真昼の月  side 長坂(前編) 

「ごめんなさい・・・」
詩織が俯く。「やっぱり長坂くんとは・・・ 付き合えない・・・」

こうなるかもしれない、とは思っていたけど。
いや、多分こうなるだろうと予感めいたものすらあったけど。

けれど、ここで肯くことは出来ない。

オレが詩織のことを好きだからってのもあるけど、詩織のためにも肯けない。
いや、肯いちゃいけない。

――――――そんなインモラルなこと、このオレが許さない。



「桐生から来ました。 え、と・・・ く、どう 詩織です」
4月に転校してきた詩織は、真新しい制服のせいで まるで新入生のように見えた。
この公立の進学校に編入生が来ること自体珍しいのに、それが女の子で(オレたちの学校は3:1の割合で圧倒的に男が多い)、そこそこ可愛かったせいもあって、教室内がちょっと浮ついたようにざわめいた。
華奢な身体に、肩下まで伸びた柔らかそうな栗色の髪。
「じゃ、席は〜・・・ 長坂の隣が空いてるから、とりあえずそこ座って」
香水の匂いじゃない。 ・・・多分、シャンプーか石けんか・・・ 
詩織がオレの隣の席に着く瞬間、そんな匂いが鼻を掠めた。
「よろしくね?」
ちょっと首を傾げてオレを見るその目が、すごく印象的な子だった。
「・・・え」
その瞳に思わず見とれて、一瞬返事をするのが遅れてしまった。
・・・・・多分、このときオレは、もう詩織のことが好きになってたんだと思う。

単純と言われるかもしれない。

でも、詩織は頭もいいし(オレたちの高校は県内トップクラスの進学校だ)、明るいし気さくだし、何より可愛いし・・・
そんな理由で人を好きになったって、別に構わないだろ?
自分の遺伝子を後世に残すために、より良い遺伝子を持つ異性を求めるのは、生物として当然のことだ。

