかよ。 今一緒にいるのは、本当に弟なのかよ!?
カレシって誰だよ?
詩織にとって、カレシって誰なんだよ・・・・・

午後の授業は、吐き気をこらえるのに精一杯で、殆ど頭に入らなかった。


翌日の放課後。 弟から呼び出され、意外な話を聞かされた。
―――妊娠も中絶同意書も本当のことだった。
でも、それは詩織のものじゃなく、弟のものだと言う。
たまたまその場にいた詩織が、弟を助けるためにとっさについた嘘だと・・・
「だから、俺のせいで二人が揉めるのはヤだから・・・」
・・・俺のせいで二人が揉めるのはイヤだ?
って、もうお前の存在自体がオレたちが揉める原因なんだよ。
お前が諸悪の根源なんだよ!
真実が分かって安心した反面、弟を庇うためにオレが傷つくことも厭わなかった詩織のことを思い落ち込んだ。

やっぱり、負けるのか・・・ この弟に。
妊娠させるような関係にある彼女がいながら、血の繋がった姉の気持ちをも捕らえて放さないこの弟に・・・

けど、肝心の弟の方は、詩織のことをどう思ってるんだ? こうやって、オレと詩織の仲を心配したりして・・・
詩織に気があるんじゃなかったのか?
それとも、それはオレの勘違いだったのか?

「なんか・・・ 駄目かも。 オレたち」
だから、カマをかけてみる。
「え・・・?」
「お姉さん、他に好きな人がいるみたいなんだよね」
弟の目が微かに見開かれる。
「弟くん、なんか聞いてない? お姉さんから」
「や・・・ 家であんまあの人と・・・話さない、から・・・」
弟がオレの視線から逃れるように顔を背ける。
―――逃がすかよっ!
「面白いよね? 詩織ちゃんがキミの事を弟、弟って連呼してるのに、キミは詩織ちゃんの事をあの人って呼んでる」
「え・・・」
「この前カラオケで会ったときは、詩織って呼び捨てにしてたし」
「・・・カラオケ?」
「姉さんって呼んだのは昨日。キミがオレたちの間に割り込んできたときだけだ。それも迷った末にって感じだった」
オレが畳み掛けるようにそう言ったら、弟の視線が泳いだ。

―――やっぱりな。

「・・・それが、何か?」
でもそれは一瞬のことで、弟はまたすぐにいつもの顔に戻った。 口の端に笑みすらたたえて。
・・・・・どんだけ狸なんだよ。 こいつはっ!
もっと動揺しろよっ!!
クソ・・・・・ッ!
「・・・ま、いいけどね。 姉弟って言っても義理なんだし?」
そう言ってさらに弟の反応を見る。
でも、弟の表情はもう変わらなかった。
「だからキミが彼女のことをどう思おうと構わないけど? オレが興味あるのは彼女の気持ちだけだから」
無理矢理笑顔を作って、弟の前から立ち去った。 精一杯の虚勢を張って。

・・・・・キミが彼女のことをどう思おうと構わない・・・

なんて・・・
構わないわけないだろっ!?
知らないなら教えてやるっ! お前ら本当は血が繋がってるんだぞっ!?
そんなこと、オレも、世間も、神だって許さない!!
さっさと妊娠させた彼女とくっつけよ!
学校やめて働けっ! そんで、詩織の前からも消えろっ!!


くそ・・・・・・
どうすればいいんだ・・・ どうすれば・・・



神様・・・ なんとかしてくれよ・・・・・

あいつら、本当に血が繋がってるんだよ・・・

そんなの許さないよな? 許されないよな?

・・・・・頼むから、詩織をそんな地獄に行かせないでくれよ・・・




――――――けど、オレの願いは神には届かなかったらしい。







「あたし・・・ やっぱり、長坂くんとは、付き合えない・・・」
一言一言、区切るように、搾り出すように詩織がそう言った。
「もう、自分の気持ちに嘘つけない・・・」
「・・・・・嘘、つかなきゃならないときもあるんじゃない?」
オレがそう言ったら、詩織は俯いた。
「そんなの・・・ 許されることじゃないのは、分かってるよね?」
「・・・うん」
「辛い思いするだけだって、分かるよね?」
「・・・・・うん、でも・・・ この気持ちを抑えてる方が、辛いの・・・」
詩織は俯いたまま、「死ぬほど、辛いの・・・・・」

―――そこまで言われたら、もう何も言えない。

「・・・・・分かった。 じゃ、別れよう」
「・・・・・ごめんなさい」
「勘違いしないで? だからって、2人のこと認めたわけじゃないから。 ・・・誰が許しても、オレだけは絶対に許さないよ。 2人のこと」
そう言いながら、俯いた詩織の顔を上げさせた。
「・・・・・やっぱり泣かないんだ? こんなときでも」
「・・・あたしはこれ以上ないくらい長坂くんを傷つけてる。 だから・・・ 長坂くんの前では、絶対泣かない」
「はは。 ・・・強いね」

―――誰がそんなこと頼んだよ・・・

泣けよっ!
オレの前で、辛いって泣けよっ!!
そうしたら・・・
そうしたら、もういくら詩織がイヤだって言っても離さない。
あんな弟のところになんか返してやらない。

詩織を幸せに出来るのは、弟じゃない。

――――――オレだ。


「本当にごめんなさい」
そう言って詩織は教室を出て行った。
誰もいない教室に、パタパタと廊下を駆けていく詩織の足音が響いていた。
「・・・・・なんなんだよ、お前らは」
・・・血が繋がってんだぞ? 姉弟なんだぞ!?
「お前ら狂ってるよッ!!」
持っていたカバンを思い切り黒板に投げつけた。 ファスナーが開けっ放しだったせいで、教科書やペンが音を立てて散らばった。
拾い集める気も起きず、そのまま窓にもたれかかり眼下を見下ろした。 校庭とそれに続く校門が見える。
校門の手前にある桜の木の下に、スラリとした細身で黒髪の男が立っている。
―――弟だ。
その弟に、たった今校舎から出てきた詩織が駆け寄る。
2人は2、3言言葉を交わしたあと、一緒に校門に向かって歩いていった。

触れ合いそうで、それでいて決して触れ合わない、微妙な「姉弟」の距離を保ちながら。

ホントは触れ合ってんだろ?
メチャクチャ抱き合ってんだろっ!?
姉弟で・・・ インモラルな関係に溺れてんだろっ!?

オレは絶対認めない・・・ そんな狂った関係・・・

睨むように二人を見下ろしていたら、不意に弟の方が振り返った。
校門から校舎までかなり距離がある。
しかもこっちは4階にいて、あっちは地上だ。
なのに、弟のその表情がハッキリと見て取れた。


野生動物の眼を微かに細めて。

その口の端を持ち上げるように微笑んで。

そして―――・・・ 微かにオレに頭を下げてきた。

確かにオレの姿を捉えて、弟がオレに頭を下げてきた。
思わず右の拳を握り締め・・・・・
「――――――・・・ッ!!」
慌てて左手でそれを押さえる。
・・・・・危うく窓ガラスを叩き割るところだった。

クソ・・・・・ッ

絶対許さない。

そんな狂った世界に詩織を連れてなんか行かせない。

絶対・・・ 連れ戻してやる。



オレの元に―――・・・

END   
応援ありがとうございました。
面白かったら
↓ココを(*^_^*)


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