D 恐怖の騎馬戦


『お知らせします。騎馬戦に出場する生徒は入場門の前に集合してください』
ちょっとだけハウリングした後、スピーカーからアナウンスが流れた。
校庭には普通科商業科合わせた全生徒が集まっていた。BGMは、「トランペット吹きの休日」。
体育祭よりも梅雨入りの方が早かったら…と心配されていたけれど、今日の天気は曇りにとどまってくれていた。
「ほら村上さん、騎馬戦だよ」
と五十嵐くんに肩を叩かれた。
「村上〜! 落ちるんじゃねーぞ!?」
「頑張ってね〜」
と赤いハチマキをしたクラスメイトが声をかけてくる。
あたしは緊張に顔をこわばらせながら肯くしか出来なかった。
俯き加減に歩きながら入場門に向かっていると、
「大丈夫?」
と五十嵐くんが声をかけてきた。
「だいじょばない……」
あたしが呟くようにそう答えると、
「村上さんって面白い日本語使うよね」
と五十嵐くんが呆れたように笑いながら言った。「でも、面接のときとか気を付けた方がいいよ」
「え? 大丈夫の反対語ってだいじょばない…で通じるでしょ?」
「僕たちには通じるけど大人には……少なくとも面接官には通用しないよ」
「そ、そーなんだ……」
はじめて知った……気を付けよ……
……っていうか!
「ねぇ、絶対に落とさないでね? ねっ!?」
あたしは五十嵐くんの体操服の裾を引っ張った。
「……努力はするけど。僕前衛だから、どっちかというと後方の2人が頑張らないと」
「いやいや、残れる自信ないわ」
「ちょっとそんなっ」
無責任な、と言おうとしたら青いハチマキをつけた集団が入場門の前に集まっているのが目に入った。
すぐに見つけられるオレンジ色の頭。
陸もあたしに気が付くと唇をちょっとだけ突き出して、チュッといった感じにキスを投げてきた。
そして自分のハチマキを指差した後あたしを指差して、
『ネ・ラ・ウ!』
と笑いながら口をパクパクさせている。
やめて―――っ!?
あたしは慌てて自分のハチマキを押さえた。
「結衣!」
肩を叩かれて振り向くと麻美が立っていた。「ヨロシクね〜! 今は赤がリードしてるみたいだけど、これで一気に青が追い抜く予定だから♪」
「え、麻美も騎馬戦出るの?」
「そ! 結衣のコト狙っちゃおーかな〜?」
と麻美がわざとイジワルな目を作ってあたしを見下ろす。
「なんでなんで? 騎手って小さい子がやるんじゃないの?」
「体重が重くなければ背が高いほうが有利らしいわよ」
麻美は楽しそうに笑いながら青組の集団の方に入って行った。
麻美も陸もB組だから同じ青組。
麻美が陸を見つけてシャツを引っ張るのが見えた。陸が振り返り麻美は眉間にしわを寄せて何か話しかけている。陸も同じく眉をひそめて顎を突き出すような格好で肯いたりしている。
なに話してるんだろ……
「……気になる?」
隣りにいた五十嵐くんがあたしに声をかけてきた。
「うん…… だって麻美って陸のコト好き…なんだよね?」
あたしが2人から視線を外せないまま五十嵐くんにそう聞くと、
「……この前僕が言ったこと気にしてる?」
「気にしてる」
五十嵐くんは、やっぱり、と呟くと肩をすくめた。
「なんか困るんだけど。村上さんを落ち込ませたのが僕のせいみたいになるじゃない。もうあの話は忘れてよ。テキトーに答えただけなんだからさ」
「忘れられないよ〜。っていうかもっと色々膨らんじゃってる」
あたしに言えないのはやっぱり陸が好きだから? でも陸本人には言ったんだよね?
それって…… 陸に気付いて欲しいから?
気付いてもらったら……その後は? どうなっちゃうの??
付き合っちゃう……のかな?
とそこまで考えかけて慌てて自分の考えを否定する。
いやいや麻美がそんなコトするわけないよっ! 陸だって!!
ていうかあの2人仲悪いもん! ありえないってっ!!
……でも…嫌いな人に好きな人がいるんだ、なんて教えたりするかな… 普通しないよね……
やっぱり五十嵐くんが言った通り、陸のこと……?