今まで女の子を好きになったことは何度もある。 みんな明るくて可愛くて、そこそこ勉強が出来た。
片思いのまま終わることもあったけど、首尾よく付き合うことになった女の子も何人かいた。
好きな子を独占できるのは嬉しい。
大体オレが好きになる子は、他の男からも好意を寄せられたりする子が多かったから。
詩織もまさしくそのタイプだった。
いつもだったらもっと様子をみてから告白したりするんだけど。
でも、オレたちは3年で受験だし、時間ないし。
何より、他の男に持っていかれたら腹立つし。
「工藤さんて、カレシいるの?」
だから、早速アプローチ。
「え〜? いないよー」
笑顔の前で振られる、小さな白い手。
「マジでー? 遠恋になるから別れちゃったとか?」
「遠恋?」
「いたでしょ? 前の学校にカレシ」
詩織は一瞬だけ言葉に詰まったあと、
「・・・いないよ?」
と視線をそらした。
―――いたのか。
いいけどね、いても。 詩織に男がいなかった方が不思議なんだし、今いなければ全く問題ない。
仮に、まだそいつのことが忘れられないとしても全然構わない。 オレたちの歳で遠恋なんて、不可能に近いんだから。
成長期のオレたちは昨日と今日で大きく変わっている。
それは気持ちの上でも同じだ。 昨日好きだった相手を、今日も好きだとは限らない。
その相手と距離があればなおさらだ。
「んじゃ、オレ立候補してもいい?」
だから、遠慮なく告白する。
「え? 何に?」
詩織がきょとんとした顔をする。
・・・・・この話の流れで分からないのかな?
「いや・・・ だから、カレシに」
「カレシ・・・ え? 誰の?」
詩織は眉間にしわを寄せている。
おいおい・・・ 今オレは誰と話してんだよ?
最後まで言わなくても雰囲気で分かるだろ? 気付けよっ!
て言うか・・・ 普通、気付くよな?
・・・・・とぼけてるのか? それとも、天然?
よく女の中には天然を装ってるのがいる。 オレはその手のタイプが嫌いだ。
自分から、
「あたしって、天然だから〜」
なんて言う女が天然だったためしはない。
そして、天然ほど 自分の言動で相手を傷つけることが多い。
天然だから、相手の気持ちを読めなくてもいいのか?
相手の気持ちを汲み取る気もなく、我が意のままに振舞って、挙句に相手を傷つけたことにも気付かない・・・
天然という言葉を免罪符のように使うなよ?
「はは。 はぐらかしてる? それとも、もしかして工藤さんって天然?」
ここで、
「うん」
って言ったら、即バックだ。
――――――馬鹿は嫌いだ。
詩織は一瞬だけ気まずそうに黙ったあと、
「あたし・・・ なんか、気に障ること言った?」
「え?」
「天然・・・って。 褒め言葉じゃないと思う。 そう言われるの、好きじゃない」
そう言って詩織は席を立った。
「ちょっ・・・ 待って!」
オレは慌てて詩織の後を追った。 廊下に出たところで彼女の腕を捕まえる。
でも、詩織は俯いたままオレと目を合わせようとはしなかった。
「ごめん。 なんかはぐらかされてんのかな、とか思って」
「・・・はぐらかすって・・・ なにを?」
俯いたまま小さくそう返してくる詩織。
「や・・・ キミのカレシに立候補したいって・・・そう言いたかったんだけど?」
「・・・・・え?」
詩織が驚いて顔を上げる。
この顔――― ・・・ホントに全然気付いてなかったのか・・・
装ってるわけじゃないだろうけど、やっぱり天然なのか。
オレは天然は好きじゃないんだけど。
でも、詩織は勉強出来るし、気さくで明るいし、可愛いし・・・ 18歳の今を一緒に過ごす相手としては申し分ない。
似非天然よりは、純天然でまだ良かった・・・ とも言える。
まぁ・・・・・半年後、オレの気持ちがどう変わってるか分からないけど、とりあえず今は目の前の詩織と付き合いたい。
カレシに立候補・・・まで言っちゃったし、ダメ元で告白しとくか。
「えーっと・・・」
・・・とは言ったものの・・・・・
告白ってどう言えばいいんだっ!?
今までは、いつの間にか付き合うことになってたり、
「オレなんかオススメだよ?」
なんて感じに、ハッキリ言わずに付き合い始めることが多かったから・・・
ヤバい・・・ どうしよう・・・
さすがの詩織もこの先の展開が予想できたのか、どうしていいのか分からない様子だ。
短い休み時間だからあんまり廊下に人の姿はないけど、それでもオレたちの横を通り過ぎるヤツは、何やってんだ?って感じの視線を投げかけてくる。
まずい。 さっさとこの場を撤収しないと。
とりあえず告っとけ! それで終わりにしちゃえっ!オレッ!!
「や、なんか・・・・・ す、好きなんだよねっ、キミのことがっ」
て、何どもってんだよ―――っ!!
つか、こんなこと廊下で言わすなよ―――っ!!
恥ずかしさから、腹の内で詩織にそう突っ込んでいたら、
「あの・・・・・ ごめんなさい」
と消え入りそうな声で詩織から返事が返ってきた。
―――だよな。 やっぱり。
まだ編入してきて1ヶ月だし。
オレも詩織のことをよく知らないけど、詩織だってオレのことなんか全然知らないだろうし。
軽くショックではあったけど、それよりも、今この場を終息させられることの方が嬉しい。
とりあえず、気にしないで、と言おうとしたら、
「なんか・・・ 初めに気付かなくて、ゴメンね」
と詩織が。
「え?」
「あの・・・ こ、こーゆーのにあんまり慣れてなくて、その・・・全然気付かなかった、の」
「え、いや・・・」
「・・・言いにくいこと最後まで言わせちゃって、ごめんなさい」
と詩織は頭を下げた。「それと、ありがとう。 あたしなんかにそんなこと言ってくれて」
詩織は天然でも、相手の気持ちを汲み取ろうとしない馬鹿でもなかった。
―――なんて言うか。
さっきまでは、
「頭いいし、可愛いし、付き合えたらいいな〜」
くらいの、どっちかと言うと軽いノリだったけど・・・
この瞬間、オレは本当に詩織のことを好きになったんだと思う。
「え・・・ じゃあ・・・っ!」
さっきまで、廊下で・・・とかなんとか思ってたことなんかすっかり忘れて、また詩織の腕を取った。
「や、あのっ、違うのっ! 付き合うとかじゃなくて・・・」
詩織は慌てて顔の前で手を振った。
「その・・・ まだ長坂くんのことよく知らないし・・・ 長坂くんだってあたしのこと全然分からないと思うの。 だから、付き合うとか、全然・・・考えられないの。ごめんなさい」
再び詩織はオレに頭を下げた。
よく知るも何も、オレは今のやり取りだけで十分なんだけど。 女の子見る目には自信ある方だし?
でも、焦りは禁物だ。
「そっか・・・ んじゃ、カレシ第一候補って事で」
強引に行きすぎて、嫌われたら元も子もない。
18の今を一緒に過ごせれば・・・なんて思ってたけど、詩織とだったら卒業してもずっと付き合ていける気がする。
いや、ずっと付き合っていきたい。
それには時間をかけてオレの良さを分かってもらうしかないか・・・・・
2人で教室に入ろうとしたら、詩織が頬をポンポンと叩いている。
「・・・・・何やってんの?」
「や、なんか・・・ 熱くて」
「は?」
詩織は頬を両手で挟んだまま、ちょっと上目遣いにオレを見上げて、
「・・・長坂くんが、急にあんなこと言うから・・・・・」
と軽くオレを睨んだ。「・・・顔が熱い・・・」
・・・・・って。
詩織――――――ッ!!
メ、メチャクチャ可愛いんだけど・・・
「はは。 可愛いね」
「またそういうこと言うっ!」
詩織はちょっと怒ったようにそう言って、先に自分の席に走って行ってしまった。