「ホラやっぱり〜! 渡辺さんと陸くん付き合ってるんだよ!」
急に耳元で囁かれてあたしは飛び上がった。驚いて振り返ったら泉さんが立っていた。
騎馬戦は各クラス2騎馬ずつ出すことになっていて、3−Aのもう一人の騎手は泉さんだった。
「この前聞いたんだけど陸くんって身長181あるんだって! で、なんかの本で読んだんだけど、男女の理想的な身長差って15センチなんだって。ちょうどそれぐらいの身長差じゃない?あの2人」
麻美は167だから……14センチ差?
あたしは153だから…… ……計算する前に落ち込んだ。
「くだらない事言ってないで並ぼうよ。ほら泉さんはもっと前でしょ?」
「うるさいなぁ五十嵐は!」
泉さんは列の前の方に移動しながら五十嵐くんに舌を出した。
あたしがいつまでもしょぼんとしていたら、
「ほら行くよ」
と五十嵐くんがあたしの肩に手をかけた。そのままグイグイ押されるようにしてあたしは入場門をくぐった。
騎馬戦は、各クラスから2騎馬ずつ出された赤12、青12、白12、黄色12、緑12の計60騎馬を前半30騎馬、後半30騎馬の2回戦に分けて対戦する形になっている。対戦時間は3分間。
あたしたちの騎馬は後半戦に出る。
前半戦に出る子たちが騎馬を組み終えるとピストルの合図が鳴った。
あとは……もの凄い喚声と砂埃。その向こうに見える闘牛かと見間違うような騎馬……
開始から1分もたっていないのにもう半数近くが崩れてる。
後半戦に出るあたしたちはしゃがんでそれを見ていたんだけど……もうその時点であたしは眩暈を起こしそうだった。
む、無理無理無理―――っ!
あたしは顔を伏せて首を振った。……絶対ケガする。あたしドン臭いもん……
「おおっ! あの青強くね?」
一緒に騎馬を組む男子の声に顔を上げると、陸が前衛をやっている騎馬がどんどん他の組の騎馬を崩しているところだった。
陸、前半だったんだ。
良かった一緒じゃなくて。狙われたら瞬殺されてたよ……
「さすがっつーか… やっぱ商業科には勝てねーよな」
「つか上に乗ってる子、チョースタイル良くない?」
後方担当の2人の男子があたしを見る。
「……この時点で負けてるよな、すでに」
「う、うるさいなぁっ!」
スタイルは勝負に関係ないでしょ!
「あ…… 赤全滅した」
五十嵐くんが呟いたと同時に終了の合図が鳴った。
残っているのは青と白だけで、しかも全部商業科の騎馬だった。
陸が騎馬を組んだまま嬉しそうに片手でガッツポーズをしている。
その上にいる騎手の女の子も手を叩いて喜んでいた。それからいきなり陸の頭を両手で掴んで……その子が前かがみになって陸にキスをした!
「ヒュ〜! あんなのがあったらオレたちだって頑張れるよなぁ?」
と2人の男子があたしを見る。
「え、いや、それは……無理だよっ」
「いやご褒美ないと頑張れねーよな? 落とすかも?」
「無理無理無理!!」
慌てて首を振った。
「……お前らいい加減にしろよ」
五十嵐くんが2人を振り返る。「そんな事言って早々に潰れたりしたら踵落とし食らわせるからな」
2人は、怖え〜、と笑いながらやっとあたしをからかうのを止めてくれた。
前半戦だった子たちが戻ってくる。泉さんが、
「無理! 絶対商業科には勝てないよ!」
と言いながら手を振っている。
いよいよあたしたちの番が来てしまった。
笛の合図がなり組まれた騎馬の上に乗る。……高い。
何回か練習したけど……やっぱり怖い〜〜〜!
「お、落とさないでね? 落とさないでね? ていうか逃げて!?」
騎馬になっている男子たちにそう言うと、
「今は赤が総合トップだけど僅差で青が追い付いてきてんだよな〜」
「やっぱ潰しに行くか?青!」
なんて恐ろしい事を言っている!
「ちょ、ちょっとっ! 戦わなくていいから! 逃げて!!」
とあたしが焦っている間に試合開始のピストルが鳴った。
後方の男の子が、
「とは言っても商業科は怖いから……普通科の青狙いでな、五十嵐」
と前衛の五十嵐くんに声をかけた。
「ダメ! 逃げて逃げて!」
「行っていい?」
五十嵐くんがちょっとだけあたしを振り返る。「どうせ最後まで対戦しないで逃げ切るなんて無理だから」
「で、でもっ」
なんて話をしていたら、
「ゆーいー」
とあたしたちの目の前に麻美の騎馬が立っていた。「ハチマキちょーだい?」
「やっ、ダメ―――!」
あたしは慌てて頭を押さえた。
「って言ってももらっちゃうもんね〜」
「ミッフィーちゃーん! 頑張れ―――!」
え?