詩織? とりあえず今は友達でいるよ。 とりあえずはね。
でもいつか、
「カレシ」
に昇格すると思うよ? 近いうちに・・・


そんなある日、オレは詩織とクラスメイト数人と一緒にカラオケに行った。
もちろんオレから誘った。
本当は2人で行きたかったけど、オレが詩織に好意を持っていることは知られているから、2人で・・・なんて言ったら詩織が肯かないだろうと思って他の奴らも誘った。
プラス、
「オレは詩織のこと狙ってんだから、お前ら手を出すなよ?」
という、牽制を兼ねたアピールをクラスメイトにするためだ。

―――そこで、あの弟に会った。

オレたちの前で受付をしていた同じ第一高の2年生に、詩織が声を掛けた。
「ハルくん!」
と呼ばれて振り返った男は、校内でも何度か見かけたことのある顔だ。
話したことはないけど、なぜか目を引く存在だった。
スラリとした細身の体躯。
いまどき珍しいくらいの、真っ黒でサラサラした髪。
その前髪の隙間から見える目が、予想外の力を秘めているようで・・・ 印象的だった。
でも・・・ なんで詩織がこの2年と知り合いなんだ?
そう思って二人の間に入ったら、
「あたしの弟なの」
と詩織が。
「え・・・? だって・・・」
詩織はこの4月にウチに編入してきたばかりだ。
けれど、この2年はずっと前から在学していた。 去年から何度も見かけているし、間違いない。
オレが不審に思っていたら、詩織が説明してくれた。
どうやら詩織とこの2年の母親同士が姉妹で、2人はイトコになるらしかった。
それが、詩織の母親が先日亡くなって、この2年の家に養女として籍を入れたという。
だからイトコであるのと同時に義理の弟なのだと。
「へぇ・・・」
弟・・・って言っても義理なのか。
急にこんな可愛い子と同居することになったら、男だったら誰だって喜ぶ。
例えイトコと言えども安心できない。
「そう言えば、似てるよな? 目元とか?」
「そっかな? あんまり似てないと思うけど・・・」
「いや、似てるって! やっぱ血が繋がってるっていうか・・・」
目の前の男は恋愛対象外なんだ、ということをそれとなく強調しておく。
我ながら、何やってんだ・・・とも思うけど、牽制しておくに越したことはない。
そんな話をしながら詩織の意識をこっちに戻そうとしたら、
「詩織!」
と弟が鋭い声を掛けてきた。 驚いて振り返る。
その弟の目を見て・・・ さらに驚いた。
元々眼力のある印象的な目だとは思っていたけれど・・・
今目の前にあるのは、まるで野生動物のそれだ。
・・・・・思わずたじろいでしまった。
けれど、弟がその視線をオレに向けたのはほんの一瞬のことで、すぐに、
「・・・腹痛い」
と顔を伏せた。
・・・・・はぁ? 腹?
今の、視線で人を殺しそうな勢いの後に、腹ぁ???
とオレが戸惑っていたら、
「大丈夫、ハルくんっ!?」
と詩織が血相を変えて弟に寄り添い、「ゴメン! あたし、帰る!」
とオレを振り返った。
「え・・・? 帰るって・・・」
なんで? たかが腹が痛いくらいで。 しかも詩織も一緒に?
そんな理由で、せっかくの詩織との時間を無駄にする気はない。
義理の弟だかイトコだか知らないが、邪魔しないでくれよ?
「おいおい、マジで? ひとりで帰れんだろ? つか、弟くん? トイレそっち」
オレがそう言って詩織を連れて行こうとしたら、詩織は、
「ハルくんはデリケートなのっ! 心配だし・・・ 帰る!」
とさっさと弟と一緒にエレベーターに消えて行ってしまった。
・・・・・おいおいおいおいっ!
なんなんだよ・・・ あの弟は。
なんなんだよ、お前らはっ!
イトコなんだよな? 義理だけど、姉弟なんだよなっ?
オレは戸惑っていた。
あの、弟が詩織を見る目に。
詩織が、弟を見る目に―――・・・

別れ際に、メールをくれるように言ったけど、結局その日は詩織と連絡を取ることは出来なかった。


翌朝。 教室に入っていったら、いつもは時間ギリギリに登校してくる詩織がオレよりも先に登校していた。
珍しいな、と思いつつ、彼女を連れて屋上へ上がる階段の踊り場へ行った。
昨日メールもらえなかったし。 なんか、色々話したいし。
「え〜と・・・ 弟くんは大丈夫だったの?」
「えっ!?」
オレが昨日のことを話し出したら、詩織が驚いた声を上げた。
「いや、腹。 痛いって言ってただろ?」
「あ・・・ う、うん。 大丈夫だったみたい」
と言いながら詩織が俯く。 心なしか、落ち着かない様子だ。
「や〜・・・ メールちょうだいって言ったのに、昨日なんにも連絡なかったからさ・・・」
と言ってしまってから、
何言ってんだ、オレは。 別に付き合ってるわけでもないのに、こんな責めるような言い方・・・っ
と思い直し慌てて、
「いや、ほらっ! もしかして弟くん?相当具合悪くなっちゃったのかなーとか思って? うんっ」
と言い訳めいたことを口にした。
・・・我ながらカッコ悪い・・・・・
と軽く落ち込みながら詩織の返事を待っていたら、詩織は明後日の方を向いてちょっとぼんやりしていた。
「あの〜・・・ 詩織ちゃん?」
「・・・えっ!? ごめんなさい、なにっ?」
詩織の様子に首をかしげながら顔を覗き込んだら、詩織が驚いたようにしてやっとオレの方を向いた。
「いや、だから弟くんは・・・」
大丈夫なの?と言いかけて、やめた。
「え?」
オレは改めて詩織の瞳を見つめて、
「あのさ・・・ しつこいって言われるかもしれないけど、そろそろカレシ候補からカレシに昇格させてくんないかなぁ・・・なんて思って」
「え・・・」
微かに揺れる詩織の瞳がオレを見つめ返している。
「・・・・・詩織ちゃんが好きなんだ。 付き合って?」
初めに告白したときよりドキドキする。
脇汗はびっしょりだし、もしかしたら膝震えてたかも。
あのときは、ダメ元で・・・なんて思ってたけど、今はそんな余裕ない。 断られたら、しばらく立ち直れないかも知れない。
詩織がまつげを伏せる。
・・・やっぱ、断られるのか――― と諦めかけたら、
「・・・いいよ?」
と小さいけれど、確かに詩織の声でそう聞こえた。
「・・・・・え? マジで?」
思わず聞き返す。
詩織はさらに顔を伏せて、
「あたし・・・ 長坂くんと付き合う」
今度はハッキリそう聞こえた!!
・・・・・信じられない・・・
思わず詩織を抱きしめて、
「すっげ嬉しい! マジで? ・・・いや、今さら嘘だって言ってももう取り消しきかないよ!?」
と腕の中の詩織を見下ろした。
「・・・そんなこと言わないよ」
そう言って、詩織は顔を伏せたまま大人しくオレの腕の中に抱かれていた。
「・・・・・詩織ちゃん?」
「・・・・・はい」
俯いたままそう返事をする詩織。
「・・・顔、上げてくんない? 顔見たい」
オレがそう言ったら、一瞬の間を空けて詩織が顔を上げた。
その詩織の顔が・・・ 泣きそうな顔に見えて、焦った。
けれどそれはほんの一瞬で、すぐに詩織は笑顔になって、ペコリと頭を下げた。
「え・・・と。 よろしくお願いします」
「うん。こっちこそ」
今の泣きそうな顔が気になったけど・・・
せっかく付き合えることになったばっかりで、そういうマイナスの話はしたくないし。
スルーの方向で。 うん。