驚いて振り向くと陸がこっちに向かって手を振っていた。
「コラ―――ッ! 敵を応援してんじゃないわよっ!?」
「今だ!」
麻美が陸を振り返って文句を言った瞬間、五十嵐くんが麻美の騎馬に踏み込んだ。
「え、えっ?」
「早く! ハチマキ奪って!」
五十嵐くんが叫ぶ。
「させるかよっ!」
それに気付いた青組の騎馬の男子が五十嵐くんに蹴りをいれようとした。麻美もあたしたちの動きに気が付いて慌ててあたしの頭に手を伸ばす。
五十嵐くんは相手の蹴りをラクにかわすと、逆に素早い足裁きで相手の足元をすくった。
一気に麻美の騎馬はバランスを崩した。
良かった… 助かった〜…
とホッとしかけたとき、相手の前衛の男子が五十嵐くんの肩に置いていたあたしの腕を掴んだ。
「きゃあっ!」
それでバランスを崩したあたしは、そのままその男子に引っ張られるようにして麻美の騎馬と一緒に崩れ落ちてしまった。
2つの騎馬の8人が折り重なるように倒れこんだ。
「いったぁ〜…」
「村上さんっ! 大丈夫!?」
五十嵐くんが心配そうに顔を覗きこんでくる。「怪我してない?」
「うん、大丈夫みたい……」
「結衣っ!」
陸が駆け寄ってきた。五十嵐くんをグイッと押しのけて、「大丈夫かっ?」
「う、うん。平気だよ」
「渡辺っ? 大丈夫お前っ!?」
すぐそばにいた青組の男子が叫んでいる。
え? 麻美?
その場に転がっていたみんなが麻美に注目する。
「あ、麻美っ!」
麻美の左足の裏から血が流れている。あたしたち騎手は裸足で騎馬に乗っていた。
「立てるかっ? 保健室行こう!」
と青組の騎馬だった子が肩を貸そうとすると、
「い、いいっ! 自分で立てるからっ!」
と麻美は一人で立とうとした。けれど、「いたっ」
と再び尻餅をついた。
立てるわけないよ、そんな傷でっ!
「いいからつかまれよ」
と麻美の腕をつかみ青組の男子が無理矢理肩に担ごうとすると、
「やだやだっ! やめてってば!」
と首を振る。身体全体で拒否しているような……
「麻美? 肩貸してもらいなよ。そんな足じゃ歩けないよ!」
「やだっ」
いつもどちらかというとクールな麻美が、子供のように駄々をこねているからビックリしてしまった。
麻美? どうしちゃったの?
他にもたくさんの騎馬がそこら中に転がっていて、あたしたち以外誰も麻美の怪我に気付いていなかった。
「ど、どうしよう…… 先生呼んで来ようか?」
とあたしが立ち上がりかけたとき、
「ったく…… 子供かよ、あんたは」
と言って陸が麻美の背中と膝を抱えて抱き上げた。
「なっ!?  お、下ろしてよっ!!」
陸は麻美の抗議を無視してそのまま中央テントまでスタスタと歩いて行く。麻美が陸を怒鳴りつける声がここまで聞こえてきた。
あたしが呆然とそれを見送っていると泉さんが走り寄って来た。
「どうしたの?」
「あ、麻美が怪我しちゃって、それで……」
「いや〜ん♪ お姫様抱っこぉ! いいな〜渡辺さん!」
泉さんは胸の前で手を組んで中央テントの方を見ている。陸と先生が何か話しているところだった。そして麻美を抱いたまま校舎入って行く。
「あ、あたし見てくるっ!」
走り始めたあたしに泉さんの声が飛んできた。
「村上さんっ! 2人の邪魔しちゃダメだよっ!」
もう騎馬戦は終わって残った騎馬が整列しているところだったから校庭を横切れなくて、あたしはグルリと遠回りをして校舎へ向かった。
昇降口まで行って上靴に履きかえるのももどかしく、保健室から一番近い入り口の所で靴を脱いだ。
校舎の2階にある保健室へ急ぐ。
走っているせいなのかそれとも別な理由からなのか……ものすごく心臓がドキドキしている。
階段を上りきったとき保健室のドアを開けて陸が出てくるところだった。
「あ、結衣」
「り、陸… 麻美の…様子は……っ」
走ってきたせいで息が上がっていた。
陸はちょっと肩をすくめて、
「なんか、オレめっちゃ嫌われてるみたい」
「え?」
「ずーっと抵抗してんの、あの人。保健室着いたら気分悪いって言って治療もそこそこにベッド入っちゃうし。その間もオレ完全無視」
ワケ分かんない、と言って陸は階段を下り始めた。
「チョー機嫌悪そうだったよ。アノ日かな?」
な、何言ってんの!?
麻美は陸のことが好きなんだよっ!? 分かんないのっ?
「……陸は無神経だよっ!」
「は?」
階段の途中で陸が振り返る。「無神経って? オレが?」
「そうだよっ! みんなの前であんな…お、お姫様抱っこなんかしちゃって!」
「あの場合仕方ないでしょ? ……て、もしかっして妬いてんの?」
陸があたしの顎に手をかける。あたしはそれを払い落とすと、
「や、妬いてなんかないっ! 自惚れないで!」
と陸から一歩離れた。
「結衣?」
「り、陸、ちょっと女の子に人気あるからって調子に乗ってんじゃないっ?」
「……オレがいつ調子に乗ったよ」
陸が不機嫌そうになる。
「いつも…いつもだよっ! さっきの騎馬戦のときだって騎手の子にキスされて喜んでたじゃない!」
「み、見てたのかっ!? つか見てたら分かるだろっ? 不可抗力だろうよっ!」
不機嫌さから一転、陸が慌てる。
あたしは最近の不安が一気に噴き出してしまった。
「合コンのときだってそうっ! あたし見てたんだから! 泉さんのグレープフルーツなんか搾ってあげちゃって気を持たせるようなことしてた!」
「いやだってあれはイズミさんが搾ってくれって言うからっ」
「その上麻美の隣りの席をめぐってケンカなんかして……」
「はっ?」
「泉さんが聞いてんたんだからっ! 陸と誰かが席を代わる代わらないでケンカ始めたって! 麻美の隣りを譲りたくなかったんでしょ!?」
「違っ、あれはぁ〜…」
「みんなが2人はお似合いだって! 身長だって14センチ差で! そうそう、マリちゃんも陸狙いだったんだってあの合コンで! いいねモテモテでっ!」
陸はあっけにとられた顔をしてあたしを見つめていた。
「な、何よっ!? またくだらないことで騒いでるって思ってるんでしょ!?」
あたしは少しずつ後ずさりながら、「くだらなくなんかないもんっ!」
「ゆ、結衣?」
「あの騎手の子でも、泉さんでも、マリちゃんのでもないんだからっ! あ、麻美のだって……」
「結衣?」
「り、陸は…… あたしのカレシなんだからね―――ッ!?」
そう陸に怒鳴りつけて逃げるように階段を駆け下りた。そのまま校庭へ飛び出す。
保健室へ向かうときと同じように心臓がドキドキしていた。
いくら深呼吸しても動悸が治まってくれないから、やっぱり走ったせいじゃないみたいだ。
……あたし、何言っちゃったんだろう…
激しい後悔と自己嫌悪に襲われた。
も、やだ……
陸と付き合うようになってから、焦ったり、怒ったり、嫉妬したり…… 負の感情ばっかり増えてる気がする。
あたしってこんなに独占欲強かったんだ……
杉田先輩と付き合っていたときはもっと穏やかに付き合っていられたのに……なんで?
落ち込んだまま赤組の応援席に戻ると、
「どうだった?」
と五十嵐くんが声をかけてきた。
「もう最悪だよ……」
そう言いながら椅子に座ると、
「渡辺さん、そんなにヒドイ怪我だったんだ」
と五十嵐くんが眉をひそめた。
「え…? あ、違う違うっ! 今のは麻美のコトじゃないからっ!」
「え? ……じゃあ渡辺さんは大丈夫なの?」
「あ……」
麻美の怪我の様子見てくるの忘れちゃった……
何しに行ったの? あたし……
親友の怪我の具合もそっちのけで、彼氏の方が大事なの?
しかも内容はくだらないヤキモチ……… さらに落ち込んだ。
「村上さん! 次応援合戦だからコレ着て準備して!」
と同じクラスの女子に学ランを渡される。「村上さん小さいから前列ね。……て、なんか顔色悪いけど大丈夫?」
……落ち込んでる暇もない。
あたしは数名のクラスメイトと一緒に学ランを着て入場門へ移動した。

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