詩織と一緒にいるのは楽しかった。
他校の子と付き合ったときには出来ない、勉強を一緒にすることすら楽しかった。
「へ〜。 詩織ちゃんって古文が得意なんだ」
とある金曜日の放課後。 オレたちは学校近くの図書館で教科書を広げていた。
「得意っていうか・・・ 好きなだけ。 お話が」
「結構・・・つか、かなり難しいじゃん、話。 日本書紀とか古事記とか? ドロドロした話も多いし」
「・・・そう?」
「この前やった問題集にあったんだけど、兄妹で恋に落ちて心中とか? まるで昼ドラ」
「・・・・・でも、昔は異母だったら・・・ 兄妹でも結婚出来たんだよ」
「そーなの? や〜・・・ でも、やっぱありえないでしょ?血が繋がってるって・・・ キモいし! だからイマイチ話に入っていけないって言うか・・・・・ ? 詩織ちゃん?」
オレがこの前読んだ古事記の内容を話していたら、急に詩織が立ち上がった。
「・・・ゴメン。 あたしちょっと・・・ 洗面所行ってくる」
そう言う詩織の顔を見上げて驚いた。
「・・・・・大丈夫? 気分悪いの?」
顔が真っ青だ。
「・・・・・平気」
って・・・ 全然平気じゃないだろ?
オレは慌てて教科書やノートを片付けて、
「無理することない。 帰ろう、送るから」
と図書館を出て、そのまま詩織の家まで送って行った。
夏に向かって日が延びてはいたけれど、さすがに7時近くになると薄暗くなってくる。
「暗いね」
詩織の家には明かりが点いていなかった。
「ん。大体いつもあたしが一番早く帰ってくるの」
そんな話をしながら、詩織がカバンから鍵を取り出す。
「体調悪いのに、1人で大丈夫?」
「大丈夫だよ。っていうか、もう治ったし。 ホラッ!」
と詩織は笑顔の横に拳を握ってみせる。
確かにもう顔色は良くなったけど・・・
なんだか・・・・・まだ別れたくないな・・・
「え〜・・・と。 あ、そうだ。弟くん元気?」
今日は金曜日で、ここで別れたら次に詩織に会えるのは3日後だ。 もうちょっと・・・ 少しだけでも詩織と一緒にいたい。
だからテキトーにそんなことを話し始めた。 話題なんかなんでも良かった。
「え・・・?」
「や、あの子さぁ、前から気になってたんだよね。話したことはなかったけど。 なんか雰囲気あるじゃん。人当たり良さそうだけど、どっかクールって言うか冷めてるって言うか・・・」
「・・・そうかな」
「うん。 何より目? すごい目力持ってるよね? 男のオレから見てもカッコいいっていうか、モテそうだなって。 詩織ちゃんもそう思わない?」
とオレが話を振ったら、
「全然思わないっ!」
と、ちょっと驚くぐらいの大きな声で詩織が否定してきた。
「え・・・?」
「ハルくんぐらいの男の子だったら、その辺にたくさんいるよ! 長坂くんの方が何倍もカッコいい!」
テキトーに話しただけの内容に、ここまで詩織が反応するとは思っていなかった。
「え・・・ あの、詩織ちゃん?」
「ハルくんより長坂くんの方が全然いい・・・ 長坂くんの方が、いい・・・」
と言いながら、最後には俯いてしまった。
今まで詩織がこんな風に大声を出したことはなかったから、正直驚いた。
「・・・詩織ちゃん? どーかしたの?」
「・・・どーもしないよ?」
「じゃ、顔上げて?」
俯いたままの詩織の腕を取った。 詩織は俯いたまま呟くように、
「・・・・・あたしは、長坂くんが好きって・・・ そう言いたかっただけ」
「顔上げて」
それでもまだ詩織は俯いている。
「あたしは長坂くんが・・・」
そう言う詩織の顔を、無理矢理オレの方に向けた。
「しお・・・」
「・・・泣いてないよ?」
―――オレの両手に包まれた詩織の顔は、笑顔だった。
「・・・・・そう」
何があったのか分からないけど・・・ てっきり泣いてるもんだと思った。
「泣いてるって思ったでしょ?」
「・・・うん。 思った」
オレがそう言ったら、詩織はますます笑顔になって、
「あたし、長坂くんの前でだけは、絶対泣かないよ!」
「・・・なんで? 泣きたいときは泣いてもいいよ」
「や! 泣かない! 絶対!!」
詩織は笑顔のまま、「これ以上そんな武器使うの、ずるいもん」
・・・・・これ以上?
詩織の言っている意味は良く分からなかったけれど、深く追求するのは躊躇われて、詩織に合わせるようにオレも笑顔を作った。
「・・・・・女の涙は武器って言うし?」
「そう! あたしは武力行使しない主義なの!」
詩織の目がオレを見上げる。
真剣なんだか、はぐらかしてるんだか分からない・・・・・ けれど、たまらなく魅力的な詩織の瞳がオレを見上げる。
「・・・でも、たまにはその武器出してよ」
両手で包んだままだった詩織の顔に、自分の顔を近づけた。
「え・・・? あ、あの・・・」
戸惑う詩織を無視して、そのまま唇を近づける。 触れ合う直前、
「・・・それを利用するのが女の方だとは限らないんじゃない?」
「え・・・ ―――んっ!」
そう言って、柔らかく甘い詩織の唇にそっと口付けた。

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